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俺は神様  作者: 彩文
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 その日、お姫様は、女王様のベッドで、女王様に抱かれて、眠れもせずに朝を迎えました。男の子には会わせてもらえませんでしたが、その代わりに、治癒の魔術によって傷は塞がれたこと、更なる治療のために、神様の元に向かうことだけは聞かせてもらえました。

 男の子は、騎士団の団員である、治癒を専門とした魔術師に目を治療してもらいました。お陰で傷は塞がりましたが、怪我をした場所が場所なだけに、暗い夜を見透かせる目はおろか、明るい昼を見る視力も元には戻りませんでした。男の子の右目から左目にかけて、痛々しい傷の痕が残っています。けれども男の子にはそれがどの程度のものかは判りません。男の子は女王様の命で、神様の治療を受けることになりました。何も見えない男の子を護衛するのは、王城に勤める騎士が二人です。二人は神様を神様と崇め、男の子を神様の子と、半人半神と崇める男達でした。大柄で実直な男と、細身で陽気な男という、正反対な組み合わせでしたが、彼らは騎士学校時代からの友人だそうです。男の子には冷たい女王様の、貴重な優しさだったのかもしれません。

「王子、護衛は我々にお任せください。我らが守護神とその子である貴方様に、何かよからぬことを企てている輩がもしもおりましたら、この私が切り捨ててご覧に入れましょう」

「王子はそんなのご覧にならなくていいんだよ、バァカ。王子はもっと高いところで、国をお守りになるんだから」

 崇拝する神様の子の護衛につけて嬉しいのか、或いは窮屈な日々を送っている男の子を笑顔にさせるためか、二人の騎士は始終そんな掛け合いをしてばかりいました。実際二人は中々の手練であるし、誰かが襲ってくるということもなく、三人は無事に神様の国の神様の居城に到着しました。

 今は神様の国の首都であるものの、かつては学術都市だったそこは、全体的に暗い紫色や紺色に統一された建物が建ち並び、女王様の国よりもずっと多い魔導機灯が設置されていて、いかにも文明の発展した近未来的な都市、といった雰囲気を醸しています。

 神様の居城というのも、お城、というよりは、塔、といった形の長い紫紺の建物でした。隣には同じ長さの純白の塔も並んでいて、まるで双子のようにそびえ立っています。

「高いな……」実直な騎士が、手で日除けを作りながら、塔の先を見上げて呟きました。やがて男の子に向かって膝を着くと、やんわりと微笑みを浮かべます。「王子、私が王子を負ぶらせて頂きますので、お疲れになったら、ご遠慮なくお申し付けください」

 男の子が困惑していると、実直な騎士の頭を陽気な騎士が叩きました。小気味のよい音が鳴ります。

「バァカ。これだけ魔導機の発達してるカルトだぞ。お前知らないのかよ」

 今は王子はご覧になれないでしょうが、と、陽気な騎士は純白の塔を指しました。実直な騎士は陽気な騎士の指した指の先を負います。純白の塔と紫紺の塔は、所々、渡り廊下で繋がっています。一体どうやって造られたのか、二人の騎士には見当もつかないほど、高度な建築技術を以て造られたようでした。

「王子、カルト王国の神様や王女様の居城は、今我らの目の前にある、双子の塔……紫と白の二つの塔とされています。紫の塔は、我が国の王城のように、基本的な城の役目を成しており、白の塔にはですね……」陽気な騎士は勿体ぶるように言葉を切りました。白の塔には?と、男の子が首を傾げます。光を映せぬその瞳には今、想像の双子の塔が描かれているのでしょう。陽気な騎士は男の子に笑いかけて、声を大にして話を続けました。「なんと、紫の塔をより楽に登るための、天地を自由に移動するという、魔導機の箱が収まっているのです」

「おおっ……!」

 目を丸める実直な騎士の隣で、体を震わせたのは男の子。見たことも聞いたこともない未知の移動手段に心を躍らせたのでしょう。しかし、男の子はすぐに俯きました。まるで、何かを恥じるように。実直な騎士も陽気な騎士も、男の子がどうしたのか分からず、一瞬言葉を失いましたが、陽気な騎士がすぐに察したようで、目元を緩めました。

「王子、良いのです。我々は、王子に、王子でない何かのふりなど望みません」柔らかな陽気な騎士の笑みを、男の子が見ることが出来たら、その言葉の意図はすんなりと男の子の胸に落ちたのでしょうが、残念ながら、男の子の目は陽気な騎士の柔らかな笑みを映せません。しかしその代わりに、陽気な騎士の声には、笑顔と同じくらい、彼の真心が乗っていました。「我々は、王子の望むままに振る舞って頂きたいのです」

