餅、焼けています
アルゲオは先ほど届いたユーリドットの南部にある小さな村で作られている酒を持ち、上機嫌で自室へと向かっていた。桃と蜂蜜を使い、特殊な製法で作られたそのお酒は、出来立てが一番美味しいと言われ、村の職人のこだわりから以前までは村から遠く離れた場所への販売は行っていなかった。しかし<天の翼>の登場により、短期間での配達が可能となり、地方発送を始めた為入手も安易になったという。
今日の所は一杯だけ飲んで、残りは明日の楽しみにしようと、足取りも軽く廊下を歩いていたが、ラウルスの部屋の扉がいきなり開き、部屋の主が深刻な顔つきで「話がある」と言って、返事をする前に中へと引き込まれてしまった。
「なんだ、話とは?」
「…ユーリアの事だ」
「急ぎの用事でなければ明日にしてくれないか?」
「急ぎだ。急いでいるとも」
「?」
いつになく真面目な顔で話をするラウルスに、アルゲオは訝しげな視線を送る。
「今日の朝、ユーリアとイグニスが仲良くしている所を目撃してしまったんだが、見ているうちに胸が苦しくなって、おかしくなりそうだったんだ」
「……」
「イグニスが言うにはこれは<ヤキモチ>という病の一つらしい」
「お前、真面目に話しているのか?」
「ふざけているように見えるのか!?」
「…すまん。続けてくれ」
机の上に置かれた桃蜜酒が照明の光を受けて、琥珀色に輝いている。アルゲオの意識は机上にばかり行くが、ラウルスの表情も話を進めるうちに鬼気が迫るものとなっていた。
「この苦しみは数時間たって尚、私を苦しめているんだが、一つだけ治す方法があるらしい。そこで相談だ!」
「ーー断る」
「まだ何も言っていないだろう」
「先ほどから嫌な予感しかしない」
ラウルスはもやもやとした気持ちを引きずったままの胸を押さえ、深く息を吸い込んで吐く。朝から気分は一向に晴れなくて、この相談事をアルゲオが聞いてくれたら<ヤキモチ>も治るのにと考えたが、言う前に断られ愕然とする。
「聞くだけ聞いてみないか?」
「聞くだけも断りたい所だが、聞かないと解放してくれないのだろう?」
「ああ、そうだな。しかし返事は<はい>だけで終わる簡単なものだよ」
「何だそれは?」
「ーーアルゲオ、結婚してくれ」
「……」
大真面目に求婚をするラウルスを前に、アルゲオはついに馬鹿らしくなって、桃蜜酒の栓を開け机の上に置かれていたティーカップに注ぎ、一気に飲み干す。ほんのりとした甘みが口当たりを良くしていたが、アルコール度数は四十と高い。しばらく経つと苦味と辛味が押し寄せ、舌先と喉に痺れを感じた。暖炉の火が入っていない肌寒い部屋だったが、桃蜜酒のおかげでアルゲオの体はポカポカと温まる。
「お前は馬鹿か」
「私は生まれてから今まで真面目に生きている」
「……」
「どうだろうか?」
「聞くだけと言っただろう。そもそもなんでいきなり求婚したんだ?」
「イグニス曰く、結婚すればこの病は治るだろうと」
「……なるほどな。たしかに結婚でもして子供の一人でも産めば、ユーリアに構っている暇も無くなるという訳か」
「そういう意味だったのか」
喉の渇きを覚えたラウルスは桃蜜酒に手を伸ばすが、掴む前にアルゲオに「これは酒だ」と横取りされてしまう。
「結婚の前にフロースはどうするんだ?」
「フロース?」
「あれはお前に酷く執着している。結婚も反対するだろう」
「私が男だったら真っ先にフロースを嫁にしていた。しかし残念な事に私は女だ。彼女の事はどうにも出来ないよ」
「それは分かっている。それこそユーリアに対するお前じゃないが、フロースもヤキモチを焼いて大変な事になるぞ」
「それは、困るな…」
フロースは幼い頃、母親の薦めでダルエルサラートの王子とお見合いし、二人きりになった所を襲われかけたという、あってはならない出来事があった。それがフロースの心の傷となり、この世の男性全てを毛嫌いする様になってしまった。そしてその場を助けてくれたラウルスに特別に執着するようになったという。
「フロースは自らの理想の男性像を私に当て嵌めているだけで、異性を慕う愛とは違う物だと思っている。私に対して接する時は、同性だから安心をしているのだろう。男性諸君とは違って、私は彼女に変態行為は働かないからな」
「……」
「お前はユーリアに変態行為を働いているだろう」とアルゲオは思ったが、今日のラウルスは刺激してはいけないと考え、出かかった言葉を寸前で呑みこんだ。
「彼女は辛い現実から逃げているだけだよ。そろそろ歩みだしてもいい頃だ、あの日から十年以上も経っているのだから」
「まあ、難しい問題だな」
「ああ、フロースの事は結婚の日取りが決まってから考えよう」
「そうだな」
「では日取りを決めようか!」
「ーーいつ、お前と結婚する話になった?」
「逆に聞きたい。何故結婚を拒否するんだ?好みじゃないからとか、背が大きくてちょっと…とか理由があるだろう?」
