表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺は神様  作者: 彩文
4/6


 女王様の国にくる頃には、もう日は沈みかけていました。帰ってきた男の子を、王城に入ってすぐ、お姫様や、おつきの侍女が暖かく迎えてくれました。そこに女王様の姿はありませんでしたが、男の子は何とも思いませんでした。そんな男の子の後ろで、二人の騎士は、女王様の人間性を疑っていました。男の子の両目に走っていた傷跡が、今は跡形もないのを見るや否や、お姫様は目を輝かせます。

「もうだいじょうぶなのですか? わたしが見えるのですか? 痛くないのですか?」

「ああ、見える。シャルロットが笑ってる」

 抱きついてきたお姫様の頭を、男の子は優しく撫でます。お姫様は幸せそうに目を細め、男の子から体を離しました。しかしその手は男の子の右手をしっかり握っています。

「お兄様にお話したいことがあるのです。これからお兄様のお部屋に連れていってくださいませ」

「……怒られても知らないぞ」

「わたしも知りません! あんなお義母様!」

 膨れっ面で声を荒らげたお姫様。男の子は勿論、二人の騎士も目を瞬かせました。侍女が遠慮がちにお姫様を諫めます。しかしお姫様は顔を背けるだけです。侍女も困り、二人の騎士も困惑する中、男の子は察しました。じゃあ、とお姫様の手を取ります。

「俺の部屋で、いっぱい話そう」

 女の子が顔を輝かせて頷きました。男の子は一旦二人の騎士を振り返ります。

「今日はありがとう。おまえたちは、これからどうするんだ?」

「女王様にご報告申し上げてから寄宿舎に帰ります」

「その前に、王子と姫をお部屋にお送りしますかね」

 実直な騎士と陽気な騎士は顔を見合わせてから、男の子に微笑みます。男の子は再びありがとう、と礼をしてから、自室に向かって歩き始めました。幸せそうに笑い合う男の子とお姫様。その後ろをついていく二人の騎士の顔には、幸せそうな男の子とお姫様とは対照的な、憂慮がありました。



――――



「あの人はわたしの夫を勝手に決めたのです!」

 男の子の自室に入って、並んでベッドに座るなり、お姫様は男の子に泣きついてきました。男の子にはよく分かりませんが、とにかくお姫様の背中を撫でながら、うんうん、それで、と相槌を打ちます。涙がお姫様の赤い頬を伝って、ドレスにしみを作ります。嗚咽を漏らしながら、お姫様はゆっくりと話し始めました。

「わたしの……婚約者を、お義母様が勝手に決めたのです! わたし、会ったこともないのに!」

「誰なんだ?」

「リッケンバッカーの長男と言っていました。名前は覚えていません」

 お姫様は潤んだ丸い目で、男の子を上目に見つめます。

「お兄様、わたしと結婚してくださいませ! 話したこともないおじさんはいやです!」

「それは出来ない。どれだけ駄々をこねても、お母様がお許しにならないだろう」

「わたしが、婚約の儀に出なくても?」

「それはだめだ。シャルロットはこの国のお姫様なんだから」

 男の子の諭すような口調に、お姫様は俯きました。分かってくれたか、男の子が安心して、お姫様の頭を撫でようと手をあげたときでした。

「じゃあ」お姫様の涙声に、男の子の手が止まります。顔を上げたお姫様の目には、決意が色濃く滲んでいました。「それならお兄様、わたしと一緒に、ここから逃げてくださいませ!」

 涙を溜めたお姫様の目は本気でした。射抜くような鋭さがあって、男の子はいつものように、それは出来ないと即答できませんでした。しない代わりに、ただ目を閉じて、静かに首を振りました。すがりつくように男の子の腕を掴んできた女の子の手を、しっかり握り返します。

「……お母様に言ってみよう。シャルロットが言っても聞かないなら、無理かもしれないけど……二人で、頑張ろう」

 男の子はベッドから立ち、お姫様も続きました。男の子の部屋を出て、女王様の部屋に向かいます。

 すれ違う侍女や王城護衛の騎士たちが不思議そうに見たり、どこに行くのか聞いてくることもありました。角を曲がり、廊下を抜けて、階段を上がり、また廊下を歩きます。お姫様の呟きみたいな問いかけに男の子がたまに答えたりして、ぽつぽつと会話をしながら歩いていると、ほどなくして、女王様の執務室に着きました。護衛の二人の騎士が、居住まいを正します。男の子がノックをすると、女王様の返事が聞こえました。お姫様が、シャルロットです、とドア越しに言いました。少し間を置いてから許可が下りたので、お姫様と男の子が入室します。そこには、何かお仕事を中断したらしい女王様が、椅子ごとこちらに体を向けていました。

