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ユーリドット帝国にて<宿屋>-1

 ランドマルク領を出発して四日目の夕暮れ時に、ユーリドット帝国の帝都マグリオンに一行は到着した。


 ユーリドット帝国はルティーナ大国を南下し海を越えた先にある島国で、帝都の周囲のみ水分を含んだ砂で囲まれているという一風変わった地形をしている。島国を真っ直ぐに横断する運河と地下水脈の恵みで栄えたマグリオンは、砂漠の街とは思えぬ華やかさがあった。生活様式もルティーナとさほど変わらないが、魔術師の数が絶対的に少ないこの国は、生活と魔術というものは切り離されており、外国から取り入れた科学の力を頼って暮らしているという。


「ーーという訳であの街頭は魔術の力で点灯している訳ではない」

「それは凄い」


 一方のルティーナはほとんどが魔術を頼りに暮らしている。街の灯りには魔法陣が刻まれており、外が暗くなれば灯りが点る様術式が組まれていたり、公園の噴水などには水の精霊を召喚して管理を任せたりなど説明すればキリがない程、生活と魔術は密に関係していた。それを可能としている最大の理由は大精霊<オブシディアン>と聖女<ルーセント>の存在で、彼らの加護と恩恵の力によって大国は豊富な魔力が溢れている。そんな伝説にもなっていたルティーナの始祖とも言える聖なる一角獣オブシディアン乙女ルーセントの姿は王家の家紋にも描かれていた。


「お待たせしました」


 街の様子についてあれこれ話しているうちに、入国の手続きを終えたルプスがやって来る。


「これが入国証明でこっちが身分証です」

「ラウルス、失くすなよ」

「ああ、大丈夫だ」


 そう言ってラウルスは胸ポケットに貰ったものを仕舞った。


「入城許可証は街の中にあるギルドが発行しているそうです」

「窓口は別か」

「はい。あと自分は常時竜についてますのでここを離れる訳にはいきませんので、アルゲオ様とラウルス様で行って頂けますか?」

「分かった」


 そこでルプスと別れ、ラウルスとアルゲオは帝都マグリオンの街へと繋がる門を通過した。

 街に入るとまず綺麗に敷き詰められた石畳が目に付いた。門の外に広がる砂は一粒たりとも街の中には存在しない。

 ルプスの言っていたギルドは街に入ってすぐ目の前にあった。日も沈み辺りは暗くなっていた為、ギルドに出入りしている冒険者達で建物の中はごった返しているようだった。


「お前はここで待っていろ」

「了解だ」


 手続きは人数分の身分証を持っていれば申請する人が複数分を取得する事が出来るので、アルゲオは一人ギルドの建物の中へと入って行く。残されたラウルスは壁に寄りかかった街の様子を眺めていた。夜になりかけている時間だというのに行き交う人々の混雑は緩和されず、仕着せを身に纏う若い娘の姿も確認出来た。


(ルティーナでは夜乙女が一人で出歩くと、聖なる一角獣オブシディアンが攫いに来ると言われているが、ここはそういった女性が一人で夜に出歩いてはいけないという言い伝えはないんだな)


 ラウルスは道を歩く女性の視線を感じていた。偶然に目が合えば微笑み返していたが、すぐに逸らされてしまう。何かおかしな格好をしているのだろうかと己の姿を確認するが、白いシャツの上に洋紅カーマイン色のベストを着込み黒いズボンにブーツという、ジャケットを羽織れば夜会にも参加出来そうな装いだったが、国が違えば何かが可笑しく映るのだろうかと思惟に耽る。

 

『****!!』

『****、****』


 突然男の怒号の様な声が聞こえ、ラウルスは聞こえて来た方角を見る。そこには厳つい顔の男とメイド服を着た十代後半位の少女が居て、周囲には赤い瓜が散乱している。男の白いジャケットに潰れた赤い瓜が付着しており、少女はペコペコと頭を下げていた。


(ああ…あの子は持っていた瓜入りの籠ごと転倒して、男のジャケットに潰れた瓜が跳ね返って来たんだな)