 お姫様を守る騎士である王子様も、その姿を強要される王子様も、二人の騎士にとってはあまり見ていて気持ちの良いものではなかったのです。男の子は顔を上げて、少しの間はあったものの、口元を綻ばせました。

「……楽しみだ。天地を自由に移動する、箱」

「ええ、私もです」

 実直な騎士が男の子に続いて頷き、立ち上がります。陽気な騎士は、目線の並んだ実直な騎士と(とは言っても、実直な騎士の方が身長からしてほんの少し上ではありますが)、口角をつり上げました。

「では、行きましょう。ご案内致します」

 実直な騎士が男の子の右手を取りました。

「王子、天地を移動する箱はすぐそこです。さぁ、行きましょう」

 陽気な騎士が男の子の左手を取りました。両手を二人の騎士に取られた男の子は、まだ恥ずかしそうに、少し遠慮がちではありますが、その幼い顔に浮かべているのは紛れもなく、箱を楽しみに輝く、年相応の微笑です。

「ああ、案内を頼む」

 男の子は温かい気持ちになっていました。冷たい女王様のお城に、お姫様以外にも、男の子を想ってくれる人は、確かに、いたのです。


 憲兵に伝えて自ずから開くドアを通り、白の塔に入ると、天地を移動する箱らしきものは、特に見受けられませんでした。右手に螺旋階段の始まりがあって、その螺旋階段に巻かれた塔が中央にあるだけです。塔には、白の塔の入り口にあった自ずから開くドアと似たドアがあり、その傍らに長身の男が立っています。無造作に伸ばした鳶色の長髪を頭の下方で結び、身の丈ほどもある大刀を肩から下げた男は、緑色が特徴のカルト王国の軍服に身を包んでいました。憲兵と同じように、カルト王国の軍人であるのです。男の子達が塔の中に入って来たのを見ると、長身の軍人は、歩み寄って来ました。敵意は感じられないものの、鋭い目つき。神様や男の子と同じ、切れ長の瞳孔。その顔を知っていた二人の騎士は、思わず男の子から手を離して、その後ろでひざまずきました。男の子には、無音の空間に誰かの足音が虚しく響き、両の手の温もりが離れたことしか分かりませんから、困惑しています。

「お迎えに上がりました、クリス様」

 男は平坦な声で男の子に挨拶をしてから、ああ、と小さく漏らして床に膝を着き、男の子と同じ目線になりました。

「そうでした。両の目を怪我していたのでしたね」声は相変わらず平らな抑揚のままですが、長身の軍人は僅かに眉根を顰めます。「覚えているでしょうか。貴方と剣で遊んだ、クレハです」

 長身の軍人が微笑んで名乗ると、男の子は顔を輝かせました。痛ましい傷跡の走る両目は閉じたままで、口元が綻びます。

「クレハ、クレハか! 俺とよく遊んでくれた、父様の友達のか!」

「ええ、そうです。お久しぶりです」

「ああ、久しぶりだ! 大事はないか」

「はい。健康体です。クリス様も御身は大切にしてください」

 長身の軍人はやや棘のある声音で、男の子を咎めます。男の子はしゅん、と、目に見えて肩を下ろしました。それを見た実直な騎士は、きっと顔を上げます。お言葉ですが、口をついて出たのはそんな言葉でした。陽気な騎士の、バカッ、という、相棒を諫める言葉も間に合いませんでした。

「王子はシャルロット姫をその身を挺してお守りになられたのです。確かに御身を第一に考えていただきたいのは我々も望んでいますが、お叱りになるのは、」

「やめろ、と」

 長身の軍人は、酷く冷めた目を実直な男に向けます。感情に身を任せてしまったということは、実直な騎士はもうとっくに気付いていました。嫌な汗が吹き出てきます。見開いた眼が揺れています。でも、一度口から出たものを取り消すことは出来ません。実直な騎士は口を閉じて頭を下げましたが、長身の軍人は責め立てます。

「……なるほど、インジェリットはあのお方やそのお子であるクリス様を非難する風潮になってきていると聞いたが、親衛の者までこの様か」長身の軍人は立ち上がり、顔を上げない実直な騎士を睨みつけました。「クリス様の親衛をする気がないなら帰れ」

