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天の翼

 ランドマルク領にある<オムニブス>から少し外れた場所には、<天の翼アイテール・アーラ>という飛行竜を使った運送業を行う組合がある。

 組織された当時竜は十頭しかおらず、主にルティーナ国内での運送を主としていたが、竜と人を増やしたのちに事業は軌道に乗る。その後隣国ツーティアとの取引を増やし莫大な利益を出す事にも成功させた。

 そんな<天の翼アイテール・アーラ>をまとめるのは、ダルエルサラート竜騎士隊出身のファキオ・ジャ・フラーテルという男で、今年で五十七歳になるが、まだまだ現役で仕事を続けると豪語している。

 十頭の竜と五十人の元農夫、十五人の元騎士の集まりで始まった事業だったが、現在は百頭の竜と三百人の業務に従事する人々が居て、ランドマルクの雇用と経済を共に支えていた。


◇◇◇◇◇


 三年前に作り変えられた<天の翼アイテール・アーラ>の出入り扉を目指して、一人の青年が駆けていく。扉を開く前に一度息を整え、出入り口の取っ手を勢いよく引いた。


「おーお疲れ~早かったな」

「ん、どーした?顔色悪いぞ?」


 入ってすぐの部屋は竜に騎乗し、空を渡って荷物を運ぶ<竜騎手>達の待機部屋となっていた。青い顔をした竜騎手の青年は衝撃的な言葉を発する。


「アルゲオ様がこちらに向かっている」


 <天の翼アイテール・アーラ>には沢山の竜が出入りする為、馬が怖がらない様に遮眼革ブリンカーという真横と後方の視界を遮る目隠しをした馬で来る事が多い。その遮眼革を付けた馬に乗ったアルゲオがこちらへ向かっていると、息継ぎも無しに仲間たちへと伝えた。

 誰かが手にしていた木製のコップを床に落とし、中身をぶちまけた。それを合図として竜騎手達は散らかし放題になっていた部屋の清掃を始める。


「うわああああああ!!何だってんだーー!!」

「嘘だろ!!三日前に来たばかりだというのに!!」

「おい、燃えるものと燃えないもの一緒の袋に入れるなよ!!また怒られるぞ!!」


 大急ぎで散らかった部屋の掃除をしていたが、数分と待たずに待機部屋の扉は開かれる。


「ーーなんだ、埃っぽいな」


 現れたのは言うまでも無くアルゲオ・ラティオー本人で、バタバタしながら片付けた為に埃っぽくなった部屋に顔を顰めていた。

 そんなアルゲオを前に、今年で勤続十年目の三十二歳、この部屋の騎手の中では一番の年長者であるルプス・オイルマが手を揉みながら、挨拶をしに来た。


「ア、アルゲオ様、本日もご機嫌のようで…」

「なんだ?畏まって」

「へへ…いやあ、まさかこんなに早く再会出来るとは」


 そう言いながら後方に隠したゴミを早く始末しろと、後ろで組み直した手で部下達に合図を送る。


「ああ、ちょっとフラーテルに用事があってな」

「そうでしたか!騎長は上の部屋に居りますよ」

「そうか」


 この<天の翼>にはフラーテルと名の付く縁者が三名いたが、アルゲオは面倒なので皆家名で呼んでいた。ルプスもここの長であるファキオに会いに来たのだと予測し、案内を始めようと歩き始める。


「ささ、どう…イッテえ!」


 アルゲオを二階へ案内しようとした折に、ルプスは机の脚で膝を打つ。ゴンという小気味よい音と共にコロコロと酒の瓶が机の下から転がってきた。


「ひいッ!!」


 転がった酒の瓶は最悪な事にアルゲオの前で止まり、ルプスは悲鳴を呑み込もうとしたが、残念ながら少しだけ声がもれてしまう。


「!!--お前…ここで飲酒するなと前に注意しただろうがッ!!」


 アルゲオは後ろを振り向いたまま固まっていたルプスの尻を思いっきり蹴り上げた。

 

「い、いってええええええ!!尻がッ!!鉄が!!靴に拍車が付いたままにいいいい!!」


 ルプスは悲鳴をあげながら勢いのままに転倒し、床を三メートルほどゴロゴロと転がりつつ、のた打ち回った。日ごろの行いが悪かったのかアルゲオのブーツの踵部分には、拍車という馬を走らせる際に合図を送る金具が付けられたままとなっていた。


