シスコンという重度の病ー1
ルティーナ大国では半年に一度、大きな規模での夜会が催される。地方の貴族や豪族が招待され、社交を深める事を目的としていた。
年頃の娘達はここぞとばかりに美しく着飾り、誰かの目に止まるのを心待ちにしている。
そんな会場の中を周りを気にせずに一人闊歩する者が居た。
背はすらりと高く、金の長い髪を後頭部の低い位置で一つに結び、横に流した前髪の下から覗く瞳は晴天の空を思わせる青色だ。
その人物がうら若き乙女の横を颯爽と通り過ぎる度に、ため息がもれる。
「あの御方はどなたかしら?」
「ーーさあ?はじめて見たわ」
そんな会話が各方面で繰り広げられる中、青空色の瞳は目的を見つけ駆け寄っていた。
「イグニス!」
イグニスと呼ばれた男は振り返る。
振り向いた先には十年ぶりに会う友人の姿があった。
「ラウルス…か?」
「そうだ!十年ぶりだな」
久々の再会にラウルスは腕を広げ、友と人混みの中で巡り会えた事の奇跡を抱擁と共に分かち合おうとしたが、イグニスの眉間には皺が寄っており、双方の感情には温度差があるように見えた。
「イグニス、どうした?」
「どうした?じゃねえよ何だよその格好…」
「…おかしいのか?」
「どっから突っ込んでいいのかわからん」
ラウルスの格好は襟元の詰まった濃紺の刺子仕立てで作られた腰丈の上着と、黒いズボンに革のブーツというルティーナでの一般的な礼服だったが、イグニスの気に障ったのはどこかと探し始める。
「いや、その格好は良く似合っている。が、それが問題だ。お前なんでドレスじゃないんだよ!つか不思議そうな顔で俺を見下ろすな!!」
周囲の女性の視線を独り占めしているのは、彼女らと同性のラウルスという現実をイグニスは恨めしく思った。
ラウルスの身長は175cmで、今は踵の高いブーツを着用していた為、全長は180を優に超えていた。故に身長が173cmというこの国の中では小柄に部類されるイグニスを見下ろす形となってしまう。
「ああ、ドレスも持って来てはいたんだが、侍女に女装した男のようだと言われてしまってね。そんな姿で参加するのも失礼だと思って自粛させて貰った訳だよ」
「……お前、本ッ当に変わらないな!」
「そうか?」
「ああ」
イグニスとラウルスの付き合いは十八年前の従騎士時代まで遡る。
当時の騎士とは貴族の仕事であり、平民が就く事などありえないというのが定説として広がっていた。
しかしそのありえない壁を破って従騎士になったのが、平民出身のイグニス・パルウァエという十二歳の少年で、実力を買われ入隊したのはいいものの、彼を待っていたのは自尊心が高いだけの貴族の子息からの差別で、挫けそうになる寸前に声を掛けてきたのが、偶然所属が同じになったラウルス・ランドマルクという変わり者の貴族だった。
それから八年間、腐れ縁で結ばれた二人は同じ部隊で過ごす。
騎士としての実力もあり伯爵家出身でもあるラウルスは王族からの覚えも良く、出世は約束されたものだとイグニスは考えていた。
ところが十年前のランドマルク家の当主と跡取りの死をきっかけに王都から離れた領地へ帰り、新たな領主となって妹と共に暮らしているという。
「で、どうしたんだよ。いつもは妹妹言ってて来ないのに」
「それは君の隊長職への昇格のお祝いに来たに決まってる!」
「ーーえ?」
「それと妹が…」
「やっぱり妹か!」
イグニスは友人のブレない行動力に脱力する。
十六年前、ランドマルク家に末娘が生まれてからずっとラウルスはとある病気を患っていた。
「今回の夜会で私の可憐で可愛いユーリアの結婚相手を探しに来たのだよ」
ラウルスの〈妹への異常な執着〉っぷりは年々酷くなる一方で、二人の間で定期的に交わされる手紙も彼女の妹の話題で始まり終わる事が常だった。
人だかりから離れ静かな場所に落ち着き、話し始める。
「それでどうだね?」
「は?」
「結婚だ」
「誰と?」
「ユーリアとだ」
つい半月前に撮影されたユーリアの写真を取り出し、誰も居ない状況にも関わらず、周囲にバレないようこっそりとイグニスに見せ、可愛いだろうと耳元で囁く。
写真に写る少女は不機嫌顔で、金髪に青い瞳というランドマルク家の特徴を受け継いでいる。ラウルスとは違い女性らしさを感じる柔和な顔立ちをしていたが、髪は短く少年の様に見えなくも無い。
「なんで髪短いんだよ」
「これからさらに暑くなるからと言って切ってしまったんだ」
「意外とやんちゃだな」
普通ではないユーリアの行動とそれを認容する友人にため息をつく。げんなりとした様子をみせるイグニスなどお構いなしにラウルスは結婚の話を進めていた。
