オリエンス家の娘とランドマルクの末娘
エッセ・オリエンスは霜が降りた土をザクザクと踏み鳴らしながら、森と呼んでも相違無いランドマルク城の庭の一角を歩いていく。
彼女は幼少の頃からランドマルク家に仕える使用人で、ラウルスやユーリアのお世話役としての侍女と雑用全般を行うメイドを兼任している。この城にはラウルスが連れて来た人間とエッセの家族しか居らず、皆なにかしらの仕事を兼任しながら働いていた。庭師であるエッセの父、ディエースは城の修理や補修を行う工匠も担当していて、その妻ドミナは洗濯や食器洗いなどの水仕事と買い物全般を担当し、二人の子である長子イーデムは料理長として腕を振るっているが、執事であるオクリースが休みの日は配膳なども行う。城の住人が生活する居館に、客人を迎える別棟、使用人の生活拠点となっていた独立した塔や信仰深かった先祖が建てた礼拝堂などもあり、部屋の数は百二十と城にしては少ないほうだったが、全ての部屋の手入れは使用人が足りない為、使っていない場所に関しては放置という事も已むを得ななかった。
ランドマルク城の歴史は古く、数千年前に建築されたものだと口伝えで語り継がれている。しかしその目的や由来について詳しく書かれた文献は存在せず、謎に包まれたままとなっていた。城のほとんどが森の中に隠れ、外観は街の方角からは見えない為、領地支配の象徴として建てられたという可能性は無いと言われており、街の奥にある丘陵にある事から籠城を目的に作られたという見解が妥当とされていた。
杏色の髪をお下げにして二つに結び、ワンピース型の仕着せを着た少女は、一人で誰も居ない庭という名のランドマルク城の森の中を、慣れた足取りで進む。空を見上げればいつものような曇天が広がっていた。ランドマルク領の一年はほとんど曇りであり、青空が広がる事は稀だった。
木々が生い茂る一本道をしばらく進めば、拓けた場所に出る。そこにはランドマルクの地には出ていない筈の太陽の光が差し込み、季節や気候を無視した、春に開花する様な黄色や白の花が咲き乱れていた。
エッセの傍に小鳥ほどの小さな緑色に発光する物体が近づき、エッセに声を掛ける。
『おはよ~エッセ』
「お、おはようございます」
いきなり飛び出してきた光に驚いたエッセは、吃りながら挨拶を返す。その声を聞いた瞬間花畑からは色取り取りの発光体が大量にエッセに近寄り、挨拶の大合唱を始めた。
「えっと…皆さん、お出迎えありがとうございます」
エッセがお礼を言った途端に周囲にふわふわと浮遊する発光体が活気づき、赤・青・黄という目が痛くなる色の激しい点滅が始まり、目がチカチカした少女は瞳を瞬かせ困ったように微笑んでいた。
『こ~ら!みんなで出てきたらびっくりするでしょう?ごめんねエッセ~今<妖精界>では<春の儚いモノ>の聖誕祭の時期でさ~こっちと繋がりやすくなっているんだ~』
「そうでしたか」
ひと際強い輝きを放つ光りに叱られた為か、ほとんどの発光体は消失する。
『あれ、もしかして毛玉達もう帰ったの?』
「はい」
『今回早くない?』
「そうですね。もしかしたらお空が晴れたからびっくりしたのかもしれません」
『あ~なるほどね』
「では毛玉さん達を呼びますね」
『は~い!お手伝いするよ~』
エッセは生い茂る草花に損傷を与えないようにブーツを脱いで、花畑の中に入る。胸の前で手を組み、意思を持った緑の発光体が言葉を発する。
『求めよ、求めよ、求めよ、さすれば汝は求めるものを受け取るだろう。叩け、叩け、叩け、さすれば叩いた門が汝が汝の為に開かれるだろう』
その瞬間この世界と異世界が繋がった光の輪が地上から三メートルの位置に突如として現れる。エッセはその周囲をくるくると踊るような足取りで回り、途中手拍子をまじえつつ、召喚の為の<春の唄>を歌う。刹那、光の輪から二十センチほどの白い毛玉の様な生き物が降りてきて、ふわふわと雪が積もったように花畑を大量の白で埋め尽くしていた。