 今にもか細い少女の胸倉を掴んで殴りかかりそうな雰囲気さえ漂わせている男は、ジャケットについた赤い瓜を指差しながら息をする間もないのではという位の勢いで責め続けている。そんな男女の様子を気にする者は誰も居ない。偶然近くにいたラウルスが気がついただけで、彼ら以外にも往来で揉めている人達は数多く存在し、目の前の光景だけが特別では無かった。

 しかし見てみぬ振りが出来なかったラウルスは男と少女の元に近づき、まあ落ち着けと二人の間に割って入る。


『***、**!!』

「済まない。帝国語は分からないんだ」

『******!!』


 突然間に入って来た第三者の登場にに男は激昂し、ラウルスを目の前から退かそうと勢い良く腕を突き出したが、スルリと避けられてしまう。地団駄を踏んで怒りを現す男を宥めようとラウルスは解決策を口にしてみた。


「少し落ち着いてくれ、彼女が怖がっている。--良かったらその上着は私が洗おう。丁度この前瓜の汁の落とし方をドミナから聞いたばかりなんだ」


 言葉が通じないから必死に動作で伝えたが、男の鼻息は荒くなるばかりでラウルスはどうしたものかと肩を竦める。


『**、*****!!』


 突然男は目つきを変え、ラウルスの左耳にある青く細長い菱形の宝石が付いたイヤリングを指差し、それを代わりに寄越せとばかりに手のひらを差し出してきた。しかしラウルスは首を振って拒否をする。


「これは駄目だ。贈り物なんだよ」


 言う事を聞かないラウルスに男の怒りの沸点も最大級まで上昇し、ついに懐に隠していたナイフを抜いてわき腹目掛けて突き出したが、その刃が届く前に腕を取られてしまい、捻りあげ背に回した手からナイフがこぼれ落ちる。男が落としたナイフをラウルスは足の裏で押さえ、掴んでいた腕を乱暴に放した。


「人通りの多い場所でナイフは良くない。騎士のお兄さん、こっちだ」

『*******!!』


 騎士団の制服と思わしき衣装に身を包んだ者達が騒ぎを嗅ぎつけてこちらへと走ってくる。男は何らかの前科者だったらしくその場で拘束され有無を言わさず連行されてしまった。


「帝国騎士は仕事が速いなあ…」


 関心しながら騎士達の後姿を見送っていると、袖を弱々しく引かれ振り返れば先ほどの少女が申し訳無さそうな面持ちでラウルスを見つめていた。


「怪我はなかったかい?」

『*******!!』

「気にしないでくれ」


 メイド服を着た少女は頭を深く下げ、お礼の言葉と思わしき言語を何度も繰り返していた。


「早く帰らないとご主人様が待っているのでは?」


 ラウルスは潰れていない赤瓜を拾い、籠の中へと丁寧に入れて少女に手渡す。


「*****…******!」

「もうお行き。夜が深まってしまうよ」


 震えが止まらない少女の肩を優しく叩き、どこが仕え先かは分からなかったが、遠くを指差して帰るように促した。少女は何かを思い出したかのようにポケットからメモ紙を取り出し、サラサラと文字と地図のようなものを書いてラウルスに差し出した。帰り際も何度も振り返っては頭を下げながら最終的には人ごみに呑まれて見えなくなってしまった。