「結婚相手に一番に思い浮かんだのがイグニスなんだ。まあ、数年は〈異常少女愛好家〉とか影で言われるかもしれないが大丈夫だ。4年経てば成人するし、それ以前に熟れる前の果実を楽しむのは今しかない!!領土の采配の知識はユーリアに全て叩き込んでいるし、君は庭で趣味の雑草取りでもして過ごせばいい」
「待て待て待て待て!親衛隊長への昇格を祝いに来たんじゃなかったのかよ!それに結婚って婿か!!つか趣味の雑草取りってなんだ!?それ以前に熟れる前の果実ってどういう事か!!」
「ははは、君も青い果実が気になる年頃か」
「違う!!ああああ…!!面倒臭いッーーだから妹を青い果実呼ばわりするお前がどういうつもりなのだと聞いている!!」
イグニス、ラウルス、共に今年で三十になる。そろそろ大人になっても良い年頃だったが、いつになっても出会った十二歳の頃の精神で話してしまうのは仕方のない事だとイグニスは諦めている。
「まあ、落ち着け。それで返事は?」
「即決希望かよ!」
「ああ、早いほうがいい」
「だったら無理だ」
「そうか」
ラウルスは珍しく俯き、腕を組んで険しい表情を浮かべる。
「だったら私はどうかね?」
「ん?」
「結婚だ」
「ーーば、馬鹿じゃねえの?何言ってんだ」
「だって君いい年だろう?私も偶然いい年なんだ」
突然イグニスの肩を抱き求婚してきたラウルスを全力で押しのけ、光の速さでお断りを入れる。
「そもそも親衛隊は護衛対象の王族が結婚しない限り独身を貫かないといけない」
「なるほど!たしか第四王子様だったかな?」
「そうだ」
イグニスの所属する部隊はルティーナ大国の第四王子パライバ・ルティーナ・ミアーサクの護衛を目的としており、今年で18歳になる王子は未だに婚約者も居ない状態だという。
ちなみに今日はパライバに久々に羽を伸ばしてくればいいと言われ、久々の女性とのふれあいに心を踊らせ参加をしたが、友人の登場によりその計画も上手くいかない事は安易に予測出来た。
おそらく広間に戻れば注目はラウルスに集まり、イグニスはご婦人に囲まれはするものの「あの御方はどなたかしら?」等の質問責めに合うという事態が待っているに違いないと想像して、最悪だとため息をつく。
「そんな訳でお前の妹とは結婚出来ない。お前とは問題外だ!気持ち悪い」
「酷いなあ、とても従順な妻になろうと思っていたのに」
「お前が妻とか寒気がするわ!つーかなんでいきなりそんな事を言い出したんだ?」
「いや、ユーリアがそろそろ世間体が悪いから身を固めろと言ってきて」
「それは…もう手遅れだろう?」
「やはり君もそう思うか?」
残酷な現実だったがイグニスは友の事を思い忠告する。肩を落とす男装の麗人の背中を叩き「どこかに物好きもいるさ」と励まし、互いの健闘を祈る。
そうして「また手紙を書くよ」と言い、別れの言葉を告げるとラウルスは広間に戻って行った。
◇◇◇◇
人の合間を縫うようにラウルスは移動し、目的の人物を探すが見つからない。
探し人は珍しい髪色をしていたのですぐ見つかると思っていたが、思いのほか苦戦する。
「ラウルスじゃないか?」
後方から声を掛けられ振り向けば見知った不機嫌顔があり、相変わらずな態度と久々の再開にラウルスの頬は緩む。
「ハイラスか!久々だな」
「ああ、全くだ。お前の空色の瞳は十年経って北の色に染まって雨曇りしているのでは、と期待して呼び止めたが相変わらず馬鹿みたいに晴天だな」
「ハイラス、君の訳が分からない嫌味も相変わらずだ。感動した!」
「……」
目の前の男はルティーナ大国の宰相ハイラス・ララ。周りからは「美しき森の人」と呼ばれ、人間離れした容姿を持つ。
「隣に居る麗しの妖精も紹介してくれるかな?」
「ーー妹だ」
ハイラスは蜂蜜色の柔らかな髪を揺らしながら微笑む美少女を連れていた。ラウルスと目が合った瞬間ドレスの裾を掴み膝を軽く曲げ、淑女の挨拶をする。
「キラル・ララです」
「妖精の姫君、私はラウルス・ランドマルクと申します、どうぞお見知り置きを」
そう言ながらラウルスは片膝を付き、キラルの手を恭しく握り口付け落とす。
「おい、やめろ。お前何人の女性を有らぬ道へと落としてきたか把握しているのか?」
「ーーなんの事だ?」
「キラル。こいつとは関わるな。馬鹿が移る」
そう言ってハイラスは頬を紅潮させた妹を自分の影に隠す。
「失礼だな。しかしララ家の姫に会えるとは光栄だな。下の弟はどうした?えっと…アシタバ・ダバ、だっけ?」
「アスララ・ララだ。どうして家名まで変わる」
「そうだ、アスララだ!」
「今日は仕事で来ていない」
「残念だ。…そういえばガーネット姫はどうした?婚約したのが数年前だからもう結婚したんだろ?」
