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例えば、僕らが  作者:
4/13

4.僕らの再会

「えー、市橋さん彼女いないんですかぁ?」

 来客用ソファに座り、僕の淹れた珈琲を啜っていた我が事務所期待の新人女優・橘陽菜子が、まるでアイドルのような――まぁ、職業的には近いんだけど――高い声で笑う。

 その向かいのソファ――ちょうど俺の隣に腰掛けている沢城が、「そうそう」と同じように笑いながら、キザっぽく肩をすくめた。

「昔っから真面目な奴でさぁ。合コンやらキャバクラやら誘うんだけど、全然乗ってこないの」

「昔からぁ? じゃあもしかして童」

「ストップ陽菜ちゃん」

 それまで黙っていた僕も、さすがに笑みを浮かべながらやんわりと言葉の続きを阻止する。

 自らの名誉のために一応言っておくが、僕にだってもちろん幾度かの交際経験はある。もっとも、この事務所に入社して以来はずっと忙しくて遊んでいる暇などないので、そのほとんどは学生時代にまで遡ることになるのだが。

「君は女優なんだから、そういう下品な発言しちゃダメだよ? いくら話しやすいからって、沢城の悪影響だけは受けないようにね」

「はぁい」

 ソファから腰を浮かして手を伸ばすと、天真爛漫に笑う陽菜子の頭を撫でてやる。隣で沢城が半泣きで「お前何気ひどくね?」などと宣っているが、そんなものは華麗に無視。残念なイケメンとは、まさしくこいつのためにある言葉だと思う。

「陽菜子」

 別室から女性の声がした。名を呼ばれた陽菜子が「はぁい」と呑気な声を上げれば、開いたドアの向こうからひょこりと三十代くらいの女性が現れる。

 片手にスケジュール表を持ったその女性は、陽菜子の専属マネージャー・石動(いするぎ)葉月(はづき)

 常に纏っているほんわかとした雰囲気で場の空気を和ませてくれる、いわゆる事務所のマスコット的存在の社員だ。陽菜子ののんびりした喋り方や性格は、おそらく彼女の影響を受けているのだと思う。

 そんな石動は、トレードマークである丸眼鏡の奥の垂れ目をふにゃりと緩め、柔らかな声で言った。

「来週から、今までよりちょっとだけだけど仕事増えるよー。よかったね」

「ほんと? やったぁ」

 陽菜子が立ち上がり、キラキラと目を輝かせる。

「おー、よかったじゃん。おめでとう!」

 さっきまで拗ねていたはずの沢城が、とたんにニコニコしながら陽菜子に拍手を送る。そんな彼に内心呆れながら、僕も陽菜子に祝いの言葉を送ることにした。

「おめでとう、陽菜ちゃん。人気女優に一歩近づけたね」

「うん、ありがとう!」

 陽菜子は今にも飛び跳ねそうなくらい喜んでいる。その姿に、初めて連続ドラマ出演が決まった時の那智を重ねて、僕は動揺してしまった。

『ありがとう、市橋さん!』

 台本を手に、飛び跳ねんばかりに喜んでいた那智。あの頃はまだ、こんな未来が待っているなんて想像もしてなかったっけ。

「陽菜子、そろそろ次の現場行くよ」

「はぁい」

「なんだ、もう行っちゃうの?」

「うん。ごめんねぇ、沢城さん。ホントはもっとゆっくりしたかったんだけど、なにせ駆け出し女優は忙しいのです。ねぇ、葉月さん」

「そうそう。陽菜子はブレイク寸前なんだよー」

「この事務所の看板女優となれる日も、そう遠くはないのだぁ。ぶいっ」

「気合十分だな陽菜ちゃん」

「とーぜん!」

「ふふっ。じゃあ陽菜子、わたし車の準備してくるからね」

「はぁい、お願いしまぁす」

 いずれはこの二人にも、そんな悲しい瞬間が訪れるのだろうか。

 この仕組みは入社してしばらく経ってから知ったことなのだが、この事務所では、所属俳優が新人のうちは世話係として同性の専属マネージャーを一人つける。だが、それもある程度の地位を獲得すると外さなければならないことになっているのだ。

 いくら決まりきっていることとはいえ、そう考えるとやっぱり胸が締め付けられるというか、なんというか……。

「……市橋さん?」

「市橋、どうした? 急に暗い顔して」

 陽菜子、そして沢城に順番に声を掛けられ、ハッと我に返る。辺りを見回すと、いつの間にか石動の姿は消えていた。

「ごめん、なんでもない。ちょっとぼうっとしちゃって」

「もう、いきなり動きがぴたりと止まっちゃうから心配しちゃったよぉ」

 むぅ、とむくれながら立ち上がる陽菜子に、「ごめんごめん」と苦笑する。知らない間に沢城も立ち上がってどこかに行こうとしていたから、僕は一瞬ポカンとした。

「ほら、行くぞ市橋」

「え、どこに?」

「馬鹿かお前、話聞いてなかったの? 陽菜ちゃんがこれから次の現場行くから、見送んだよ」

 僕としたことが、全く話を聞いていなかったらしい。沢城に注意されてしまうとは、僕も腑抜けてしまったものだなぁ……と内心だけで反省する(口に出せば、また沢城が拗ねるだろうから)。