「シャルロットだけ、と聞こえたけど」

「シャルロットが不安というのでついて参りました」

 冷徹な女王様の声に負けじと、男の子の声も抑揚のないものでした。激励のつもりで、男の子はお姫様の手を握ります。お姫様は呼応するように、口を開きました。

「お義母様、わたし、リッケンバッカーの方とは結婚したくありません」

 震えもなくしっかりしたお姫様の声には、意思が込められていました。お姫様は女王様から目を逸らしません。男の子も女王様を見つめました。今度はお姫様が男の子の手を強く握ります。先に目を逸らしたのは女王様の方でした。

「貴女は王女なのです。……由緒正しき家の者と婚約しなければならないし、リッケンバッカーは強力な後ろ盾となるでしょう」

「後ろ盾なんていりません。わたし、好きな人と結婚したいのです」

「シャルロット。貴女は王族なのです。決して、理想に描いた道を進めるほど、恵まれた生まれではないのです。貴女くらいの年の頃は私もそう思っていました」女王様は静かに目を伏せて、隠すみたいに顔を背けます。「……出来ることなら叶えてあげたいわ。でも、せめて相手は人間にしなさい」

 冷徹な目が護衛の騎士に向けられます。護衛の二人の騎士が背筋を伸ばし、鎧の擦れる金属音がしました。

「クリスを連れて行きなさい。ここからは王位継承者の話、貴方は部外者です」

「お義母様っ!」

 お姫様の声が裏返ります。俯いているから、髪で隠されて、どんな顔を浮かべているかも分からない男の子は、お姫様の手をゆっくりほどきました。言われなくても、と押し殺したような低い声が響きます。

「……貴女にとっての俺は、人外で、」おもむろに顔を上げる男の子。怒りとも悲しみともつかぬ、諦めや絶望のような、じっとりとしたものを宿したその瞳が、女王様を睨むように見据えていました。「結ばれたくもなかった相手と結ばれて、出来てしまった子ということか」

 女王様は一瞬、目を丸くしました。でもすぐに、きっと男の子を睨みつけます。それは否定ではありませんでした。そんな女王様の顔を見たお姫様は、目を見開きました。お姫様の心に沸き上がった感情はきっと激怒でした。でも、お姫様がそれに身を任せて激昂する前に、男の子は床を蹴っていました。立ち尽くす護衛の二人の騎士の間をくぐって、廊下に飛び出しました。お姫様が男の子を呼ぶ声がした後、女王様がお姫様を叱りつける声がしました。


 実の母や、城の者の冷遇に泣いても、男の子にはすがる人がいませんでした。お姫様にそんなことを言ったら、いよいよ逃避行しようとするでしょう。男の子は何かいやなことがあると、枕を濡らしました。今日も、自室に向かって駆けていました。でも、気付いたのです。いつも同じ仕打ちを受けて、いつも同じところに帰って、いつも同じように寝てては、何も変わりはしないのです。男の子はゆっくりと立ち止まります。すがる人を、男の子は見つけたのでした。それを、思い出したのでした。くるりと踵を返して、また走り出します。向かうのは、騎士団の寄宿舎でした。


――――


「……どう思う、アンドリュー」

 騎士団の寄宿舎の一室、実直な騎士と陽気な騎士は、二人部屋を与えられていました。大浴場で入浴を済ませ、二人は個々のやるべきことを片付けた後のことでした。男のそれにしては整頓された決して広くない部屋を、魔導機灯が照らしています。ベッドが二つあり、机が二つあり、その間に人が一人通れるだけの道があり、棚が一つあるだけの、さもない狭い部屋。日が沈んだからこそ、ベッドに腰掛けた実直な騎士はおもむろに口を開きました。ベッドの上であぐらを掻いていた陽気な騎士は、見ていた雑誌から目を離し、顔を上げます。

