【おまけ】 イーデムについて
日も沈む時間帯。朝や昼とは違って食事の品数も多い事から、厨房の中は一番忙しい時間となっていた。
このランドマルク伯爵家の居城となる場所で働く使用人は六人と少ない。しかし仕えるべき者達も二人と少ない為、さほど重大な問題も起きないでいる。
そして戦場と化した厨房で、いつものように調理を手伝う几帳面な執事兼家令からの質問攻めにあっていた。
「イーデム!! 保存庫の奥にあったお肉、いつ買ったの!?」
「ああ、もうバレたんだ。隠していたのに。……つい三時間前に肉屋が来てさあ」
「もう、今月は、食材を買わないで、って言っていた、でしょう!? 馬鹿、馬鹿なの?」
執事兼家令ことオクリース・アリュキュリマは、保存庫から目敏く買ったばかりの肉の事を指摘してくる。勿論その間も皿を洗う手は休む事は無い。
オクリースは一年ほど前から家令の仕事を始めたので、ここ最近は金銭的な事までうるさくなっていた。予算的な事は重々理解をしているが、領主を務めるアルゲオ様も、ランドマルク伯爵家の跡取りとなるユーリア様も細い体つきをしており、常日頃から料理人である自分が気にかけないと、すぐに痩せ細ってしまうのだ。
特にユーリア様は十八歳という若さでありながら、栄養分が体全体に行き渡らずに、胸ばかり成長しているように思える。実に素晴らしい、いや、極めて深刻な問題だ。
「……イーデム、聞いて、いるの!?」
「……」
聞いてはいるが、父親より食事を作っている時と剣を握っている時は喋るなときつく言われているので、オクリースのお小言は無視する形となる。先ほどは食材を持っていなかったので返事をしたのだ。
今日の夕食は干した貝柱と海草のサラダ、赤豆と鶏肉のスープ、五種類のキノコと魚の生クリームパスタに、仔牛のパイ包み焼き・フォンドボーソース添えの四品だ。
メニューは毎日オクリースと話し合って考える。アルゲオ様とユーリア様の健康を考えて、なるべく食材や調理法にも気をつけて毎日作っている。
ちなみに週に一度休みがあるが、その時は前日から下ごしらえをして、オクリースや他の使用人が協力をして作るようにしている。逆にオクリースが休みの時は、俺が代わりに配膳をしたり紅茶を淹れたりするが、きちんと真面目にしろとアルゲオ様に一挙一動を怒られるので、積極的にしたくはない仕事だ。
オクリースの文句を聞き流しながら夕食の準備を終えて、配膳に向かったオクリースを見送りながら明日の食事を考える。
オクリースに速攻でバレてしまった禁断のお肉はどう調理しようか。赤ワインで煮込んでもいいし、網目状に焼き目を入れて、ソースに果物を使ってさっぱりとした風味に仕上げても美味しい。明日はアルゲオ様の生誕の日なので、これ位奮発をしても罰は当たらないだろう。オクリースの石頭は休みなので、居ないうちに調理をしてしまうのがいいかもしれない。そんな風に計画を練りながら、保存庫にある食材表と照らし合わせて品目を考えていた。
ここで働くようになって早十二年。そろそろオクリースも信用してくれてもいいのでは? と思っているが、疑い深い性格の執事兼家令は毎日の保存庫の整理整頓や、食材の領収書の確認を怠らない。
まあ、信用してもらえないのも、自分の不真面目な性格のせいだとは自覚をしているが、生まれ持った気質はそう簡単には変わらないのだ。
俺は十三歳の時からランドマルク城で働いていて、五年前に前の料理長が退職をしてからこの厨房の主となっている。
五年前といえばユーリア様は十三歳で、成長も著しい時期だ。その期間に俺の作った食事を食べていたので、あの素晴らしい胸は豊かになったのかもしれない。分かりやすく言えば、ユーリア様の胸は俺が育て上げたと言っても過言では無いだろう。
そんな雑念を思い浮かべつつ、毎日献立を考えて、食材を買い集め、調理をするという仕事をまあまあ気に入っていた。だからここでずっと料理人として生きていくものだと思い込んでいたのだ。
――今日という日を迎えるまでは。
◇◇◇
「――イーデム、起きて」
「……」
「――イーデム、起きて」
「……」
「――イーデム、イーデム、起きて……」
「痛たたたたたたたーーはっ!?」
背中に激痛を感じて目を覚ます。
どうやらいつの間にか厨房の机に突っ伏すようにして眠っていたらしい。一つ年下の執事兼家令様はご丁寧にも、背中を拳でぐりぐりと力強く押しながら起こしてくれたのだ。主人を起こす仕事をしている奴の行いとは思えない暴力的な行為に文句を言おうとしたが、オクリース口先で勝てたことは無いので、用事は何かと聞くだけに留める。
「……何の用事?」
「領主様が、呼んでいる。執務室に」
「こんな時間に?」
