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クマの親子とフロースと-1

 九日間の不在の為久し振りとなってしまった街の見回りを終えたラウルスは、乗っていた馬をニゲルに任せ、そのまま玄関へと向かう。

 ディエースが歩きやすいようにと雪かきをしていた道を歩いていると、玄関前に全身黒尽くめの長身の男が立っているのに気が付いて、今日は来客があったかと記憶を掘り起こしてみたが、そんな予定は無かったはずだと思い至る。依然として玄関前に身動ぎする事無く立ち尽くす男は、膝下まである長い革のコートを纏い、フードまで被っているので、かなり怪しい格好をしている様子が後ろ姿を見ただけで分かる。念のために腰に佩いた剣の柄を握り締めながらラウルスは声を掛けた。


「ーーちょっと失礼、うちに何か用かな?」

「!」


 声を掛けられ振り返った男はフードで頭はほぼ隠れていたが、右目だけ長い銀の前髪で覆われており、左目は鬱蒼とした森を思わせる暗い緑の瞳がラウルスを静かに見下ろしていた。かなり顔の整った男だったが、寝不足なのか目の下にはくっきりと濃い隈が刻まれており、どことなく陰気な雰囲気をかもし出している。その顔は初対面であるにも関わらず誰かに似ている気がして、ラウルスは失礼だと思いながらも、好奇心には勝てずにまじまじと観察してしまった。


「ふむ。君は…誰かに似ているな。銀髪に目の下の隈に深緑の瞳…」

「……」


 お互い見つめあう形になっているが、どちら共目を逸らすという選択肢は無いとばかりに視線は交わったままで、寒空のもと沈黙は続く。


「誰だったかな…、背丈はクマカレーと同じ位か。そういえばあの人も銀髪……あ!」

「!」

「そうだ、アルゲオだ! 君は私の家令によく似ている!」

「!!!!」


 ラウルスの閃きの叫びを聞いた途端に男は口元を押さえ、そのまま雪面へと倒れこんでしまった。

 突如倒れた人物は揺すっても軽く叩いても意識が戻らず、念のために脈拍を調べたら単に眠っているだけだと判明し、このまま放置する訳にもいかないので、城の中に運び入れる事を決める。

 ラウルスは倒れた人物を担ぎ上げようと掴んだ腕を肩に回していたら、丁度ニゲルが帰って来て、役目の交代を申し出たので、言われるがままに引き下がった。そしてニゲルは軽々と身長180以上はあろう男を軽々と担ぎ上げ、ラウルスの代わりに城の中まで運んだ。


 用意した客室に男を寝かせ、危ない人物だといけないのでエッセやドミナに近づかないよう言い付けた後、アルゲオの居る執務室へと異動する。

 執務室には珍しくフロースも居て、休憩中なのか仲良く並んでソファに座りお茶を飲んでいる様に見えた。


「なんだ? 仲良しさんだな」

「どこがよ!」「どこがだ!」

 

 ラウルスは息の合った返しをする親子の前に座り、自分もお茶を飲もうかと目の前にあった茶器に手を伸ばしたが、その手をフロースに止められてしまった。フロースは出涸らしのお茶を茶葉やお湯を捨てる陶器の容器に入れ、新たに紅茶を淹れ換えてラウルスに差し出す。