「どう思うって……やっぱりカルトの魔導機はすごいよなぁ。見るかこれ。めちゃくちゃきれいだぞ」

「騎士がエロ本を読むなんて、不道徳にも程がある。燃やすぞ」

「嘘! 嘘だって! これ高かったんだよ!」

 実直な騎士の険しい顔に、陽気な騎士は慌てて手元の雑誌を閉じて、ベッドの敷き布団の下に潜めました。で、何を、と、とぼけたように改めて問いかけます。

「王子の叔父様……エリック様のおっしゃっていたことだ」

 実直な騎士は声を潜めます。彼の真っ直ぐで逃げ場を与えない視線に、陽気な騎士は口をへの字に歪め、視線を泳がせました。再び実直な騎士の顔を見て、体ごと彼の方を向きます。その頃には、陽気な騎士の顔も、実直な騎士と向き合う真面目なものになっていました。

「…………ジュリア様の暗殺、についてか?」

「声がでかい!」

 実直な騎士が怒鳴りつけます。その声の方がでかい、と言わんばかりに、陽気な騎士は呆れたような素振りを見せました。

「王子次第だろ」

「……あんな仕打ちを受けて、憎んでも、苦しんでもいないと思うのか。お前、今の王子を見ていられるのか」

「王子には、あの太刀でジュリア様を殺すことも出来たし、カルトから帰らないという手もあった。ここから出ていかない理由は、何かしら望んでいるのもあるんだろう。そこにある王子の望みごと摘み取るのはいけない」

「王子が行動を起こすまで待てと」

「じゃあ王子に、貴方を救うために貴方の母親を殺すって打ち明けるのか? それじゃあ押しつけがましい親切だ。それに、王子はまだ十だぞ」

「だから声がでかいとーー」

 こん、こん。陽気な騎士の苛立ちを含んだ声に、実直な騎士が声を荒らげたとき。ノックの音。二人の顔色はほぼ同時に青ざめました。目を見開いて、ドアの方を向きます。

「……さっき、カーシーが各部屋を回ってチェックするって言ってたろ。大丈夫、カーシーなら大丈夫だ。分かってくれる」

「班長だったら、広場で磔刑だな……」

 陽気な騎士がおぼつかない足取りでふらふらとドアに歩み寄ります。絶望の実直な騎士は、半ば神頼みでドアの方を見ます。

「って、王子?」

「しっ!」

 全く予想しなかった小さな客の来訪の驚きに、陽気な騎士は思わず声を漏らしました。男の子は口の前に人差し指を持ってきた後、部屋の中に駆け込みます。陽気な騎士も男の子の事情を察し、一度廊下に出て、男の子の姿を見た者がいないのを確認してから、素早くドアを閉めました。ドアの前で呆然としていると、先に口を開いたのは実直な騎士の方でした。

「お、王子、何故、ここに?」

「…………お前たちに、相談があって来た」

 呆然と男の子を見つめていた陽気な騎士も動き出して、自分の机の椅子を男の子のそばに運んできました。ありがとう、と王子が椅子に座るのを見て、陽気な騎士もベッドに腰掛けます。足が床に届かない男の子は、足をぷらぷらを揺らしています。

「お、王子? その……ご相談なら、我々を呼び出せば良いのであって、王子がわざわざこんな、狭い部屋にいらっしゃる必要は……」

「迷惑だったか……?」

「滅相もございません! ただ、王子にこんな臭い汚い部屋にお越し頂くのが申し訳ないだけです!」

「そうか? いい匂いだぞ。すれ違うメイドと同じような香りがする」

「アンドリューの香水です」

 いきなり立ち上がった実直な騎士は、陽気な騎士の枕元に置いてある小綺麗な小瓶を取ると、男の子にかからない程度に、部屋に一吹き二吹きさせました。女性ものの香水です、と実直な騎士が笑うと、男の子も良い匂いだ、と笑いました。ただ一人、勝手に部屋の消臭剤代わりに香水を使われた陽気な騎士は引きつったような苦笑を浮かべています。しかしそれも、男の子の笑顔を見て、すぐに朗らかな微笑みに変わりました。どこか不安を隠しきれず、陰りはありましたが。

「して王子、ご相談とは……」

 様子を伺いつつ、部屋に沈黙が降りたとき、実直な騎士の方が切り出しました。香水を陽気な騎士に返し、再びベッドに腰掛けます。陽気な騎士も、不思議そうにしながら男の子に視線を向けました。

