ユーリアとお菓子と執事
「ユーリア、何をしているの?」
突然オクリースに声を掛けられた事により、ユーリアは本の世界から引き戻される。
ユーリアは現在厨房に居て、暇つぶしに本を読んでいる途中だった。
「え?何って本を読んで」
「違う、あれ」
あれ、と言ってオクリースが指し示しているのは、煙がもくもくとあがる竈で、ユーリアは悲鳴をあげながら手元に立てかけていた竈用の櫂を握り、火の元まで走ろうとしていたが、危ないと首根っこを掴まれ、行動を制限されてしまう。
オクリースは櫂をユーリアから剥ぎ取ると、煙が上がる竈の扉を火掻き棒で開け、中の物を取り出した。
扉を開けた瞬間、灰が厨房に広がり視界を奪う。
「げほっげほっ、何コレ?」
「ーーオクリース、それは炭です」
オクリースが竈から取り出したのは火を起こす際に入れていた大きな炭だった。
ユーリアは櫂を奪い返し、竈の中から目的の物を取り出す。
「げほっげほっ……」
「……」
竈から出されたものを木の皿の上に置き、小物入れからナイフを取り出す。
「ねえ、ユーリア。それも炭に見えるんだけど?」
「炭ではありません!失礼ですね」
オクリースは先ほど取り出した炭を、ユーリアが作った<何か>の隣に並べてみた。
「ほらユーリア、同じ」
「ーーッそっちは炭!こっちはケーキです!」
「ケー…キ?」
驚愕の表情を浮かべるオクリースを無視してユーリアは自称<長方形の黒い炭>に三箇所ナイフを入れる。
小気味良いザクッという音と共に、<長方形の黒い炭>は三つに分断された。
一つはオクリースの前に置かれたが、光の速さでユーリアの元へと押し返した。
「遠慮しなくても大丈夫ですよ?」
「ユーリア、これ炭だよ」
「ケーキです!!」
失礼な執事の前に再びケーキを置き、真っ黒のケーキにフォークを刺したが、ザクッという霜を踏んだときに聞くような音が鳴り、ユーリア自身も息を呑んだ。
「お腹こわすよ…」
「いいえ、いただきます」
意を決して口に黒い塊を放り込む。噛めばじわっと苦い味が広がり、舌は「これは食べるものでは無い」と拒否反応を示す。
思わず吐き出しそうになったが、食べ物を粗末にしてはいけないと思い、全て飲み込んだ。
オクリースが置いたばかりの果実水を一気飲みして、何とか苦い風味を打ち消そうとしたが失敗に終わる。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
「ユーリア、それもう捨てなよ」
「い、いけません。食べ物を、粗末にして、は…」
そう言って皿の上の炭を胃の中に押し込み、二切れ目を皿に取り涙を流しながら口の中へと運んでいた。
涙ながらに食べ進めるユーリアを哀れに思ったのか、はたまた興味本位かオクリースも<長方形の黒い炭>にフォークを刺し、一口食べる。
「……ゴミ」
「……」
一生懸命作ったケーキに「ゴミ」という心無い感想に文句を言いたくなったが、自身の口の中で暴れ回っているモノの正体はまさしくゴミなんだと気がついてしまい、言葉を失ってしまう。
なんとか二人で食べ終え、竈の掃除を始める。
「なんで作ろうと、思ったの?」
「姉上に食べさせようと」
「ラウルスに?」
「はい」
先日ラウルスとお風呂に入ったときユーリアは驚愕した。
彼女の姉の体には一切無駄な肉が無く、抱きしめられた時の硬い体は女性のものではないと思ってしまった。
なのでお菓子を沢山食べさせて太らせようという算段で、お菓子作りに臨んでいた。
しかし現実は上手くいかないものであると、ユーリアは落胆する。
「…どうやったらこんなに凄いものを、作れるのか」
「ち、ちゃんとレシピ見て作ったんですよ」
「え?」
「これです」
ユーリアは一冊の古ぼけた書物をオクリースに見せる。
「これ、どうしたの?」
「普通に書庫に置いてありましたけど」
受け取った本をパラパラと捲るが、本には一切挿絵が無く、おまけに擦れていて文字が読みにくい。そして何より書かれている言語は古の時代に使用された古代文字だった。
「ユーリア、これ読めるの?」
「半分位ですね。古代文字は独学なので」
「……」
古代文字を独学で学ぶなど不可能に近い。
魔術師団に所属する者でさえ古代文字を覚えるのを毛嫌いし、現代魔術の道に進む者がほとんどだった。
そもそも古の時代について書かれたものはごく僅かで、基本的には国の図書館に保管され、持ち出し禁止な筈だとオクリースは思い至る。しかし本のどこにも<ルティーナ王立図書>の所持印など押されてはいなかった。
「オクリース、どうかしましたか?」
「なんでもない、これ借りても良い?」
「かまいませんよ。古代文字に興味があるのなら地下の書庫に沢山揃ってますから、読みたい種類の本があれば言ってください。…何故か変な封印があって私と姉上しか入れないので」
「……?」
オクリースはこの場所に移り住んで十年になるが、城の中には知らないことが沢山あるのだとため息をついた。
「よく読めもしない本を見て、作ろうとしたね」
「手近にあった本がこれだったので」
「初心者が竈で作るお菓子なんて、無謀だと思う」
「初心者用のお菓子とかあるんですか?」
「……パンケーキ、とか」
「パンケーキ?」
「そう、じゃあ頑張って」