「どうした? 今日のお前の仕事は片付けたぞ」

「ああ、それが、先ほど玄関前で倒れている人を拾った、という報告を…」

「なんですって!? 知らない人を城の中に招き入れるなんてどういうつもりかしら? 何か病気を持っているかもしれないのに怖ろしいことを!」

「す、すまない、しかし…」

「もしも病気だとしてここに連れて来ても治療はできないわ。身元を調べて街の病院に連れて行くべきよ」

「外傷も無く脈拍も正しかったから単なる寝不足と判断して連れて来てしまった…勝手な事をして申し訳ないと思っている。--しかし、似ていたんだ」

「は? 誰によ」

「銀色の髪に緑の瞳を持つアルゲオと同じような身長で、目の下の隈が酷い二十代後半位の男性だったんだが…」

「……」

「……」


 フロースとアルゲオは互いに顔を見合わせ、二人揃って立ち上がるとラウルスに拾った男の居場所を吐けと脅迫めいた勢いで迫った。 


◇◇◇


 客間には険しい表情のアルゲオとフロース、状況が飲み込めていないラウルスに、玄関口に居た男と一つの机を囲んでいる。いきなり叩き起こされた男は寝足りない様子で瞼も半分しか開いておらず、また一言も言葉を発しようともしなかった。

 そんな気まずい雰囲気は一生続くのではとラウルスが考え始めた時、フロースが机を拳で叩いて船を漕ぎ出していた男を睨み付けた。


「ちょっと!! どういうつもりなの」

「……」

「何とか言いなさいよこの唐変木とうへんぼく!!」


 フロースの前に座る男は叩かれた机の音で目を覚まし、罵るフロースをじっと見つめたまま口を開くが、ーーやはり言葉を発しようとはせずに開いた口もそのまま閉ざされてしまう。


「フロース、止めるんだ。彼にも事情が」

「事情も何もあるものですか!!」

「どういう事だ?」

「……ラウルス、こいつは俺の息子だ」

「!!」


 今まで腕を組んだまま静観していたアルゲオが今にも殴りかかりそうな勢いのフロースを制す為に口を挟んだ。


「アルゲオの…ではあなたがレグルス殿か?」


 男、レグルス・ユースティティアはラウルスの言葉に微かに頷いて反応を見せる。


「会った時アルゲオに似ていると思っていたんだ。なるほどな、三人ともそっくりだ」

「なんで私まで入っているのよ!」

「フロースも目元や口元がアルゲオに似ていると思っていたんだが」

「まあ!! なんてこと、今の言葉を聞いたかしら、お父様?」

「聞いたも何もお前も俺の子だから不思議でもなんでも無いだろう」

「……全く、解せないわ」


 父親に似ていると言われ不服そうなフロースを余所に、三人が揃うというのは実に十年ぶりの事らしく、久々の親子の再会となった。

 隣国ツーティアに仕事の為に行った帰りでその後の予定は何も入っていなかったので、父と妹の居るランドマルク領にでも寄ってみようと思い立ち寄ったのかとフロースが兄の行動を予測し、合っているか本人に訊ねれば、その通りだと頷いていた。


「こいつは隠密機動局で諜報活動や密偵をしている」

「ユースティティア家の影の家業か」

「そうだ」


 歴代のユースティティア家の公爵が局長を務める<隠密機動局>とは、一般の市民は知らされていない隠された存在で、ありとあらゆる情報を掴み、国の発展の為に尽くすという情報収集の玄人が集まった組織だ。

 また国の<隠密機動局>には属さずに個人的に公爵家に仕え、当主の補佐や護衛などを行う<影の者>という集まりも存在し、現在フロースの護衛を目的とする者も数名ランドマルク領に紛れ込んでいるはずだとアルゲオはラウルスに説明していた。 


「今はレグルスが局長を務めている」

「お父様は宰相を辞めた後、お祖母様の跡を継ごうとしていたのよね」

「…その予定だったが、悪い領主に捕まってしまったからな」

「公爵家にも迷惑を掛けていたのか…」

「そんなに気にすることではないし、公爵家も迷惑に思っていない。--それはそうとレグルス。先ほどから一言も話さないが、まさか極度の人見知りがまだ治っていないとか言うんじゃないだろうな?」

「……」


 いきなり自分に話題が振られ、レグルスはビクリと肩を震わせる。まさにそのまさかだという己が息子の反応を見てアルゲオは眉間の皺をさらに深め、緑の瞳を細めつつ齢三十を前にして他人との意思の疎通が上手く出来ないレグルスを見ながら腑甲斐無いとばかりに息を吐いていていた。