「どうかしたのか?」


 背後からアルゲオがやって来て、中途半端な場所にいるラウルスに声を掛ける。


「アルゲオか。早かったな」

「ああ。入城許可証も窓口だけ独立していたからな」

「そうだったのか」


 そして帰って来たアルゲオに先ほど少女から貰ったメモ紙を渡して何が書いてあるのか訊ねた。


「…?助けてくれたお礼の文と宿屋が決まってなかったら泊まって行ってくれという内容の一文と地図だな。何かひと悶着を起こしたのか?」

「いや…まあ、そうだな」

「お前は…揉め事に自分から首を突っ込むなと言っていただろう」

「しかし見ない振りは出来なかったんだ」

「……」


 アルゲオは深い息を吐くと遠くの壁側に放置された荷物を取りに行って、少女のメモを頼りに道を進み出した。 


◇◇◇◇◇


 少女の地図にあった宿は食堂も兼ねた店でこじんまりとしていたが、店内は活気で溢れ食堂は満席だった。丁度傍へとやって来た従業員にアルゲオは帝国語で話しかける。


『エリカ・ヴァルフォーレの紹介だ』

『あら、あなたがエリカの王子様?やだ、私ったら<王子様>と<小父様>を聞き間違えたのかしら?』

『……』


 王子様と小父様のどちらも当てはまるアルゲオだったが、少女を助けたのはラウルスなので<王子様>が正解だろう。


『助けたのは連れだ』

『ーーまあ!!』


 アルゲオの後ろに居たラウルスを確認するや否や従業員の女性の頬は紅く染まり、少しだけ声も高くなった。


『二階に部屋を用意しているわ。もちろん料金はあの子払いだから不要よ』

『…いいのか?』

『ええ、あの子も社会勉強になったもの。お城でしか働いた事の無い箱入り娘なのよ、彼女』

『そうか…だったらお言葉に甘えるとしよう』

『食事は済ませたかしら?』

『いや』

『だったらすぐに用意するわ。それからそこの机の上にある宿帳に名前と住所を書いて頂けるかしら』

『ああ』

『部屋が余っていて良かったわ!王子様、先に部屋鍵を渡しておくわね』


 アルゲオが宿帳の記入をしている間に従業員の女性は部屋の鍵をラウルスに手渡す。持っていた手荷物は奥から出て来た屈強な男に従業員が持って上がる様軽い動作だけで指示を出し、手持ち無沙汰となったラウルスだけ先に食堂の中へと案内をされた。


 数分後、宿帳への記入を済ませたアルゲオが見た光景は、数人の女性を左右に侍らせたラウルスの姿だった。


「アルゲオ、済まない。先に飲み物だけ戴いていた」

「……」


 どうにかして酒は飲めないと伝える事に成功していたのか、机の上には瓶に入った色取り取りの果実汁が並べられている。ラウルスの空になった杯に傍に居た女性が果実汁を注ぎ入れ、笑顔で差し出していた。アルゲオが席につくとそれを待っていたかのように料理が次々と運ばれ、あっという間に机の上はいっぱいになってしまう。

 因みに取り囲んでいる女性の中にラウルスが助けた少女は居ない。ユーリドット帝国では二十歳未満の少女を夜の店で働かせる事は禁止されているのだ。人手が足りない時はこっそり働いてもらう事もあったが、お使いで頼んだ品を半分も駄目にしてしまった罰として、今夜に限り部屋の中で反省をするよう店主が少女に命じている。

 

 言葉が通じないラウルスだったが、アルゲオに訳をしてもらったり、互いに動作だけで伝えたりと意思の疎通で困る事は奇跡的に無かった。


『王子様はお幾つなの?』

「アルゲオ、何と言っている?」

「…歳はいくつだと」


 ラウルスは指で三と一を作って自らの年齢を伝えた。


『やだぁ、指で歳を教えてくれるなんて小さい子みたい』

『三十一歳なのね』

『いつまでも少年の様な感性を持った人っているのねえ』


 何故言葉が通じないのにラウルスも女性陣も楽しそうなのかアルゲオには理解出来なかったが、出された料理は美味しく、ついでに酒も旨い。そんな事もあってアルゲオの機嫌もそこまで悪くは無かった、ーーーー十分後に発生する<悲劇>が起こるまでは。 


「そういえばこの国で黒い髪に黒い目は珍しいのだろうか?」

『…黒髪黒目は帝国では珍しい存在か?』

『ええ、そうね…黒っぽい髪の人は沢山いるけど、漆黒っていうの?そういう髪色の人は稀ね』

「あまり居ないらしい」

「そうか。なら、黒い髪黒い目を持つ騎士は知っているか?」

『…黒髪黒目の騎士を知っているだろうか?』

『見た事無いわね』

『ねえ、エリカの彼氏とたまに一緒に来ていた騎士のおじさん黒髪じゃなかった?』

『あの人は白髪混じりだから黒髪なのか…それに大体にこにこしているから瞳の色を気にした事はなかったわね』

『っていうか~やっぱりエリカあの目つきの悪い騎士と付き合っているの?』

『まだじゃないかしらあ?でもきっと時間の問題よ。今度聞いてみましょうよお』

『ちょっと!エリカは多感な年頃なんだからやめなさいよね』


 話が脱線してしまい、訳する必要性を感じない会話を無視してアルゲオは白髪混じりの騎士の話だけラウルスの伝えた。


『ここの食堂はお昼時は騎士様でごった返すわ。エリカの騎士様も時々いらっしゃるから、明日もし来たら教えるわね』

『頼む』


 一応ニゲルに姿絵を描いてもらったが、絶望的に絵心が無くそれを参考とした判別は無理だとアルゲオは勝手に判断していた。

 話が盛り上がりすぎてラウルスの杯が空になっているのに女性は気がつき、慌てて果実汁を注いだ。もう飲めないとラウルスは思っていたが、申し訳無さそうに差し出されたそれを苦笑しながら一気に呷る。