「我らは!」

 実直な騎士の代わりに声を荒らげたのは陽気な騎士でした。それだけで人を殺せそうな威圧感を放つ長身の軍人の、切れ長の瞳孔の目をしっかりと見つめます。

「我らは、守護神に命を救われた身! どうして神の子でもない小娘を守りましょうか!」

「ならば何故カルトに来なかった」

「一人インジェリットにお残りになったクリス様をお守りする為です! 我らは、クリス様をお守りするためにあの国で生きてきたのです!」

 無音の広い塔には、陽気な騎士の魂の熱弁はよく響きました。螺旋階段を上っている者がいたら、きっと聞こえたでしょう。表情一つ変えない長身の軍人に、陽気な騎士も我に返りました。脂汗が滲みます。いつもの彼なら、へらりと笑って誤魔化しますが、目の前の男はそれが通じない相手で、しかも、相棒ごと彼を殺すことなど、造作もない強さを持つ相手なのです。加えて、幼い王子は、視力を失っている。死すら覚悟し、陽気な騎士は頭を下げました。目を閉じます。

 ふ、と、長身の軍人は、かすかな笑い声をこぼしました。かすかとは言っても、無音の空間なのでよく通ります。二人の騎士は恐る恐る、顔を上げました。

「頭に血が上りやすいのは良くないが、女王がつけた親衛にしては、悪くない」

 長身の軍人は二人の騎士に微笑むと、男の子の頭を撫でました。二人の騎士からは、男の子の表情は分かりません。しかし、鼻水を啜る音がしました。二人は先ほどとは別の意味で冷や汗を滲ませます。

「おっ、王子、大変申し訳ございません! お見苦しいところを!」

「……お前が、取り乱すから、俺もついカッとなっちまったんだ……俺は悪くない……。王子、どうぞ、これでお鼻を……」

 二人の騎士は立ち上がり、実直な騎士は右側から男の子に頭を下げ、陽気な騎士は男の子の左手に綺麗なハンカチーフを握らせました。男の子は、語る言葉がないのか、声を出せないのか、首を振るだけです。

「あのお方の元まで俺が案内しよう。お前達はクリス様が転ばないよう、しっかり両の手を握っているんだぞ」

 長身の軍人が螺旋階段に巻かれた塔のドアに歩み寄って、そのドアの中心に触れると、ドアは自ずから開きました。白い小部屋が見えます。長身の軍人は、男の子と二人の騎士に、入れ、と促しました。

「王子、今から天地を移動する箱に乗りますよ」

 陽気な騎士が男の子に笑いかけます。男の子は鼻水を啜って、歯を見せました。実直な

騎士も、口元を緩ませました。三人が白い小部屋に入ると、長身の軍人も入ってきて、そしてドアが自ずから閉まりました。長身の軍人がドアの付近に縦に並んだボタンを押すと、がこん、と、小部屋が揺れました。

「わっ」

「おぉ」

「ひっ」

 妙な浮遊感に、男の子と二人の騎士は間抜けな声を発しました。長身の軍人は慣れているのか、微動だにしません。足は床に着いているのに、絶えず続く妙な浮遊感。

「これが、天地を移動する箱か……面白いなァ」

 陽気な騎士が小部屋の中を見回しながら微笑みます。実直な騎士は未だ慣れないようで、陽気な騎士と対照的にその表情は硬いです。

「……その珍妙な呼び名はどこで知ったか知らんが……これは、エレヴェーターという」

「へぇ~。魔導機はこんなことまで出来るのか」

「このボタンに行き先が書いてあり、押せばそのフロアまで昇れる。これからも利用する機会はあるだろう、覚えておけ」

「なるほど~」

 妙な浮遊感に包まれ、長身の軍人が話す魔導機講義と、陽気な騎士の気の抜けた相槌をしばらく聞いていると、チーン、という甲高い鐘の音がしました。

「着いたぞ。最上階だ」

 ドアが自ずから開くと、その先の光景は全く変わっていました。男の子たちが入ってきたドアはなくなっていて、白い壁しかありません。長身の軍人の案内で小部屋から出て、円形の建物内なので、小部屋の壁に沿って、裏側にまわると、また新たなドアがあります。長身の軍人が触れると、やはりそのドアは自ずから開きました。外から見えた、あの渡り廊下です。

「本当に、天地を移動したんだな……」

 実直な騎士が目を丸くして、ひたすらに真っ白な渡り廊下を見回します。陽気な騎士は彼とは逆に、薄笑いを浮かべながら渡り廊下を歩きます。三人の先を行っていた長身の軍人が、渡り廊下の終わりの紫色のドア……というよりも、ゲートのような、大きめの出入り口の前で立ち止まりました。