「俺とシャルロットが、生きたいように生きるためには、」男の子は、二人の騎士の視線を受けているにも関わらず、そのどちらも見ることはなく、その目は床を見ていました。言葉を一度切り、強く結ばれた唇。躊躇いがそこにあります。しかし、決心したように、男の子の唇は、おずおずと開かれました。「…………お母様を殺すしか、ないのだろうか」

 独り言を呟くかのように、小さな口から絞り出された相談の内容。男の子の幼い瞳は揺らぎ、唇は再びきつく閉ざされます。二人の騎士は、衝撃に目を見張り、言葉も失いました。わずか十の少年が、母の殺害を考慮に入れるほどに、追い詰められる現状。二人の騎士には痛ましく耐え難いものでした。二人は男の子から目を離し、アイコンタクトで、お互いの意思を確認しようとしました。二人とも、同じ気持ちでした。

「王子、まさか、先のお話を……」

 陽気な騎士の代わりに尋ねたのは実直な騎士でした。声が揺れます。

「ほとんど聞いた」男の子は二人の騎士の顔を一向に見ないまま、力強く断言しました。陽気な騎士が苦笑いを浮かべ、実直な騎士が視線を落とします。「だからこそ、この相談をしている。お前たちなら、親身になって聞いてくれると思ったから」

 二人の騎士は、発する言葉もなく、ただ男の子を見つめました。逸材中の逸材と歌われ、王子である男の子の護衛の任に就いたとは言え、騎士団の中では、二人はまだまだ新米で、下っ端です。王族が相談相手に選ぶには、身分も地位も、名声も財産も、何もかもが不適な立場でした。二人の騎士は、そんな大事な相談相手に選ばれた感動と、こんな下っ端に相談するしかなかった男の子への心痛を覚えました。

「王子、我々は……このアンドリューとサイモンは、ローランド騎士学校を主席と次席で卒業し、逸材と歌われてはいますが、」神妙な面持ちで、陽気な騎士が話し始めました。いつも風に遊ばれふわふわと揺れている天然パーマの髪の毛を耳にかけると、人間のものではない、とがった耳が露わになりました。「この通り、我々は人間と、そうでないものの混じり者です。人間の中で秀でるのはごく自然のことで、裏を返せば、人間の中で居場所がないのもごく自然のことです」

 陽気な騎士は髪を整え、耳を隠します。普段の陽気でくだけた様子とは打って変わって、淋しそうに目を細めます。口角をつり上げたのは、もはや無理矢理でした。

「両親も、事故やら何やらで、人間の中では生きられず死んで……孤児院の生まれです。川の氾濫で父と母は流され、やがては迫害される赤子を、孤児院の院長が憐れみ、息子として引き取っただけのこと。我々は、決して、王子が信頼なさって宜しいような身分ではありません」

「でも、俺にはお前たちしかいない」

「はい。だからこそ我々は、我々を信頼してくださった王子のために、どこにでも参りますし、何でも致しましょう。捨てられるものなど、この身とこの友しかありません。……この友には女もいますが」

「アンドリュー……」

 呆れる実直な騎士に、陽気な騎士はおどけて、声をあげて笑いました。一頻り笑いが収まると、気を取り直したように、だから、と男の子に柔らかな微笑みを向けます。

「後は、王子がご決断なさるだけです。我々は語る言葉を持ちません」

「その代わり、どこへでもついて参りましょう。責任を持って、王子のお手をお預かりします」

 男の子はいつの間にか、顔を上げて、二人の騎士の顔を交互に見ていました。眉尻が下がり、目は潤んで……二人の忠誠心が心に響いたのか、或いは答えを見つけ出してその残酷さに思い詰めてしまったのか……どちらともつかぬ表情を浮かべていました。

 陽気な騎士が立ち上がり、男の子の前に片膝を着きました。普段の陽気な笑みを浮かべて、男の子に立ち上がるよう促します。

「さあ王子、お城にお戻りください。流石に王子がいらっしゃらないと知れたら、騒ぎにもなりましょう。お送りします」

「私も参ります」

 実直な騎士も立ち上がり、男の子にひざまずきました。男の子は二人の騎士を見下ろしながら少しだけ黙り込んでいましたが、決心したのか、うん、と小さく頷きました。呼応の証に、二人の騎士も微笑みました。

