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家令+隈で

 のぼせたユーリアの世話を侍女に任せた後、ラウルスは髪を乾かし、自らの執務室へと足を向ける。

 扉を開くと執務机に中年の男が腰掛け、書類を睨みつけていた。


「おお!クマカレーではないか」

「ーー何故ここにいる?」


 ラウルスは長椅子に腰をかけ、クマカレーと呼ぶ男に帰宅までの経緯を語った。


「そんな訳でユーリアは可愛かった」

「そうか」


 主人の戯れた話を男は聞き流し、書類の選別をせっせと進めていた。

 その眉間には深い皺が刻まれており、文字を追う深緑の瞳は不機嫌の色が滲んでいるようにも見える。

 そして目の下にはくっきりとした隈が刻まれており、彼の人相を殊更悪く見せていた。


「今日の隈は一段と酷いな。寝不足か?」

「いや、昨晩は十時間ほど就寝した」

「それは寝過ぎだ!オクリースじゃないんだから」

 

 ラウルスの突っ込みを物ともせずに仕事を進める男こそ、ランドマルクの家令アルゲオ・ラティオーで、毎日の様に目の下に隈をこさえていることから、ラウルスより「目の下のクマが酷い家令カレイ、略してクマカレー」という巫山戯ふざけた名前で呼ばれている。

 ランドマルク領の発展はこの家令の手腕のおかげで、今の安定した生活があると言っても過言ではない。

 十年前のこの城の内部はとても普通に生活できるような状態では無かった。


◇◇◇◇◇


 十年前、半月遅れで妹以外の家族の訃報を聞きつけたラウルスは、騎士を辞め故郷に帰る事を決意する。

 半月も知らせが遅れた理由は隣の国まで遠征に行っており、連絡の行き違いがあった事と、近隣に住む父親の弟が勝手に葬儀などを進めていたからでもあった。

 妹のユーリアは街から直接勤務していた使用人が保護をしているらしいと聞き、一先ずは安心をする。

 その使用人の報告によると、ラウルスの父親は使用人への給金を三ヶ月滞納しており、領主一家が事故死したという一報が入った瞬間使用人達は、給料と退職金代わりだと言わんばかりに城の調度品や金になりそうな品を根こそぎ持ち出し逃げ出したという。

 数年前からランドマルク領の困窮ぶりを聞いていたが、ここまで酷い事になっているとはラウルスも知らなかった。

 今すぐにでも帰って妹を抱きしめたいとも思っていたが、このまま手ぶらで帰る訳には行かない。

 そんなラウルスがはじめに向かったのは退職間近という噂が流れていた宰相の元だった。

 一日中ほとんど休みを取らないで仕事をする鬼宰相の名はアルゲオ・ユースティティアといい、王弟殿下、公爵家当主と様々な肩書きを併せ持つ。

 そんなアルゲオの戸籍にはバツが二つもついており、いずれも政略的な結婚の末路であったが、目の下には毎日の様に隈を作り、常に不機嫌に歪められた顔を突きつけられれば逃げたくなるというのも頷ける。

 アルゲオの仕事に変化が訪れたのは五年前、ハイラス・ララという少年が補佐についた時からだった。

 彼は多くの仕事を他の優秀な補佐に分けるよう進言し、アルゲオの負担を軽減させる事に成功する。

 そして一日に三度、宰相と補佐官全員で取ると決めた休憩もハイラスが決めた事で、休まない宰相を前に休憩をとる事が出来なかった補佐官達は心の中で歓喜したという。

 

 噂に聞いた休憩時間を狙ってラウルスは宰相が仕事をする部屋の扉を叩いた。

 無表情で紅茶を啜るアルゲオの耳元で若い補佐官が、ラウルス・ランドマルクという騎士が宰相を尋ねて来ているという事を耳打ちし、聞いた事の無い来客の名に眉を顰めたが、家名に覚えがあったので通せと命じる。

 入って来たのは第七師団の服装を身につけた騎士で、片膝を付きこうべを下げたまま名を名乗っていた。


「私の名はラウルス・ランドマルクと言います」


 おもてを上げろ言うと顔をあげ、空の様に澄んだ瞳と視線がぶつかる。


「何用だ」

「は。僭越ながらアルゲオ殿に求婚をしに参った次第であります」


 十四人いる補佐官のうちハイラス以外の人間全員が紅茶を吹き出す。


「意味が分からん」

「大切な事なのでもう一度言いますが、アルゲオ殿、私と結婚して欲しい!!」

「何が目的だ、金か?」

「それはもう、アルゲオ殿の体が目的だと!」


 ーー馬鹿だ、馬鹿が居る。部屋に居た補佐官は誰もがそう思った。

 アルゲオもランドマルクの名は聞いた事があった。隣国ツーティアからさほど離れていない位置にあるルティーナ最北端の土地の者だと記憶を掘り起こす。

 そして領主の訃報も入っていたなと思い至る。財産と統治の知識がある自分を連れ帰り、領土を治めようという魂胆かとアルゲオは考えていた。

 