「この先に、あのお方と姫様がおられる」

 姫様とは、男の子の義理の妹のお姫様ではありません。神様と女王様の実の子供で、男の子の実の姉の、神様の国の王女様です。男の子は肩を震わせました。それが何によるものか、長身の軍人にも、二人の騎士にも、分かりきっています。二人の騎士は微笑み合って、男の子に視線を落としました。長身の軍人も、男の子を真っ直ぐに見据えます。

「準備は、よろしいですか」

「ああ」

 男の子の返事は、力強いものでした。では、とだけ言って、長身の軍人は紫色のゲートを開きます。塞がれた両の目は、何も映しはしないのに、男の子は、必死に父と姉の姿を見ようとして、ただただゲートの先を、見つめていました。

 拍子抜け、とでも言うべきか、今までの発達した、近未来的な内装からは少し離れた、インジェリットと大差ない王座の間が、ゲートの先に待っていました。円形の間の奥の方の、二段ほど上がったところに、玉座が二つあり、ゲートからそこまで、紫紺のロングカーペットが伸びています。

 そこに、男の子の父と、姉はいました。

「おおっ! クリス! 元気にしてたか!」

 男の子を認め、嬉しそうに声を高らかにしたのは神様でした。足を組んで掛けていた玉座を蹴って、男の子に駆け寄り膝を着くと、神様は男の子を抱き締めました。

「元気にしています。クリストファーは元気です、お父様」

「ははっ。元気だったら怪我の治療になんて来ないだろ、バカ」

 神様は男の子を離すと、痛ましい一筋の刀傷を見つめながら、わしゃわしゃと頭を撫でました。乱れた髪の毛を、男の子は手で整えます。ばつが悪そうに男の子は俯きましたが、神様は、かっこいいな、と再び男の子を撫でて立ち上がりました。男の子がおずおずと顔を上げます。

「クリス、男の子にはな、大抵一人くらいは、守るべきお姫様がいるもんだ」神様は得意げな顔で話を始めました。男の子は首を傾げて、神様のお話に耳を傾けます。「そのお姫様が、お前にとっては、シャルロット姫だったんだろ? お前はお姫様を守れたんだ、かっこいいな」

 男の子が嬉しそうに顔を綻ばせたのを見ると、神様は男の子の後ろにひざまずいている二人の騎士にも目を向けました。

「顔を上げろ、護衛の二人。クリスの護衛、ありがとうな」実直な騎士と陽気な騎士は、恐るべき反応速度で顔を上げます。崇拝する神様に対面できた興奮と緊張に、二人の騎士の顔は強ばっていました。神様は薄い笑みを浮かべていましたが、二人の顔を見て、顔を輝かせます。「あ、お前達は確か……どっかの孤児院の生まれとか言ってた……」

 神様には、二人の騎士の顔に見覚えがありました。二人の騎士は感動して、実直な騎士が目に涙を湛えながら、自己紹介を始めました。

「覚えていただいて光栄で御座います。私はサイモンと申します。守護神様が氾濫を静めてくださった川の近くの孤児院の生まれです」

 陽気な騎士が、顔に微笑みを湛えながら続きました。

「その孤児院の院長の息子です。アンドリューと申します」

 『神様は、この国を守ってくださっている』という恩がぼんやりとある他の人々よりは、割とはっきりと身近に実感できる、『命を助けられた』という恩が、二人の騎士にはありました。同時に騎士学校に入り、同時に騎士学校を卒業し、同時に騎士団に入り、同時にインジェリット王城に入城した二人は、神様とすれ違ったりする度に、顔を輝かせて、恩義を述べ、忠誠を誓っていたのでした。神様に恩を感じて騎士団に入った者も少なくはなく、二人はその中の二人でした。神様も、自分が助けた命が目の前にあることを

嬉しく思いますから、顔を会わせる度に嬉しそうにする騎士達の顔を、いくつか覚えたこともありました。二人はその中の二人でした。

 神様は嬉しそうに口角を上げます。

「インジェリットでのクリスの味方は少ない。しっかり、支えてやってくれ」

 二人の騎士は、感極まったように瞳を潤ませます。

「この命をかけて!」

 同じ言葉を寸分違わず口にした二人の騎士は、同時に頭を下げました。神様は満足げに目を細めて、さて、と切り出します。男の子に向き合って、彼を軽々と抱き上げると、王座の方に歩んでいきました。二人の騎士は目を丸くしてそれを目で追います。王座の前まで行くと、神様は自分が座っていた王座の前で男の子を下ろしました。