オクリースの上着のポケットから勝手に懐中時計を取り出して見れば、就業時間はとっくに終わっていた。早く家に帰ってお風呂に入りたい所だが、そうはいかないらしい。
「待って」
「ン?」
「この前貸した本読んだ?」
「ああ、異世界なんちゃらって奴?」
「【異世界料理の歴史】!」
「そう、それ!! あとあんまり読んで無い!!」
「……返して」
「覚えてたら」
「……」
ある日オクリースが少し料理について勉強した方がいいと手渡されたのは、料理の歴史について記されたものだった。しかしながら、数頁進んだだけで睡魔が襲って来て完読出来ていない現状のまま、二年ほど借りっぱなしになっている。
「明後日、絶対に持って来て」
「う、うん」
仕事が増えて寝不足なのか、目の下にクマが出来ているオクリースは凄味のある視線で睨み付け、早くアルゲオ様の元に行けと厨房を追い出されてしまった。
市場に売られていく仔牛のような足取りで、アルゲオ様の執務室へと向かう。
アルゲオ・ユースティティア様とは、現在ランドマルク領の領主を代理で務める御方だ。
ユースティティア公爵家のお生まれで、国王の弟でもあるかの御方は今年で四十九歳となる、常に眉間に皺を寄せていて近寄り難い外見をした渋いおじ様だ。
ユーリア様が領主の仕事を完璧に覚えるまで、領主を勤め上げるという立派な御方でもある。
こんな風に直接話があるからと呼び出されたのは初めてで、つい緊張をしてしまい、目の前の扉を律動的に何回も叩いてしまった。
「――入れ」
「はーい!」
元気良く返事をして中に入ると、そこには庭師を務める父親と下働き担当の母親が居て、何事かと疑問に思う。
このお城に居る六人の使用人とは、うちの家族が五人にオクリースというほとんどが身内という状態だ。今から残りの二人も来るのだろうか。
「――人が揃った所で話を始めよう」
「……?」
あとの二人は関係の無い話か。父ちゃんと母ちゃんと俺に話とはなんなのか。非常に気になる所だ。
「ディエース・オリエンス、ドミナ・オリエンス、イーデム・オリエンスの三名に本日付けでの解雇を言い渡す」
「……」
「……」
「へえ~」
父ちゃんも母ちゃんも俺も本日付でカイコなんだって!
……ん? カイコって何だ!? 回顧? 懐古? はたまた開口?
ま、まさか解雇とかいう意味じゃないよね、領主様!? イーデム・オリエンス、二十五歳にして(無職)、とか超痛いんですけど!?
「あ、あの、領主様、カ、カイコってどういう意味でしょうか?」
「首ってことよ。あんた、そんな言葉も知らないの!? 馬鹿な子だね!!」
「――!!」
隣に居た母親が懇切丁寧に解雇の意味を教えてくれた。母ちゃん…とっても優しい。
いやいや、優しい…じゃなくって!!
「ど、どうしてですか領主様!! ここで働くオリエンス家の人間の中でも一際真面目な俺を首にするなんて!!」
「……人員入れ替えをする為だ」
「エッセとニゲルは?」
「引き続き働いて貰う」
「!?」
俺ら三人だけ解雇で、妹のエッセと養子のニゲルは残って働くと!? こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。
「領主様、考えなおして下さいよ!! 俺の作ったパンが食べれなくなるんですよ!! ねえ!!」
「イーデム!! あんた、いい加減にしなさい」
「――ぐふっ!!」
椅子に腰掛ける領主様の元へ駆け寄ろうとしていたが、母親に首根っこを掴まれて、後方へと投げ飛ばされてしまった。繊細な俺はごろごろと石の床に上を転がり、堅い扉にぶつかって動きを止める。
「痛ってえ、何しやがんだ!!」
「女の力で簡単にぶっとぶあんたが悪いのよ!! それにパンは街で買ったものでしょう!!」
「……それは、うん。街のパン、美味しいよね」
「…お前ら、領主様の前で見苦しい振る舞いは止めないか」
「……はい」
「……」
母ちゃんの言うとおりパンは毎日出来上がったものを買っている。なんせ厨房担当は俺一人だ。パンなんぞ作っていたら時間がいくらあっても足りない。
アルゲオ様は今回の解雇の理由をユーリア様が周囲の者に甘えない為の決定だと説明をした。確かに使用人の数が少ない中で働いて来た俺達は、普通の貴族の家にある主人と使用人という関係とは程遠い。ユーリア様は特に父ちゃんと母ちゃんに懐いていて、家族のように思っている所もあるという。
こんな風な馴れ合いのある上下関係の中では、ユーリア様は一人前の領主にはなれないだろうというアルゲオ様の冷徹過ぎる判断によって俺達は解雇とされるらしい。
酷い、酷すぎるよアルゲオ様!! 顔は怖いけれど心は暖かい人だと勝手に思っていたのに、見た目も中身も怖い人だったなんて!!