「!!」


 ラウルスの飲んでいた果実汁の中に一つだけ酒が紛れ込んでいた。それは口当たりの甘い果実酒で、ラウルスはアルコールの匂いにも気付かずに一気飲みをしてしまった。 


 急に大人しくなったラウルスを近くに居た女性が覗き込んだが、黙したまま荒々しく肩を抱き寄せ、頬に口付けをした。


『キャア!!』

『え、なに?今の』

『ええ~エイミだけズ~ル~いい~!』


 私も私もと詰め寄る女性の手の甲や額にラウルスは次々と口付けをし、その場はこの日一番の盛り上がりを見せた。


「……」


 アルゲオは酒に呑まれたラウルスを見るのははじめてだった。本人の主張する通り酒は飲まない方がいいと呆れ返る。


 これ以上被害を広めてはいけないとラウルスの首根っこを掴み、従業員の女性にラウルスの部屋の番号を聞いた。


『205号室よ。鍵は王子様に渡してあるわ』

『ーー迷惑を掛けた。謝罪は明日言わせよう』

『いえいえ…むしろお礼を言いたい位だったわあ。うふふ』

『……』


 足元が覚束無いラウルスをアルゲオは引きずるように部屋へと連れ帰り、鍵を渡せと言う。


「おい、鍵を出せ」

「……」

「おい!!」

「何でしょうか、殿下」

「誰が殿下だ!鍵を寄越せと言っている」

「鍵…?」

「宿の従業員から貰っただろう」

「……?」

「覚えていないのか!?」


 舌打ちをしたアルゲオはこれでは埒が明かないと思い、勝手にラウルスのズボンのポケットを探る。左右のポケットの中に鍵は入って無かった。


「……」


 残りは尻ポケットと胸ポケットだったが、どちら共探るには微妙な場所だ。


「胸のポケットか尻のポケットに鍵が入っているだろう!?さっさと出せ」

「殿下…私は鍵っ子では…無い」

「馬鹿か!先ほどから意味の分からない事を」


 アルゲオはラウルスの尻ポケットを見る。何か入っているようには見えなかった。


「おい、胸ポケットだ」

「……」

「クソッ…!!」


 昨日は財布を盗られていると手っ取り早く知らせる為に胸ポケットを叩いたが、それと今回の状況は訳が違う。そんな時に限ってウルスの左耳で揺れるイヤリングが視界に入り、余計にアルゲオを慌てさせた。


「頭が割れるように痛い」


 ラウルスのその言葉を皮切りにアルゲオは意を決して胸ポケットを探った。


 結果から言えば鍵は胸ポケットの中にあった。とりあえず中へ入り、灯りも点ける前に酔っ払いを寝台の上に放ったあと、鍵は一つしか入っていなかった事に気がつく。この部屋は二つ寝台があった。非常に嫌な予感がしてラウルスに自分の部屋の鍵の所在を問いただす。


「ラウルス。俺の部屋の鍵は貰っていないのか?」

「……」

「おい!!」

「……」


 アルゲオはもう片方の胸ポケットを探す為ラウルスのベストを脱がそうとボタンに手を掛けていたが、突然扉が開かれ廊下から入ってくる光に目を細めた。


『あ、あら…ごめんなさいね。タオルの用意をしていなくて…こんなに早くおよんでいるとは思わなくて。ベッド小さかったかしら?この部屋しか空いていなくてごめんなさいね』

「は?」


 従業員の女性はタオルを机の上に置いて『ごゆっくり』と言って部屋から去って行った。


「ーー部屋はここしか無い?」


 女性が言った衝撃的な事実にアルゲオはそれ以上の言葉を失ってしまった。

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