「毛玉さん、おはようございます。今日もお掃除お願いします」
『埃食ベテイイノ?』
「いいですよ」
『塵モ食ベテイイノ?』
「もちろんです」
『イッテクルー』
『オ腹スイター』
「はい。いってらっしゃい」
エッセは手を振り城に向かって飛んでいく毛玉達を見送る。妖精界から召喚されたのは、白い毛だらけの体に三日月のような口しか存在しない<一口鬼>という生き物で、人々が生活するなかで出てくるゴミを好物とするありがたい妖精だ。彼らのおかげでランドマルク城は、常に埃一つ無い綺麗な空間を保つ事が出来ている。
『エッセ、門閉まるよ~大丈夫?』
「大丈夫です」
異世界と繋がった光の門はものの数秒で消失し、元の状態に戻る。エッセが使ったのは<妖精魔術>と言い、オリエンス家の女性にのみに伝わる一子相伝の奇跡の力だ。
魔術の師匠である母・ドミナは娘が十を超えた時に全ての秘法を伝え、自らは<妖精魔術>の使い手を引退した。<妖精魔術>を使う一族には手のひらと足の裏の二箇所に魔力の源があり、魔術を使う際には手拍子をしたり、決められた足踏みで踊ったりしながら使用する。エッセの母親曰く、若い娘が踊りながら魔術を使う様は可愛らしいが、三十を過ぎた既婚の子持ち女性がするには痛すぎるとの事で、妖精を呼ぶという童話的な魔術は若い娘へと受け継がれたという。
エッセは城に戻って朝食の準備を手伝いに行こうと、踵を返し歩こうとしたが、道の真ん中に人型の妖精が現れ、エッセの手のひら程しかない小さな体で往来を立ち塞いでいた。
「!!」
『…<緑色の石>の子よ。嵐の後に青空が出たとは真実であったか?悪しき者…<青色の石>の一族はどうなった?』
「え、えっと…びっくりしました!!じゃなくて…問題ありません。何も起こりませんでした。幸い太陽と星の並びがずれていたので杯に力が溜まる事は無かった様です」
『ーーふん。これからも気を抜くなよ?今度あのような事が起きれば、<妖精界>は<人>を敵とみなすからな』
「はい…」
妖精が恐れているのはこのランドマルクの地に眠っている<力>の事だった。その<力>の源こそが青空であり、オリエンス家の<妖精術師>は空に雲をかけ、力の暴走を防ぐ役目を担っていた。
『出来れば<青の神杯>は破壊して欲しいが、難しい話だろう?』
「え、ええ。破壊は不可能…だと思います」
『そうか。…まあいい。引き続き監視を続けよ』
「は、い…」
そう言って高位の妖精は姿を消す。エッセは激しく鼓動を打つ胸を押さえながら、城へと戻って行った。
◇◇◇◇◇◇◇
アルゲオに呼び出されたユーリアは執務室に向かって歩いていた。先ほどまで動物達と戯れていた為に衣服に白い毛がついているのに今更気付き、払うわけにもいかず、身なりをよく確認しないで部屋を飛び出してきた自分を恥じる。アルゲオが居るというラウルスの仕事部屋の扉を叩こうとしたが、綺麗に閉ざされていない状態で、中の人の会話がだだ漏れだった。最後に出て来たのは、恐らくアルゲオが呼んでいると知らせに来たオクリースで、彼がきちんと閉めなかったんだなとユーリアは思う。ノックはしないで声をかけようと口を開いたその時、中から衝撃的な会話が聞こえて来た。
「末期だな。完治は難しいだろう」
「それはここ数日で理解させてもらったよ。私はもう駄目なのかもしれない」
アルゲオの話とはラウルスの病気の事だったのかと思い至り、ユーリアは口元を押さえ、部屋の前から逃げ出してしまう。
部屋の中ではラウルスが扉を不思議そうに眺めていた。
「んん?」
「どうした?」
「いや、ユーリアの足音が聞えた気がしたんだが、入って来なかったなって」
「俺の執務室に行ったのかもしれんな」