「し、尻が二つに割れた!!それと燃えるように熱いいいい!!」

「うるさいッ!」

「しゅっ、しゅみましぇぇん…」


 部屋に居た騎手達全員を一列に正座させ説教をしたあと、アルゲオは二階にあるファキオ・ジャ・フラーテルの居る部屋へと上がって行った。

 ファキオの部屋の前でアルゲオはため息をつく、出来ればもっと日を空けてから会いたかったと。


(ーーと、言うか金輪際会いたく無い人物だな)


 そんな事を思いながら扉を叩いた。


「入ってま~すっ」


 という返事を聞き終える前にアルゲオは扉を開いた。そこには休憩中だったのか、執務机の前にある四本脚のテーブルでお茶を楽しむファキオの姿があった。給仕の姿が無いので自分で淹れたと思われる紅茶を啜りながら、アルゲオを迎え入れる。


「なんだー、アルゲオかあ」

「黙れ」

「ラウルスちゃんが来ると思ったのになあ…」

「……」


 拗ねたように唇を尖らせ文句をぶつけていたが、硝子玉のように温度の無い冷えた瞳を向けられ、ファキオは表情を微笑みに変える。

 アルゲオは五十七歳・髭面の全く可愛くない反応に深くため息をついた。


「今朝、ニゲルが目を覚ました」

「そっか。良かった」

「それで何か分かったか?」

「ん~あんまり進展は無いかな?」


 そう言いながら執務机にある書類をアルゲオに差し出す。一昨日に起こった街中での魔物の出現騒ぎは、<天の翼アイテール・アーラ>が運んできた荷物が原因だった。調査をしたものの荷受をした記録は無く、どこかで紛れ込んだ可能性しか見出せなかった。担当した騎手も、荷物の荷受と運搬した者も、魔物が入っていた箱に見覚えが無いと言っていたという。


「まあ、引き続きこの件は預からせて貰うよ」

「頼む」

「それよりも私の女神に怪我が無くて本ッ当に良かったあ~」

「……」


 ファキオの言う女神とはラウルスの事で、十年前より自らの女神として激しく崇拝していた。


「騒ぎの後さあ、現場に急行してラウルスちゃんに久々~に会ったんだけど、近付ける雰囲気じゃなくてさあ~」


 ニゲルが負傷し近くの診療所へ運ばれた後もラウルスは街に残り、調査にあたっていた。ファキオの言う通り、激しい怒りを隠そうとしないラウルスはアルゲオですら声を掛けるのを躊躇う程だった。


「仲良くお喋りしたかったんだけど、ご機嫌斜めだったから、丁度いいかなって思ってラウルスちゃんのお尻を見ていたんだよねえ~」


 アルゲオは無言で机の下にあるファキオの脛を蹴ろうとしたが、あっさりと避けられてしまう。


「私はラウルスちゃんのお尻が世界で一番素晴らしいと思うんだよね。こうズボンからきゅっと締まった感じと…そうそう、その下の若鹿のようなスラッとした脚も美しいね!!これがラウルスちゃんを私の女神ととうとぶ理由かな。ーーはあ、女の子はみんなズボンを穿けばいいのに……至極勿体無い」

「死ね、変態が」

「またまた~アルゲオだってこう、常日頃ムラっとしたり」

「しない!」

「じゃ、私と役職変わってくれないかな?」

「断る!」


 この事業を始めた際、現在アルゲオがしている監査の仕事はラウルスが行っていた。二年目のある日、珍しく手の空いたアルゲオも監査に同行する事となり、その場でファキオ・ジャ・フラーテルに初めて出会う。190という巨体に獅子の様に顔を覆う髭を生やした男は、一見とっつき難い外見をしていたが、喋り出した途端に残念な性格が露呈する事となる。

 そして何よりも問題だったのは、ラウルスに向ける視線だった。

 戦の国ダルエルサラートの英雄とまで言われた男は、妻子・孫まで居るにも関わらず、目じりを極限まで下げ、色の籠もった視線をラウルスへと投げかけていた。幸いその方向に鈍感なラウルスが気がつく事は無かったが、周囲にはだだ漏れだったという。