「断る。お前と結婚してなんのえきがあると言うのか」

「ランドマルク領にはさっぱり何も無い。私自身も剣の腕しか能は無く、これといった魅力もないが、ユーリアは可愛い!!」

「ーー帰れ。俺は戯言に付き合っている暇は無い」


 死の宣告をするかのように、冷ややかにアルゲオは退室を言い放つ。

 ラウルスも引き際を分かっているのか、立ち上がると一礼し部屋から出て行った。

 その翌日からラウルスはアルゲオの元を訪れ、求婚を繰り返した。

 彼女は正直にランドマルク領の活気を取り戻す為に、アルゲオの協力が欲しいと言う。そして完全に手ぶらという訳でも無かった。


「現在ツーティア国は物の輸入をほぼ<異界堂>というあやしい商会に頼っている」


 隣国ツーティアは周囲を高い山に囲まれ、物を他国から持ち込む場合は全て<異界堂>を通し、商会が所有する竜で荷運びをしていた。


「私の領にも農業用の竜が居て、長距離飛行が可能な種族で、毎日の散歩が大変と困っている位なんだ。それを上手くしつけ直して輸送用に仕上げれば、収入の元となるかもしれない」


 今までは<異界堂>が決めた国や店などから強制的に輸入をしていたが、上手くいけばこちらが交渉してルティーナの品を多く買って貰えるかもしれないと話す。


「そのように上手くいくものか。昔から続く取引に首を突っ込めば大変な事になるぞ」

「それは問題ない。我が麗しの友人が<異界堂>の弱みを握っているのだ。それにこれはまだ公表されていないが、ツーティアの国王が暗殺されたらしい。新しい王になって色々と見直されるだろうし、交渉の余地はあると思われる」