「げっほげっほげっほえへんえへんげふ!!」
ラウルスが婚約者の事を尋ねた瞬間に今まで大人しくしていたキラルが不自然なほど激しく咳き込み、会話を中断させる。
「キラル、大丈夫かい?」
「はあはあはあ……神よ!!--あっ、大丈夫です。先ほど食べた石榴のゼリーが喉で引っかかって」
「何の話をしていたっけ?」
「……」
「ざ、石榴!!石榴のゼリー食べません?咽る程おいしいですよ!!」
「石榴?ああ、そうだ。石榴石姫の事だ」
「そ、そうですガーネットゼリーと呼んで」
「姫は愛人と逃げたよ」
「……」
「それは、大変だったね」
キラルは終わったとばかりに両手で顔を覆い、兄から目を背けた。
ハイラス・ララの婚約者だったルティーナ国の元第五王女ガーネット・ルティーナ・ソフィアは、二十歳になった晩に父王に王族としての称号と財産を返上し、愛人と逃避行したお姫様だ。
一時期王宮はその噂で持ちきりだったが、辺境の地までその話は届かなかった。
「ラウルス様!あちらに珍しいものがありますよ!行きましょう」
キラルはラウルスが兄の怒りの砲火を受ける前に腕を引き、その場を離れようとしていたが、当の本人はその危機感が無いのか暢気にハイラスに話しかけている。
「ハイラス、カイルを知らないか?さっきから探しているんだが見つからなくて」
「んひいいいいいいいいいいい!!」
「……」
ラウルスのまさかの探し人にキラルは一目も憚らず悲鳴をあげる。
「ラウルス様死にますよ!!じゃなくてあちらでお話しましょう!!可愛い子揃ってますから」
「え?あ、まだハイラスと話が…」
「はやく避難しないと命が危ない!!」
「?…どうしたんだ?っていうか君、結構力強いな」
キラルに引かれながらラウルスは夜会の広間から退散をする。
カイル・ユージュガット。言わずと知れたガーネット姫の愛人だった。
◇◇◇◇
ルティーナ大国の最北端に位置するランドマルク領は数年前まで寂れた街や村があるだけの土地だったが、領主の交代によって発展を遂げていた。
この見違えるような変化は、ランドマルク領内に留まらず、周辺地域どころか国の財政をも潤している。
その功績のほとんどは王城から無理矢理引っこ抜いてきた元宰相の働きで、その人物は今でもランドマルク家の屋敷で家令をしている。
そんな領内の街の中心にある古城がランドマルク家が暮らす場所で、主の居ない城の中は静寂な空気が流れている。
木漏れ日が差し込む部屋で読書をする少女がいた。
彼女の名前はユーリア・ランドマルク。
かの伯爵家特有の金髪に空色の瞳をもつ美しい娘だったが、金色の髪は肩より短く少年のようにも見え、髪型のせいか白いワンピースも似合っていない。
ここ1,2ヶ月ほど気温が高く、長い髪が鬱陶しいからと侍女に切ってもらったが、思いがけず服が似合わなくなるという現象に苦笑せざるをえなかった。
そんな事を気にするのははじめの三日くらいで、後は似合わない服を着続けていたが、ラウルスの侍女に目をつけられ、少年が着るような服を用意されてしまう。
ラウルスの怖い侍女が居る時は逆らわずに嫌々着ていたが、今はその侍女も居ないため格好は適当だ。
姉が居ない静かな空間で悠々と趣味を楽しんでいたが、控えめに戸を叩かれ現実に引き戻される。
「どうぞ」
「は、はい。失礼いたします」
侍女は丁寧に扉を閉め、一礼し用件を述べる。
「ご、ご主人様がたった今お帰りに」
「え?」
ユーリアの姉ラウルスが王都に出かけたのは十日前。王都まで馬車で片道五日はかかる。夜会が行われたのは四日前で、帰宅は早くて明日の深夜だろうと城の者達は予想していた。
「どういう…」
「ユーリア!!帰ったぞ」
侍女が静かに閉めた扉を豪快に開くものが居た。
「姉上、何故!?」
「駿馬で駆けて来たんだ。寂しかったよユーリア」
驚きに目を見張るユーリアをラウルスは抱き上げる。
「な、なにするんですか姉上!汗臭いです」
「ほとんど休まず駆けて来たからな。そうだお風呂に入ろう!!」
そう言ってユーリアごと移動しようとするのを制止した。
「一人で入って下さい!何故私まで連れようとするんですか」
「いいじゃないか。最後に一緒に入浴したのはたしか六年前…私の背中を洗ってくれるユーリアはとても可愛かった」
「ああ!思い出話はいいですから、下ろしてください」
ユーリアは傍に居た困まり顔の侍女に風呂が沸くまでの時間を尋ねる。
「お水を張って湯が沸くまで三十分ほどかかります」
「…だそうです。今すぐには無理なので下ろし」
「そうか!ユーリアの服を脱がすのに軽く三十分は掛かるから丁度いいな」
「はあ!?何を言って」
文句を言い終える前にラウルスは浴室に妹を抱いたまま移動を始めた。