「大丈夫ですよ、王子。王子には、『神様の許し』があるのですから」


――――


 『神様の許し』。それは、男の子のお父様である、神様が男の子にくれたものでした。形もないけれど、有形のどんなものより、励ましと勇気をくれました。何をしても許される免罪符を手にして、男の子は考えていました。この免罪符を、最も有効に使う方法は何だろう。大好きで、民衆にも慕われている神様。その神様からの、特別な贈り物。くだらないことには使いたくありませんでした。もっと、もっと、大きなことに、使いたかったのです。

 ひとりぼっちの部屋は狭くて、静かで、考えごとにはうってつけでした。男の子は寝間着にも着替えず、ベッドで横になって、ただ天井を眺めていました。しかし、どたどたと、廊下で騒がしい足音がします。男の子が飛び起きると、いきなりドアが開け放たれました。

「お兄様っ!」

 お姫様でした。お姫様は頬に涙の跡を描いて、揺らぐ瞳で男の子を見ては、また涙をこぼしています。男の子は、優しく微笑んで、ドアを閉めておいで、と、自分の隣を叩きました。お姫様は荒々しくドアを閉めると、男の子に飛びつきます。

「あの人は何もわかってくれないのですっ……」

「そうか、聞いて、くれなかったのか」

「お兄様、いっしょに逃げましょう……! カルトの国に、逃げましょう……」

「それは出来ない。シャルロットはインジェリットのお姫様なんだから」

 男の子の胸に顔を埋めて男の子の服を濡らしていたお姫様は、いきなり顔を上げました。鼻水を啜って、涙をぽろぽろこぼしながら、男の子を見上げます。

「でも、わたしの王子様はあの人じゃありません……!」

「シャルロットの王子様は、この国と、女王となるシャルロットを支えていく人だ!」男の子は、厳しい声音で諭します。お姫様の潤んだ丸い目を、真っ直ぐに見つめます。「俺にはインジェリットを守れない! シャルロットがインジェリットを守らなかったら、誰が守るんだ!」

 男の子はお姫様の薄い肩を握って、俯きました。お姫様は言葉も失って、ただ目を丸くするだけです。お姫様がおずおずと、男の子を見ようとして、視線を落とします。男の子は俯いたままです。わかってくれと懇願するように、男の子の声が漏れました。

「俺は、シャルロットの王子様なんかじゃ、なくて……」

 お姫様の肩を握る男の子の手も、裏返ったその声も、まるで、嘆いているように震えます。男の子は、とても悲しんでいます。悲しいのです。こんなに好きと言ってくれるお姫様の王子様になれないことも、そんなことに、今更気付いてしまったことも、そんなことを、今更伝えなければならないことも。悲しくて、つらくて、胸が痛くて、喉の奥も痛くて、目頭だって熱くて、手も声も震えて、こんなに、こんなに、現実は残酷で、そんなことに、今更気付いてしまったというのに。

「シャルロットは、俺のお姫様じゃ、なかったんだ……!」

 お姫様には見えないその顔で、男の子は笑っていました。こんなに悲しくてつらいのに、口角がつり上がってしまって、笑顔は収まりそうにありません。見開いた目も震えて、とてもお姫様には見せられない、ひどく壮絶な笑顔でした。

 男の子は、気付いてしまったのです。ずっと求めていたものの正体に。


 壊したい場所。

 帰りたい場所。

 笑い合いたい友達。

 愛したいお姫様。

 抱きしめられたい父親。

 したいことをしても咎められない免罪符。


『一つだけ、俺からクリスに贈り物がある』

『神様の許しだ』

『どうしても成したい夢や目標、欲望が出来たら、その通りにしていいっていう、神様の許しだ』

『そう、何でも。俺が許す』

『神様がクリスを守るから』


 殺したい、母親。


「シャルロット、俺がお前を自由にしてやる」

 唐突に、男の子は顔を上げます。目を見開いて白い歯を見せ、日常浮かべるそれとは全く異なる、狂気さえ滲む笑顔。お姫様は目を大きくして、恐怖にも似た驚愕に絶句しています。

 ――――俺のお姫様は、ステラだったんだ!

 やっと気付けた、見つけた、男の子のお姫様。男の子は笑顔に恍惚を滲ませました。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