「……」


 こんな風に真面目な話を持ち出す事もあれば、ひたすら妹について熱心に語る日もあった。

 そんな宰相府の騒がしい毎日は過ぎていったが、一ヵ月後、とうとうラウルスがランドマルク領に帰らなければいけない日が来てしまう。

 その日は忙しく、アルゲオに別れの挨拶に行く暇も無かった。


「おい」

「!」


 魔術部隊で拾った少年と、自分にくっついて離れない少女を連れ、馬車へ乗り込もうとした時、背後から声を掛けられ振り返るとそこには宰相補佐長官のハイラス・ララが居た。


「ハイラスか、挨拶も碌に出来ないままの出発となってしまった、済まない」

「いや、お前が来ないと仕事が捗って助かっている」

「そうか」


 厭味ったらしいハイラスの言葉をさらりと流し、ラウルスは微笑む。


「その子供たちはどうした?」

「こっちの茶色いのはさっき拾った。銀色のはついて来るって聞かないんだ」

「お前、誘拐犯になるぞ」

「責任を持って育てるつもりだ。まあ、苦労はすると思うが、ランドマルク領の現状を彼らも理解している」

「……」


 銀髪の少女はラウルスの腰に抱きついてハイラスを睨みつけていた。茶髪の少年は眠いのか欠伸を噛み殺している。

 そんな地獄行きへの馬車に乗ろうとしているラウルスにハイラスは宛名の無い封筒を差し出した。

 それは宰相府へ直接届く手紙の一式で、<速達>の印章が押されている。


「ハイラス、これは…!」

「困ったことがあれば、言え。話だけは聞いてやる」

「ありがとう、ハイラス君って奴は」

「分かったから早く行け」


まるで野犬でも追い払うかのようにハイラスは手を振り、馬車へ乗るよう促すと見送りもせずにその場から去ってしまった。


「さあ、行くか。ーー君らは…フロースにオクリース、それにニゲルも本当に付いてくるんだね?」


 馬車の御者をするつもりで御者台に座っていたニゲルは、静かな夜色の瞳をラウルスにまっすぐに向けるとゆっくり頷いた。


「当たり前よ!」

「毎日十時間寝ても良いって、言ったから」


 子供達の頭をぽんぽんと叩き、ラウルスは馬車に乗り込む。


「遅い」

「ああ、済まない。ハイラスに捕まって…え?」


 馬車に腰掛けていたのは腕を組み、相変わらず目の下に隈を作っていたアルゲオ・ユースティティアだった。


「どうして…?」

「誘ったのはお前だろう」

「ラウルス、入り口で立ち止まらないでくれる!?」


 フロースは入り口で立ち往生するラウルスの背中を押して、馬車に乗り込んだ。

 銀髪の少女は先に乗っていた人物を見るなり、驚きの声をあげる。


「お父様!?何しているの」

「見ての通り、悪い領主にかどわかされている途中だ」

「フロース、邪魔」


 オクリースは入り口を塞いでいたフロースを押しのけ呆然とするラウルスの横に座る。

 よほど眠かったのか、ラウルスの太ももを枕代わりに寝始め、その様子にフロースは悲鳴をあげる。

 それを合図と判断したのか、馬車は動き始めた。


「フロース、うるさい」

「う、うるさいじゃないわよ!なんであんたがラウルスの隣なの!?膝枕だって私もしてもらった事ないのに!!」

「ラウルスの太もも、固い」

「文句を言うのならそこを退きなさい!!あんたがそこに居たら私はお父様と座らなければいけなくなるじゃない」

「……」


 オクリースの意識は遠くに離され、フロースの言葉に反応することはなかった。

 

「言っておくが、俺はお金を持っていないぞ。爵位や財産などの煩わしい物は全て捨てて来たからな」

「もちろん、構わない、が…」

「どうした?」

「いや、なんでもない。ありがとう」


 ラウルスはすぐにいつもの調子を取り戻し、相好そうごうを崩していた。


「それと俺はお前と結婚する気は皆目無いからな」

「そうだったのか?私への結婚の決意と共に乗り込んで来てくれたものだと思っていたが」

「丁重にお断りをさせて戴く。結婚はもう真っ平だ」

「安心してラウルス!私が奥さんになってあげるから!」

「フロース。女性同士は結婚、出来ない」

「オクリース、後で覚えてなさい」


 恨みがましい視線を送るが、それが届く前にオクリースの瞳は再び閉ざされる。

 暗い雰囲気の馬車の中を明るくしようとフロースはラウルスに話しかけた。


「ラウルス、お金の心配なら大丈夫よ。お父様から貰った財産すべて使っていいから」


 公爵家の財産はきっちり配分してから、アルゲオは爵位を捨てたらしい。

 捨てたというよりは単に息子に家督を譲っただけだったが、宰相を辞める事に関しては多少の無理を通してきたという。


「お父様、どうやって伯父様にわがままを聞いて戴いたの?」

「この国には二十歳になると国王に我侭を言える権利が貰える。それを使って辞めただけだ」

「そうだったの」


 こうしてフロースとアルゲオと二人並んでいれば、良く似ていることが分かる。

 銀髪に深緑の瞳、不機嫌に歪んだ口元は驚くほどそっくりだとラウルスは笑う。


「何が可笑しい?」

「何が可笑しいのかしら?」


 ほぼ同時に放たれた突っ込みにラウルスは笑いが止まらなくなってしまった。


◇◇◇◇◇


「あの時は突然笑い出すから、気でも触れたのかと思った」

「いや、君ら親子があまりにもそっくりだったから、おかしくて笑ってしまったんだよ」


 いつのまにか昔話に花が咲いていた。


「ハイラス・ララが居なかったらここには来てなかっただろう」

「そうだね」

「アレは仕事の仕方が上手い。早く退いて正解だった」


 仕事を全て一人で抱え込んでしまうアルゲオとは反対に、ハイラスは周囲の補佐官にどんどん仕事を振って効率を上げた。


「俺は人の能力を信じることが出来なかったから、そういう事を思いつかなかった」

「しかしハイラスは言っていたよ、自分は宰相の仕事を一人で抱える事は不可能だと。あの仕事量を単独でこなしていたアルゲオは凄い、とな」

「どうだかな、そのやり方だと宰相一人倒れただけで国が傾いてしまうから、我ながら怖ろしい事をしていたと思う時が今でもある」


 そんな経験もあり、アルゲオは自らの知識を他人へ教授することを厭わない。

 じきに領主を継ぐユーリアには特に力を入れて、教え込んでいる。そして自分が居なくてもランドマルク領が機能するよう、ラウルスが連れて来た人材にも仕事を手伝わせた。


「本当に君には感謝してもし尽くせないな」

「気にするな。その代わり老後は面倒を見て貰うとしよう」

「ああ、任せてくれ」


 アルゲオは自分の冗談に気前良く返事をするラウルスを視界の端に捉えながら、のんびりと仕事を進めていた。

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