 僕は慌てて立ち上がり、沢城の背を追って事務所を出た。


 移動用車の運転席には、いつの間にやら石動が乗っていた。その後部座席に乗り込もうとする陽菜子に、沢城が話し掛ける。

「次は、何の撮影?」

「連続ドラマの端役だよぉ。まぁ、死体役だけど……」

「エキストラより全然マシじゃん」

「確かにねー。息しないようにするのって技術いるし」

 四人で、そんなくだらない談笑をする。

 こんなゆったりとした日常とも言うべき愛しい時間は、今度はいつまで続いてくれるのだろうか――……。

「あ、陽菜子ー。そろそろ出発しなきゃ。市橋さんと沢城さんにご挨拶して」

「うん。ありがとぉ、楽しかったよ。また来るからねぇ」

 車内の窓からヒラヒラと手を振る陽菜子に、沢城と揃って手を振り返す。そのまま発進した車を、僕たちは言葉もなく眺めた。

 やがて陽菜子の乗った車が見えなくなるのとほぼ同時に、向こうから一台の車が走ってきた。黒い車が僅かに音を立て、僕たちの前――事務所の向かいに停まる。

 重厚なドアが開き、出てきた一人の男性。

「あ、那智じゃん」

 沢城の親しげな言葉に顔を上げた僕は、思わず全身を強張らせた。

「こんにちは、沢城さん」

 先ほどまでテレビの向こうに映っていたはずの彼――いまや我が事務所の看板となった人気俳優様こと小清水那智は、すっかり板についた撮影用の営業スマイルを振りまいてくる。

 僕の表情に何かを察したらしい沢城が、こっそりと耳打ちしてきた。

「今日、実は夜頃にちょっと寄ってくって言われてたんだ」

 僕が彼を避けていると知っているはずなのに、どうしてもっと前に言わなかったのだ、と目だけで訴える。沢城は心から申し訳なさそうに、

「陽菜ちゃんとおしゃべりするのがあんまり楽しくて……忘れてた、ごめん」

 と言った。

 所属俳優のことを忘れるなんて、マネージャー失格だろう。全く、コイツだけは……。

 非難の目で沢城を睨んでいた僕の姿を確認したらしい那智は、僕と目を合わせると、まるで全てを取り繕うかのようににっこりと笑いかけてきた。あの頃と違った笑い方に、胸が締め付けられる。

「久しぶり。……市橋さん」

「な……」

 ――那智。

 心に浮かんだその名を呼んではならぬと、開きかけた口を閉じる。コホン、と一つ咳払いをし、僕はにっこりと笑った。マネージャーとして俳優の演技を間近に見てきたのだ、そこらの大根役者以上のちょっとした演技くらいなら、僕にだってできなくもない。

 震えてしまわないようにするため、敢えて一言一言を強調するかのように、しっかりと声を出す。

「いや、ホントお久しぶりですね。小清水さん(・・・・・)

 那智の右眉が、ぴくり、と揺れる。それは彼が動揺した時にだけ見せる、昔からの癖だった。

 三年経った今でも変わらないそれに、懐かしさと少しの切なさが僕の心を過ぎる。同時に、そのような細かい所まで彼を知り尽くしている僕自身に吐き気がした。

「せ、せっかくだから中入ってく? 珈琲くらいならご馳走するよ」

 気まずい空気に、沢城が助け舟を出してくれる。那智は「いや」と首を振りながら、手のひらで沢城の動きを遮るような素振りを見せた。

「次の仕事まで少しばかり空き時間があったので、寄らせていただいたまでですよ。そろそろ出発しなければならないので、これで失礼します」

 淡々とそう言うと、メディアに出ているような落ち着いた彼らしくもなく、足早に車に乗り込む。運転手である事務所の社員に那智がなにやら耳打ちしたかと思うと、うなずいた運転手の社員が間髪入れずにアクセルを踏んだらしく、車は瞬く間に急発進した。

 車が見えなくなる前に、僕は駆け足で事務所へ戻った。沢城は追いかけてこなかったから、おそらく那智の車を見送っているのだろう。自分も本来はマネージャーとしてそうするべきなのだが、その時の僕にそこまで考えるほどの余裕はなかった。

 昼間に一度入ったばかりの休憩室に入り込み、バタン、とドアを閉める。閉ざされたドアにもたれたままうつむいた僕は、そっと唇を噛んだ。

 ――どうして、こんなに動揺している?

 同じ事務所なら、いずれこうなることくらい予想できたはずなのに。どれほどこちらが避けようとも、顔を合わせなければならない時は来るって……頭では、分かってたはずなのに。

 ぴくりと揺れた那智の右眉が、脳裏をちらついて離れない。

 那智もあの時、同じように動揺したのだろうか。今僕が抱いているのと同じ気持ちを、彼もまた抱いているのだろうか。

 ……いや、まさか。

 きっと一種の、気の迷いだろう。きっとこれからまた仕事に戻ったら、すぐ忘れてしまうに違いない。

 僕も、仕事に戻ろう。そして、忘れてしまうんだ。

 覚悟を決めた僕は、休憩室のドアを開く。すぐに先輩社員が呼んできたので、返事をしてそちらへと向かった。

 ――さぁ、頑張るぞ。今日も、くたくたになるまで働くんだ。

 このような余計なことを考えている暇なんて、なくしてしまわなければ。

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