ユーリアと古代の力-1
(ああ、もう訳分かんない!)
ユーリアは読んでいた本にしおりを挟み、机の上に置く。高く積み上げられている机上の本は十冊以上あり、同じような本の山が四つほど築かれていた。
現在ユーリアが籠城している場所は、地下にあるランドマルク家の人間しか入れない、不思議な図書館の横にある小部屋だ。ラウルスはこの場所に来ると酷い頭痛に襲われる為、めったな事では近づかない。
ユーリアは独自に勉強した古代魔術について纏めたノートを開き、先ほど得たことを追加で書き込む。
古代魔法<二月の風>と記入された頁の魔方陣を、ユーリアは小さく床に描く。
(発動条件…雪の深い<二月>にのみ行使が可能、贄は生きた兎七十羽、発動に必要な魔術師の数は三十人、詠唱は三日続けて休まずに行う)
単純な文字で構成された魔法陣を書き終えるとユーリアは静かに発動呪文を呟いた。
「凍土から胚胎するは、空風と冬帝の北颪、しまき荒れるは巻いて上がる竜の旋風…<二月の風>!」
もちろん何も用意していないし、術式の完成に三日かかるという大詠唱を行っていないので何の現象も起こらない。
古代魔術は現代に伝わる魔術とは違い、多大な犠牲と苦労を引き換えとして発現させる奇跡の力だった。まず一人では使う事が出来ないというのが最大の障害で、故にその技術は時代と共に廃れてしまったという。
(やっぱり魔術を使う事は無理なんだ…オクリース、は教えてくれるはず無いし)
かの無気力な執事はただでさえ魔術を使う事を嫌がるのだから、教えろという願いに応えてくれる筈は無いと諦めの息を吐く。
ユーリアは石の床の上にごろりと寝転がり、両腕で膝を抱え込む。数日前に街中で起こった、魔物の襲来の事を思い出す度に怖ろしいと、数日経った今でも体が震えた。
魔物を前にラウルスはユーリアを庇い、ニゲルは剣を抜き戦った。
(私は何も出来なかった…もしも姉上の背中に魔物の牙が届いていたら、ニゲルの受けた傷が致命傷だったら)
過ぎた事を考えても仕方が無いと理解していたが、ぼんやりと考えるのはその事ばかりだった。そして最終的に行き当たるのは未来の事で、こんな自分がランドマルクの跡を継いで誰がついて来るのか、ラウルスが居なくなれば皆街から出て行ってしまい、また以前の様な<オムニブス>に戻ってしまうのではと不安になる。
(姉上は私が領主になったら王都に帰って、騎士に戻るんだろうな…)
せめて自分の身位は守れるようになりたいと、古代魔術を真面目に学んでみたが、先の結果の通り使える物では無い。
(アルゲオも、オクリースもフロースとニゲルも姉上の為にここに居る。ずっと居てくれる人達じゃないんだ。だからーー私も探さなければいけない)
領の統治についてはすべてアルゲオが教えてくれた。ここ三年ほど仕事も手伝うようになったので、何をすればいいかは大方理解をしている。
(家令に執事、従僕に侍女…はエッセが居るから大丈夫…)
この城内にはラウルスが連れて来た人達の他に、オリエンスという一家が家族ぐるみで働いている。彼らは十年前、前領主が亡くなり城の中が荒れた時も、ユーリアを自宅へと連れて帰り保護してくれた。
そしてすっからかんになった城で引き続き働いてくれるというありがたい提案をしてくれた唯一の存在でもあった。庭師に料理長、侍女に下働きをする者とオリエンス家はランドマルク城には無くてはならぬ一家だ。
(オリエンス家の人達は何があろうと傍に居てくれるって言ってくれたし…でも大変だ)
最大の壁は結婚相手にあるとユーリアは憂鬱になる。婿は一生懸命探していると言っていたが、ラウルスの提示する条件が厳しいからかお見合いにすら発展していない。