「オクリースめ。伝言もまともに出来ないとは」
そんな会話をしている中、フロースが部屋の中へ入って来て、珍しく不機嫌なようすのラウルスを見て驚いていた。
「まあラウルス、どうしたの?」
「ユーリアが、ユーリアが…」
「?」
「いつもの病気だ、気にするな。それよりもユーリアを呼んで来てくれないか?」
「ええ、いいけど…本当になんでもないの?」
「ああ。見ての通りただのユーリア病だ」
「そう」
フロースは部屋から出て、アルゲオの執務室に向かったとされるユーリアを探しに出かけた。
ユーリアは廊下を目的地も無くうろうろと歩きながら、混乱した頭の中を整理していた。
(姉上の病気が末期…!!どうして)
ここ数日のラウルスは明らかに様子がおかしかった。突然苦しみ出したリ、動悸がするのか胸を押さえたり、大量の汗や震えが止まらなかったりと普通の状態では無く、何度も病院に行って欲しいとお願いしたが、ラウルスは「これは自分との戦いだ。先生の手は煩わせない」などと訳の分からぬ主張を繰り返し、医者に掛ろうとはしなかった。
(何回も何回も病院に行ってとお願いしたのに!!姉上の馬鹿ッ……)
完治は難しいとアルゲオは言い、もう駄目かもしれないとラウルスは言った。
(姉上も…私を置いて行くのですか?)
たった一人の家族であるラウルスが居なくなれば、彼女は再び広い城の中で一人きりになってしまう。その事を考えると目頭が熱くなって瞳は潤みだし、あふれ出したものは頬を伝って下りていく。震える肩をどうにかして止めようと両手で押さえたが、効果は無く、とうとう歩みだす事も出来なくなり、その場にうずくまってしまった。
「ユーリア?」
背後からかかった声は、フロースのものだった。
「ねえ、どうしたの?そんな所に座り込んで」
名前を呼んでも反応を示さないユーリアの顔を屈んで覗きこんだフロースは、思わず言葉を失ってしまう。ユーリアは肩を震わせ、大粒の涙を流していた。
「あ、あなた、…大丈夫なの?具合でも悪いの」
「大…丈夫、です」
「大丈夫な訳ないでしょ!!」
ユーリアが蹲っていたのはラウルスの部屋の前だったので、勝手に中へと入りユーリアの手を強引に引いてソファへと座らせる。フロースが差し出したハンカチでユーリアは涙を拭っていたが、涙腺から溢れ出る水分は止まる事を知らない。隣に腰掛けていたフロースは、ユーリアが落ち着くまで背中を優しく撫でていた。
「す、すみません…フロース」
「いいのよ。だけど迷惑料として何があったのか話して貰うわよ」
「……」
ここ数日のラウルスの異変と先ほど部屋で聞いてしまった会話をユーリアはフロースに話した。
「末期の病気?嘘でしょ」
「で、でも、本当に様子がおかしくて…最近は近寄っても来ないし、目も合わせてくれないし…病気じゃなかったら、私の事がき、嫌いにっ…」
「嫌いな訳ないでしょう。ユーリアこの部屋の中の物が見えている?」
勝手に入ったラウルスの部屋の壁には数点の<最愛の妹>の幼少から現在までの写真が飾られ、小さい頃にユーリアが贈った似顔絵は、家宝の様に額装されている。
「……」
「病気な訳もないでしょう?ラウルスったら<暴れ馬祭>で空気も読まないで優勝したのよ」
「その祭…まだやってたんですね」
<暴れ馬祭>とは無限の体力を持つ暴れ馬ピンキーちゃんにどの位乗っていられるかを競う祭で、怪我人の絶えないその祭は、王都からわざわざ治癒術師を呼び寄せた状態で開催される。
「ラウルスは一番始めに乗ったのよ。でも五分間跨り続けて、最終的には三メートル程場外へ吹っ飛ばされたけど、笑顔で会場に戻って来たの」
「……」