「…初婚の女は俺には重い」
アルゲオは過去に二度の政略結婚をして、二度の離婚を経験している。穏やかでは無い結婚生活に幸せを見出す事が出来ず、二度と妻を迎える事は無いと決めていた。
「初婚だという事は気にするな」
「そう言うがな、問題は他にもある。お前がバツイチの子持ちだったら考えていたが、無理だな」
「他の問題?」
アルゲオはここ二年程、うるさく注意をする者が居ない事をいいことに、不養生な生活を続けていた。そんな生活習慣から子供なんかは出来ないのではとも考えていた。
「子供は欲しいだろう?」
「最低五人は欲しいと考えている」
「…産むのはお前だぞ?」
「その位知っている。失礼だな」
「……」
三杯目の桃蜜酒を飲んだところでアルゲオの視界がぐにゃりと歪み、だいぶ酔いが回って来たなと思いつつも四杯目の酒を注ぐ。
「駄目か?」
「駄目だな」
「……」
ラウルスは眉間に皺を寄せ、どうしたものかと考える。今まで女性に言い寄られた事はあったが、男性に愛を囁かれた事など無かったなと思い至り、自分のどこが悪いのかと思惟を重ねた。
「ーー何故俺なんだ?」
「それは…そうだな」
「……」
「顔は怖いし、中年だし、飲酒と睡眠が人生の楽しみだと豪語する駄目人間だし…」
「お前はルーベル・ジャ・フラーテルとでも結婚しろ」
「どうしてルーベルの名が出る?--ああ、最近離婚したと言っていたな。そうなるとケルトが息子になるのか」
ちなみにアルゲオの子供二人は公爵家の戸籍に入っている為、書類上フロースとは親子関係ではない。
「しかしルーベルとは結婚したいとは思わないな。まあ、無いとは思うが、求婚されたら受ける可能性もある」
「こういう状況になっても来る者拒まずなのか?」
「こちらから選べる年齢は当に過ぎてしまったからな」
ラウルスは桃蜜酒の度数を見て驚き、家令が見てないうちに机の下へと隠す。その行為をアルゲオは気付いていたが、これ以上は飲む気にならなかったので放置していた。
「別に結婚をしなくても、おまえ自身が変われば良いだけの話だ」
「私が変わればこの苦しみから解放されるのか?」
「そうだ。まず普通の姉妹関係に戻す事から始めろ」
「普通の姉妹とは何だ?まるで今の関係がおかしいみたいじゃないか」
「おかしいから言っているんだ。お前の愛情表現は度が過ぎている」
「!!!!」
ラウルスはアルゲオの言葉に衝撃を受け、言葉を失っていた。
「ユーリアを抱きしめるのは?」
「普通の姉妹はしない」
「ユーリアと一緒に寝る事は?」
「普通はしないな」
「ユーリアと仲良く手を繫いで遊びに出かけるのは?」
「それはお前の願望だろう」
「頬に口付けは…」
「年頃の娘にはしないだろう」
「で、ではお風呂に入る事は」
「以ての外だ」
頭を抱えた状態でラウルスは苦しげな声をあげ、まるで絶望の淵に立たされたような悲痛な表情を浮かべている。
「苦しみから解放されたいのだろう?」
「そうだ…」
「ならば妹離れをするんだ。そして普通の姉妹関係に戻って、ユーリアの結婚を心から祝福すればいい」
「そう、その通りだ。ユーリアを取られる事を恐れるよりも、幸せを願いたい!!」
「妹離れをする」という事で意見が纏まり、アルゲオはようやく解放されるのかと安堵の息を吐いた。
「ーー明日から…いいや!今から、さっき言った<普通ではない触れ合い>を封印する」
「まあ、ほどほどにな」
「いいや、厳しく行かせてもらうよ。お願いがあるのだが、もしも私が無意識におかしな事をしたら、咳をするフリをして知らせて欲しい」
「分かった」
「巻き込んで済まなかったな」
「今に始まった事ではない」
「それもそうだ」
こうして相談会はお開きとなったが、扉の取っ手を引いたアルゲオは振り返る。ソファに腰掛けたままのラウルスの表情は絶望一色に染まりきっていた。アルゲオは仕方が無いとばかりにため息をつき、酔いが回って重たくなった口を開く。
「ーーもしもお前が変われたら結婚を考えてやらない事も無い」
「な、なんだと!」
「あまり大きな声を出すな。頭に響く」
「本当だな、酔っ払い!!」
「誰が酔っ払いだ」
「だいぶ酔っているぞ」
「……」
「酔っ払いの言う事は信じられない。証拠として今言った事をここに書いてくれ」
ラウルスは胸ポケットに入れていたメモ帳とペンをアルゲオに差し出す。
「眼鏡が無いと見えんから無理だ」
「老眼かッ!」
「……」
アルゲオは早く部屋に帰って寝たかったので手元は綺麗に見えなかったが、先ほどラウルスに言った約束を書き記し、手渡す。
「約束だからな」
「ああ、分かったからもう休ませてくれ。眠くて仕方が無い」
そういい残してアルゲオは自分の部屋へと帰って行く。ラウルスの<妹離れ>は恐らく無理だろうなと高を括りながら。