 しかしながらレグルスがこんな風になってしまったのも、父親である自分が幼少期に期待をかけ過ぎたせいもあるのではと思い、それ以上アルゲオは責める言葉を掛けようとはしなかった。 


「??」

「ラウルス、お父様はそれはもう厳しくお兄様に躾をされて、とても繊細なお兄様はそれが心の傷となって、あまり喋らなくなったのよ。昔はお父様のお名前を聞いただけで失神する事もあったの」

「そ、そうだったのか」


 いましがたレグルスが倒れた時も、アルゲオの名を聞いた直後に失神したように思えたが、かのユースティティア家の公爵様の名誉の為にラウルスは黙っていた。

 ラウルスは話題を変える為に、なんとなく気になっていたことについてレグルスに聞いてみる事にした。


「レグルスは独身なのか?」


 ラウルスの問いかけにレグルスはコクリと頷く。隠密機動局は少数精鋭での活動を行っており、休む暇もない程の過密な予定を組まれる事が常だった。そんな事情もあり、女性との出会いも無ければ、他人との接触も極力避けているレグルスに結婚相手が見つかる訳も無かった。

 そんなレグルスが不在の公爵家を取り仕切る彼の祖母も、二回にも渡るアルゲオの失敗を見てきたので無理に結婚を薦めようとはせず、跡取りは隠密機動局の中から優秀な者を養子として引き取ればいいと軽く考えている節もあるという。


「なあに? ラウルス、ユースティティア家うちにお嫁に来たいとでも言うのかしら」

「……いや、今の私には既に心に決めた人が居る」

「そう、心に決めた人が…… ーー!? なんですって!? どういう……最近まで来る人拒まずだったじゃない!!」

「決めたのは最近の話なんだが、なんでも私の悪い所が改善出来れば結婚してくれるらしい」

「一体誰なの? どこの馬の骨よ!! ラウルスに悪い所なんて無いじゃない!! その男、碌な奴じゃないわ!!」


 フロースの隣に腰掛けていたアルゲオが、口に含んでいた紅茶を思わず噴出しそうになり、なんとか飲み込んで耐えたが、今度は飲み込んだものを気管に引っかけてしまいゴホゴホと激しく咳き込んでいた。


「…嫌だわ、お父様。紅茶位お上品に飲めないのかしら?」

「ーーお前が、いらん事を、言うからだ」

「はあ?」


 アルゲオの発言の意図が分からずに、フロースは不審な視線を父親に投げかけていた。


「まあ、私の話はいいとして…レグルス、今日は泊まって行くといい。今日に限らず好きなだけ滞在しても構わないよ。それから夕食を」

「ーー駄目よラウルス」

「ん?」

「お兄様は恥ずかしがりやだから人前で飲食をなさらないの」

「そ、それは…そうか、了解だ。それではお風呂でも入ってゆっくり休むといい。食事もここに運ばせよう」

「愚息が迷惑をかける」

「ごめんなさいね、ラウルス」

「そんなことはないよ。私はレグルスに会えてよかった」


 そう言いながらラウルスはレグルスの手に触れようとしたが、即座にフロースに邪魔をされてしまった。


「ーー?」

「本当に恥ずかしい話なんだけど、お兄様はあまり親しくない人に触れられると混乱して大変な事にあなるのよ」

「……なるほどな。その混乱を見てみたい気もするが……我慢しておこう」


 レグルス・ユースティティア。恵まれた武術における才能と麗しい外見、任務を確実に遂行する事から国王の信頼も厚く、働かなくとも一生遊んで暮らせる財産を持ち、王族としての確かな血筋を受け継ぐ誰もが羨む青年だったが、とても残念な性質をしていた。そんなレグルスの性格をアルゲオは自分のせいだと考えていたが、それは生まれ持っていた気質なので、他人がどうこう言った所で治る訳が無かった。


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