無言で差し出された二通の封書は、解雇届けと新しい勤務先の紹介状だった。
「――え?」
解雇届けには勝手に父親の字で署名がされていて、新しい勤務先は王都と記されていた。
「あ、あの…アルゲオ様、新しい勤務先とは?」
「王宮の調理場だ」
「!!」
この職場を辞めさせる代わりにアルゲオ様は王宮の調理場で働けるように手配をしてくれていたという。見た目も中身も冷徹で怖いだなんて言ってごめんなさい。訂正します。アルゲオ様は見た目は怖いけれど、中身は慈悲深い御方でした。
父ちゃんと母ちゃんも王都にある公爵家で働く手筈が整っているとか。この決定は数ヶ月前より両親へと伝えられていたらしいが、俺の性格を熟知している父ちゃんと母ちゃんが言うのを控えてくれとお願いしていたという。
「今までよく仕えてくれた。これからは新しい職場で頑張ってくれることを期待している」
「はい。様々なお心遣いに感謝を致します」
「今までよくして下さってありがとうございました」
「う~ん……」
突然の言い渡しに頭の中が真っ白になってしまった。
◇◇◇
退職金として金貨十枚を貰い、駄目もとで厨房の鍋も欲しいと言えば持って行けとアルゲオ様は案外簡単に許してくれた。
厨房より頂いてきた鍋は普通の鍋ではない。魔技工士がいくつもの魔術を刻み込んだ魔法の鍋なのだ。
付属の炎の魔石を鍋の裏にある窪みにはめ込んで、縁に刻まれた呪文を指先で摩れば周囲に立ち込める魔力の力を使って鍋が温まり、火を使わずとも調理が可能という素敵な機能の付いている品だ。普通に買えば金貨十枚以上は下らないという貴重な魔技工品を本当に貰ってもいいのかと訊ねたが、この辺りは魔力の濃度を極端に薄いので、あっても意味がないだろうとの事だった。
俺も今まで調理場という火が普通にある環境に居たので、この魔法の鍋を使ったことは無かったが、道具入れの奥にあったのはそういった事情があったのかと納得をした。
一晩考えてみた。
王宮の調理場で働く俺。
貴族のお嬢さんとの甘酸っぱい出会い。
身分差に揺れる心、そして必ず訪れるであろう悲しい別れ。そして、新たなる出会い。
王宮にはランドマルク領には居ない、綺麗で垢抜けた美人で溢れかえっているんだろうなあ。
街でナンパをする時も王宮料理人なんて名乗れば一気に釣れること間違いなし!!
だが、現実はそう甘くはない。
新人の料理人なんて奴隷と同じだ。
日の出前に出勤をしてひたすら野菜を剥いたり、手首がやられそうな作業を延々とやらされたり、残業はもちろんの事、厨房の掃除だって任されるし、家に帰るのも日付が変わった時間帯だろう。
そういった事情を考えると、女性からモテてウハウハ、なんてことを思う余裕は十年先位なんじゃないかと冷静になる。
そんなの嫌だ。二十五になって扱き使われるなんて辛すぎる。
しかしながら、俺から料理を取ったら何が残るのかと考える。
小さいころから習っていた剣術は、昔騎士をしていた師匠でもある父親からそれなりの腕という評価を貰ってはいたが、命を賭ける仕事はしたくはない。
だったら他に何が出来るかと思考を張り巡らせるが、答えは出なかった。
そんな事を考えていたら、家族の中で一番繊細な俺は一晩中悩み続けていた。
朝食を机の上に並べていた妹、エッセはこちらの顔を見るなり朝の挨拶をして、心配そうな表情で何かを言おうとしていたが、口をパクパクさせるだけで終わっていた。目の前に座る養子、ニゲルはいつもと同じく無表情で居る。
両親も席について家族が揃った所で朝食を食べ始めた。
今朝のメニューは丸いパンに野菜の切れ端と燻製肉の澄んだスープ、甘く味付けされた炒り卵とサラダという庶民臭いものだ。
ちなみに俺は家では料理は作らない。仕事は家庭に持ち込まないのだ。
「エッセー、今日のスープの味薄いよー」
「それ作ったの私だから」
「……」
なんとなく妹に八つ当たりがしたくて、普段はしない料理の駄目出しをしたら、母親の作品だったことが発覚した。母ちゃんはいつも濃い味付けの料理ばかり作るので、すっかり騙されてしまったのだ。
気まずい雰囲気の中でどうにか空気を変えようと軽い冗談を言ってみた。
「俺、王宮で働かないで自分探しの旅に出ようと思って」
沈黙。
聞こえていないものかと思い、もう一度同じ事を言えば、母は「あら、そう」と言ってささっと話題を流してくれた。
いやいや、冷たくないかい?
だが、これが我が家というものだろう。
エッセだけはチラチラとこちらを見ていたが、「お兄ちゃん、行かないで、一緒に三人で暮らしましょうよ!」なんて言う事も無い。
いや、三人暮らしなんて無理だ。いちゃいちゃな恋人未満な男女と一緒に生活なんて出来るわけがない、毎日お砂糖を吐き出してしまう。
結局、アルゲオ様から賜った鍋と馬を連れて、地味に旅立つ事となる。
世界中を旅立つ中で一人の少女と出会い、異世界の食べ物を追求することになるが、またそれは別の話である。
旅が終わればまたランドマルク領へと戻ってきて、食堂を開く事となった。
まあ、平々凡々な人生と言えよう。
【おまけ】 イーデムについて 完。