(姉上じゃないけど、このままじゃ嫁き遅れてしまう。本当に姉上が男だったら良かったのに)
そうすればフロースと結婚し、公爵家との強い繋がりも出来て、ランドマルクの未来もさぞかし明るかっただろうなあ、とありえない妄想を膨らませる。
(はあ…伴侶問題もどうにかしないと…)
出来れば次男以下で、領の中で何かあった時の為に出来ればお金持ちがいい、姉にも紳士的に接してくれる人で、動物が好きなら尚更素敵だ、という条件をうつ伏せの状態でノートに書いていく。
(お金は、まあいいとして…なんか意外にも結婚相手への条件が緩い。こんだけ単純ならもしかするとその辺に居るかもしれない)
調子が戻って来たユーリアは寝転んだ体勢から起き上がり、壁掛け時計を見上げた。そろそろ夕食の時間かなとノートだけ持って部屋から退室しようと思い至ったその時、小部屋の扉は何者かによって開かれる。
「ーーえ?」
「あ、居た」
扉から顔を出したのはランドマルク家の執事で、眠そうな表情を浮かべつつオクリースはユーリアに声を掛けた。
「な、なんでここに入れたんですか?」
「結界とかは、無かったよ?」
「そんな…以前フロースが入る事が出来なくて、その後エッセにも来てもらいましたが結果は同じで…」
「もしかしたら、括りが違うのかも」
「くくり?」
「そう。この場所について詳しく書かれたり、教えてもらった事、は無いんだよね?」
「ええ、まあ」
「だったら、ここは単に、魔力をある一定持っている人だけが、入れる空間とか、そういう括りなのかもしれない」
「そういうことですか」
「うん」
オクリースはきょろきょろと部屋の中を見渡しながら入って来る。床に置きっぱなしになっていたユーリアのノートを拾おうと手を伸ばしたその時、ユーリアが叫び声をあげた。
「あ、危ない!!」
「ーーえ?」
ユーリアはオクリースに体当たりをしてその場から退避させた。刹那、床に書かれていた魔法陣が強く発光し、三十センチ程の小さな円から竜巻が発生する。巻き上がった風はその形を保ったまま氷と化し、動きを止めた。円の中心に置かれていたノートは粉々になり、跡形も無くなっている。
間一髪でオクリースは魔法陣の上から押し出され、ユーリアのノートのようにならずに済んだ。
「な、なんで?」
ユーリアは頭を抱え、天井に付きそうな位高く巻き上がった氷の柱を見つめている。突如として現れた魔術の氷は刃のように鋭く、触れただけでその身を裂いてしまいそうな危うさを醸し出している。
「ユーリア。これ、何?」
「わ、私にも分かりません…」
「でもこの魔法陣の字は、ユーリアの筆跡」
「それは私が…描きました、が」
オクリースはユーリアの顔を覗き込み、落ち着かせる為にその場に座らせ背中を数回軽く叩いた。
「ユーリア、これは?」
「こ、古代魔術です」
「なんで、描いたの?」
「発動するはずは無いと思ったからーーい、いえ、発動する訳ないんです!」
「?」
「ーーオクリースは古代魔術についてご存知ですか?」
「あんまり、知らない。ひたすら面倒な準備と、気が遠くなる程の詠唱が必要、位しか」
「そう、そうなんです」
話しているうちに氷の柱は崩れ、細氷のように周囲に散らばっていく。床に書かれた魔法陣は消え、何事も無かったかのように部屋は以前の状態を取り戻した。
「この魔術は<二月の風>と言って、発動には七十羽の生きた兎や三日に及ぶ大詠唱、複数の魔術師の協力も必要になります。そして絶対条件として雪の深い時期、<二月>でしか使う事の出来ない術で、今発動する事はおそらくありえないと…」
「……」
「この<二月>が現代でいつを現すものかは不明ですが、今の時期では無い事は確かと言えるでしょう」