領主であるラウルスは公開演技的な意味合いも込めて、一番初めに暴れ馬に挑戦した。ピンキーちゃんもその日一番の大暴れを見せたが、ラウルスはその背中に跨り続け、結果的に参加者の中で最も長い記録を打ち出してしまった。馬の背中から場外へ飛ばされた後も地面に体を強打し、ゴロゴロと石の混じった大地の上を転がっていたが、幸い無傷だったという。
「その後も街の女の子達が持って来た差し入れをほとんどその場で完食していたし、おまけに王都から来た新米騎士の稽古もつけていたわ。そんな人が病気な訳ないでしょう?」
「……そう、ですね」
ユーリアは少しだけ冷静さを取り戻して、フロースに言われた部屋の中を見渡す、ラウルスの私室は妹との思い出の品で埋め尽くされていた。
「ラウルスの病気ってあなたに対する執着の事じゃないかしら?」
「え?」
「さっきね、執務室でお父様がラウルスはユーリア病だと言っていたのよ」
「……何ですか、その下らない病名は」
「多分だけど、ラウルスは今必死に妹離れをしようと思っているんじゃないかしら?」
「私から…離れる?」
「ええ。あなたが結婚をしたら、今みたいに一緒に居られなくなるでしょ?それでじゃないかしら?」
「……」
ユーリアは再び俯いて唇を噛み締めた。ラウルスが深刻な病気では無いと分かり、安心するのと同時に、やはり姉はランドマルクの地から出て行ってしまうのだという現実を突きつけられ、苦渋の表情を浮かべる。大切な人が目の届かない場所に居ても、元気で暮らしていればそれだけでいいとユーリアは今まで思っていたが、そんな訳は無く自分はなんて我侭なのだろうと落胆する。
「ユーリア?どうかしたの」
「い、いえ、何でも」
「……あなたは、思っている事をもっと口にすべきだわ」
「え?」
「口に出さないと分からない事って沢山あるの。領主になったらそれがもっと必要になるわ。自分一人で解決出来るってなんでも抱え込んでしまうと最終的には壊れてしまうのよ」
「……」
「言いなさい、ユーリア」
フロースは膝の上で強く握られたユーリアの手に自らの手のひらを重ね、優しい声色で訊ねた。俯いた顔を上げたユーリアの瞳からは再び涙が溢れ出し、そのぐしゃぐしゃになった顔を見せまいと逸らしたが、横からフロースに抱き寄せられてしまう。
「お願いよ、ユーリア」
お願いと耳元で囁かれたユーリアは、閉ざした口を迷いながらも開いた。
「ーーさ、寂しいんです。姉上が…皆が居なくなってしまうのが。私が領主にな、なったらフロースも王都に帰るでしょう?それが、心の奥底で嫌だと思っていて…立派な領主になりたいと思う私と、領主になんかなりたくない、結婚もしたくない、このまま楽しくみんなで暮らしたいと思う駄目な私も居て…もう分からない、んです」
「あなた、そんな事を考えていたの?」
「……」
フロースは目を見張らせ、驚きの声をあげた。だから本心を語るのは嫌だったとユーリアは落ち込んでしまう。心の内を語って呆れられたり、失望されるよりは言わないで自分一人が我慢をする方がいい、今まではそう思っていた。先ほどよりも一層気持ちが滅入ってしまったユーリアの体を、フロースはぎゅっと強く抱きしめる。
「馬鹿ね、ユーリア…居なくなる訳ないじゃない。あなたが領主になってもここに残るに決まっているでしょう?」
「ーーえ、ええ?で、でも皆姉上に強引に連れて来られたって」
「そんな訳ないでしょ。お父様もオクリースもニゲルも私も、王都に居場所がないからこの地に来たの。だからユーリアが考えているような事態は起きないわ」
「本当に…?」
「ええ、嘘は言わないわ」
「よ、よかっ、た」
その言葉を聞いてユーリアはすっかり赤くなってしまった瞳を細め、頬を涙で濡らしながらもフロースにお礼を言った。
「ーーなんだか、改めてラウルスの気持ちが良く分かった気がするわ」
「…どういう意味ですか?」
「あなたはとっても可愛いって事よ」
そう言ってフロースはユーリアの頬に親愛の口付けをした。