 その日以来、ラウルスから監査の役割を奪い、<天の翼アイテール・アーラ>へ赴くのはアルゲオの仕事となっていた。


 そんな深緑の冷たい視線には気が付かないフリをして、ファキオは鼻歌を歌いながらアルゲオの分の紅茶を注いでいた。


「そういえば、ユーリアちゃんの結婚相手を探してるんだよね~?」

「そんな事も言っていたな」

「うちのケルタとかどお?今年で二十歳になるんだけど~」

「お断りだ」

「え~なんで?私や息子と違って、とってもとってもいい子なのにい~」

「性格は遺伝するぞ。あいつも今の所さわやかなていでいるが、いつ変態性が飛び出してくるかも分からんからな」

「あっはっはっはっ!そ~かも」

「……」


 アルゲオはこれ以上話す事は無いとばかりに書類を封筒の中へと入れ、挨拶も無しに部屋から出るのを、ファキオは手を振りながら笑顔で見送った。

 イライラしながら階段を下りていると会いたくない人間その2と出くわしてしまう。


「おや、アルゲオ殿ではありませんか」


 書類の束を抱え、階段を上がってきたのはファキオの一人息子、ルーベル・ジャ・フラーテルだった。父親と同じ琥珀色アンバーの髪は七三に分けられ、目元には銀色の縁取り眼鏡が光っている。相手に敵意を感じさせない完璧な笑顔を浮かべる様は、四十を過ぎた男には見えないとアルゲオは思った。


「ニゲル君は大丈夫でしたか?」

「ああ、今朝目覚めた」

「そうでしたか」

「心配かけたな」

「いいえ。しかし我が女神に怪我が無くて本当に良かったです」

「……」


 銀縁の眼鏡の位置を直しながら、ルーベルは言う。父親に続き息子のルーベルも熱狂的なラウルスの信者だった。


「我が女神とはかれこれ一年ほど会っていないのです、というか会えない状況が続いています」

「何故だ?」

「……」


 ルーベルは悲痛な表情を浮かべ、語り始めた。


「一年前、街のお祭りの時に偶然女神と出会い、その輝かしい美しさを称えました。そして許しを請うて手の甲に口付けをし、女神の靴にも口付けと思い、下を向いた時にフロース嬢から飛び膝蹴りを一発頂きまして…それからというもの、何故か女神に会えずにいるのです」

「……」

「関係あるのか分かりませんが、その日以来ユースティティア家の影の者と思わしき存在が、私の視界の端にちらちらと入ってくる事があって、怖ろしいなあと毎日を過ごす所存でございます。--と言いますか…何とかなりませんよね?」

「いや、俺はもうユースティティアの人間ではないから無理だな」

「そうですか」


 終始にこにこしながら喋るルーベルからは悲壮感の欠片も感じなかった。この親にしてこの子あり、という東国の格言が頭に浮かんだが、フロースの事を思うと他人事では無いなと、アルゲオは眉間に皺を寄せた。 


 ルーベルと別れ、帰りの馬の準備をしていると背後から声を掛けられる。振り向けばファキオの孫であるケルタ・ジャ・フラーテルが竜を引いて歩いて来ている所だった。

 馬が怖がるといけないと思い、竜を空へ放ったあとアルゲオに近付く。


「お久しぶりです、アルゲオ様」

「ーーああ」


 三人目のフラーテル家の人間の登場に、アルゲオはため息をついてしまった。ファキオやルーベルと同じ淡紫色オーキッドの瞳を不思議そうに瞬かせ、「祖父か父が何か粗相をしましたか?」と訊ねる。


「いや、何でもない」

「そうですか?」

「…一つ聞きたい事がある」

「はい?」

「お前はラウルスの事をどう思う」

「ラウルス様ですか?とても素晴らしい領主様だと思います」

「…それ以外に外見とかで思う事はあるか?」

「え?いえ…」

「そうか。訳の分からん事を聞いてすまなかったな」

「?」

「そのままの、お前でいてくれ」


 アルゲオは心からの願いを口にして、鐙に足を掛け騎乗をし、馬の腹を蹴って家路を急いだ。

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