額には汗が滲み声も震えていたが、話をしている間も背中を撫でられ、落ち着きを取り戻したユーリアは古代魔術の説明をした。
「古代魔術の謎は、あまり解明されていない」
「そう、なんですか?」
ユーリアの問いかけにオクリースは頷く。過去に廃れてしまった使い勝手の悪い魔術を研究しようという魔術師は少ない、その結果古代魔術は謎に包まれたままとなっていた。
「だから、ユーリアの何故?に、答えられない」
「は、はい」
「それで、何で魔術を使おうと、したの?」
「……」
「ユーリア、答えて」
「それは」
開いた口はそのまま閉ざされ、ユーリアは俯く。問いかけられた言葉の答えは分かっていたが、簡単に口に出す事は出来なかった。しかしオクリースも引かない。
「答えて」
「ーー自分を、守る力が欲しかったんです」
「何故?」
「……」
今度こそユーリアは口を固く閉ざした。オクリースはため息をつきながら立ち上がり、机の上に置かれた古代魔術の書物を手に取る。しかし中を何枚か捲っただけで、机の本の山に戻した。
「ユーリア、知ってる?」
「?」
「古の時代の本は、基本的に国での保管が、決められている、事を」
「ど、どうして?」
「それはね、…これ、言ってもいいのかな。まあ、いいか」
古代魔術の起源は古の時代の<魔王召喚>にあるという。国の滅亡を企む者達が、己の魔力と血の犠牲を払って作り出された儀式は、悪魔の王を呼び出す事に成功し、のちの世界でも様々な厄災の発現に成功する。
「現代魔法は炎や雷といった自然の現象を、縮小して呼び出すもので、古代魔法は地震や竜巻などの自然の災いを、形そのままに呼び出す…」
「……」
「この二つの魔術の違いは、分かるよね?」
「ーーはい」
一部の者だけが知る事実として、古代魔術が廃れてしまったもう一つの理由が存在する。それは古代魔術を使う事を悪の所業とし、扱う全ての魔術師を処分したという隠された歴史だった。
これらはルティーナ大国での来歴であり、古代魔術に対してさほど規制の無い国もある。
「古代魔術の書物の閲覧は、一部しか出来ない。ユーリアが読んでいるような、詳しいものは見る事は、出来ないよ」
資料不足も魔術師が研究に手を出さない理由の一つでもある。このように様々な要素が相俟って、古代魔術は魔術師から嫌悪されたという。
「だから、こんな事は止めるんだ」
「……」
「ユーリア?」
「は、はい。分かりました」
「……それから、ここに来るのも、やめて」
「それは、何故ですか?本を読む位なら構わないでしょう?」
「駄目」
「ここには古代魔術以外の本もあります」
「絶対、駄目」
「どうして!?」
「この場所は、危ない」
「危なくありません!!」
ユーリアはギッとオクリースをきつく睨みつけるが、眠そうな表情に変化は無い。
「言う事、聞いて」
「嫌です。魔術は使いません。それでいいでしょう?」
「誰の目も届かないのは、不安」
「平気です。今まで何も問題はありませんでしたから」
「皆、心配する」
「いままでここに居て心配された事はありません」
「ーーユーリア、お願い」
「……」
珍しい執事の心からの懇願に、ユーリアは迷いながらも静かに頷いた。オクリースは部屋の鍵があれば渡して欲しいといったが、部屋の鍵は無いと言う。
「その代わり、姉上には今日の出来事を言わないで下さい」
「……」
「言ったら絶交ですからね!!」
「ユーリア」
オクリースの返事も聞かずにユーリアは部屋から走り去ってしまう。
「絶交って…」
呆気に取られたオクリースだったが、念の為誰かが部屋と図書館の入り口に入れば分かるような魔術を施して、地下にある不思議な空間を後にした。