竈掃除で煤だらけになった顔を拭きながら、厨房から出て行こうとするオクリースの腕をユーリアは掴む。
「何?」
「パンケーキの作り方教えて下さい!」
「嫌」
「じゃあその本貸しません」
「……」
昔、何度かオクリースが作ったお菓子を食べた事があった。どれも美味しかったのを覚えていたユーリアは逃がさんとばかりに掴んだ腕に力を入れる。
「もう少しすれば、料理長帰って来るよ」
「今作りたいんです!お願いします!!」
「……」
結局オクリースはユーリアの迫力に負け、パンケーキの作り方を教える羽目になってしまった。
「パンケーキを作るのは、この粉」
数種類ある小麦粉の中から白い袋に入ったものを取り出す。
「他の物とこれはどう違うのでしょうか?」
「中のたんぱく質の量が違う。これは水を加えた時、粘りが少ない。だからお菓子作りに適している。こっちの赤い袋の粉は粘りの元であるグルテンが多い、パンとか作る。最後のは前の二つの中間位の性質で、めん類とか作る」
「なるほど」
勉強熱心なユーリアは教えてもらった事を一字一句ノートに書きながら聞いていた。
薄力粉、膨らし粉、砂糖にバター、牛乳、卵、塩、バニラエッセンスと全ての材料を量り、順番に混ぜ合わせていく。
熱したフライパンに生地を流し込み、表面に穴があいたらひっくり返し、同じように焼く。
「串を刺して生地が付かなかったら、完成」
取り出した皿に完成したパンケーキを二枚重ねて置き、バターを添えて上からメープルシロップをたっぷりとかけ、ユーリアに差し出す。
「さっきの、口直し」
「あ、ありがとうございます」
厨房にある休憩用の椅子に座り、勝手に取り出したナイフとフォークを使い、ユーリアはパンケーキを口にした。
出来たてなので表面はカリッとしていて、中はモチモチとした食感で、素朴な甘さが口の中に広がる。
「おいしい…」
先ほどのケーキとは雲泥の差だとユーリアは思った。
自分の分が完成したオクリースも隣に座り、食べ始めた。
「ありがとうございます、がんばって練習します!」
「うん」
二人は喋らずに黙々と食べ進めた。
◇◇◇◇◇
ユーリアが練習したパンケーキを持ち込む先はいつも決まっていた。
出された相手は文句を言わずにもくもくと食べ進めている。
「ユーリア、これはもうお店で出せる水準に達している」
「感想は聞いて無いので大丈夫です」
「……」
「……」
「…では、何故ここに居る?」
「きちんと食べているか見ているんです」
「……」
アルゲオは積み上げられたパンケーキを一枚、一枚と攻略するが、口の中が限界だと訴えているのを無糖のコーヒーで黙らせ、再び甘い山を崩す作業を再開させる。
「ーー知ってますか?アルゲオが街で何と呼ばれているか」
「なんの話だ?」
アルゲオやフロースのような銀の髪はこの辺りでは珍しく、どこに行っても注目の的となる。
フロースを見かけた人たちは「まるで天使のようだ!」と絶賛するのに対して、アルゲオを見た人々は恐怖に震えていた。
部屋に引きこもってばかりいる為、顔色は白を通り越して青く、分け目も付けず全て後ろになで上げた髪型により、やせ細りこけた頬は露わになり、不健康な見た目を強調させる事となる。
そしてもっとも悪影響を与えているのが、血走った目とその下にある隈だった。
「皆、アルゲオの事をランドマルクの吸血鬼と呼んでいます」
「……」
「悪さをする子供に<悪戯ばかりしていると、夜にアルゲオ様が来て血を吸われてしまいますよ>と言えば子供達は皆、大人しくなるそうです」
「……」
「もっと太って下さい。そして出来れば筋肉と体力をつけて下さい」
「太れはまあ、理解したが、筋肉と体力はなんだ?」
「……」
ユーリアは書類の山を見て手伝いましょうか?声を掛けるが、アルゲオはこれ位なら三時間ほどで片付くと言って断った。
「それで筋肉と体力の必要性とは何なんだ?」
「ーーアルゲオには頑張ってもらわなければいけません」
「だから何をだ?」
「それは姉上の…」
話の核心に入ろうとしていた時、執務室の扉が勢い良く開かれる。
合図も無しに入って来たのはアルゲオと同じ銀色の髪を持つ娘、フロースだった。
「筋肉を付けたかったらお菓子ではなく肉、魚、豆よ!」
「肉、魚、豆…!?」
「そう」
「た、たとえばどんな料理がいいのでしょうか?」
「そうね、焼いた肉をまる齧りとか、生で魚を食べるとか、全力で豆まきしてみるとか」
「なるほど!!」
「ーーおい」
暴走を始めるフロースとユーリアに突っ込みを入れたが、聞く耳など無く、当の本人を無視してアルゲオの肉体改造についての話で盛り上がっている。
「お父様が筋肉質になったらかなり気持ち悪いわね」
「しかし頑張って頂きたいので!姉上とは十八も歳が離れていますし、とても保つとは…」
「ん?」
「え?」
フロースの視線が途端に厳しいものへと変わる。
その燃えるような瞳にユーリアは悪寒を感じ後ずさったが、両肩をがっつり掴まれ、気がつけば唇と唇が付きそうな距離にフロースの顔があった。
「い、痛…!フロースの睫毛が目に」
「ちょっと、向こうでお話しない?」
「い、いえ…今から用事が」
「大丈夫よ、すぐに済むわ」
顔面蒼白となったユーリアはずるずるとフロースに引かれ退室する。
残されたアルゲオは「なんのこっちゃ」と残りのパンケーキを口にした。