「ほら、ステラ」

「はい、お父様」

 神様が合図すると、女の子が王座から降り、男の子の側に立ちました。神様は男の子の肩を掴んで、目が見えない男の子に気を使って、優しく女の子に向き合わせてくれました。

「ステラ? ステラがいるのですか、お父様」

「うん、いるよ、クリス。ステラは、わたしは、今あなたの目の前にいるのよ」

 男の子の問いかけに、神様の代わりに答えたのは女の子でした。幸せそうに頬を染める男の子に、女の子は嬉しそうに顔を綻ばせます。父母の都合、王族の運命により引き離された兄妹の、感動の対面でした。しかし、二人の感動の対面にも、男の子を包む真っ暗闇が邪魔をします。女の子は、男の子の名前を呼びました。

「クリス、いい? じっとしててね。わたしが、あなたの闇を払ってあげる」

「……? どういうことだ?」男の子は首を傾げます。「治療するのは、お父様じゃないのか?」

 そう、と頷いた女の子は、微笑みながら、両手を男の子の閉じた両目に伸ばしました。

「すぐに、見えるようになるよ」

 女の子の、白くて、細くて、柔らかくて、しっとりした、きめの細かい、きれいな指が、男の子の目を撫でました。そう長い時間ではありません。やがて女の子がゆっくりと男の子から指を離します。それに呼応するかのように、男の子の両目は、春一番が吹いて、蕾が花開くみたいに、ゆっくり、ゆっくりと、開いたのです。男の子は幾度か瞬きをした後、ぱっちりと目を見開いて、女の子を見つめました。

「……ステラ?」

「うん」

「昔の面影がある」

「当たり前じゃない、同一人物だもの」

「でも……」

「なぁに?」

「昔より、ずっと、可愛くなってる」

 男の子は、そう述べてから頬を赤らめました。女の子がぽかんとしている間に、顔を背けます。反応が気になったのか、男の子が伺うようにおずおずと視線を女の子に戻すと、女の子は笑顔を浮かべていました。

「ありがとう」

 ふんわりとした、お花のような笑顔。男の子はその笑顔を、大切に大切に、瞼に焼き付けました。そして男の子も、笑顔を女の子に返します。次はいつ会えるか分かりません。最後の顔は笑顔でありたかったのです。

「ほら、クリス、お前の騎士達の顔を見てやれ」

 神様が男の子を呼びます。男の子は返事をして、もう一度女の子に笑いかけてから、二人の騎士に駆け寄ります。実直な騎士も陽気な騎士も、目を輝かせて、男の子の顔を見ました。痛ましい一筋の傷跡こそ残ってはいるものの、男の子のエメラルドグリーンの瞳はそこにありました。神様のそれと変わらない輝きの瞳です。手の届くような距離で男の子の顔を、瞳を見られるのは、二人の騎士にとって初めてのことでした。

「サイモンもアンドリューも、こんなにかっこよかったんだな」

 男の子の純粋な感想に、二人の騎士は顔を見合わせます。やがて、同時に吹き出しました。

「サイモンはこんなカタブツなのに、女の子にモテるんですよ」

「アンドリューはこんな整っているのに、中々恋人が出来ないのです」

「ははっ、分かるぞ。サイモンのまじめなところは、俺が見てもかっこいい! アンドリューはどんな女の子も好きだから、女の子はそういう男はきらいなんだ!」

 男の子もつられたように笑い始めました。

 それは、二人の騎士にとっての初めてでした。男の子が、声を上げて笑ったのです。それは、女王様の国では見られないものでした。視力が戻ったことによる反動とも言えるのでしょう。しかし、幼い頃の遊び相手である長身の軍人、実の父親である神様、実の姉である女の子との相次ぐ再会、その喜び、男の子を想う者だけで構成された部屋、それらが男の子に笑顔をもたらしたのも、また事実でしょう。

 神様が、左手を男の子の頭に置きました。男の子は笑うのをやめ、仰け反るようにして神様を見上げます。

「クリス、ごめんな。こっちに連れて来られなくて」

 男の子は目を丸くしました。しかしすぐに、微笑みを浮かべます。少しだけ、淋しげな影を残して。

「こうして、お父様とステラやクレハにお会い出来るだけで、クリスは幸せです」

 十歳の子供が浮かべるには、あまりにも不似合いな微笑み。神様の心を何かが貫きました。神様はしゃがんで、男の子を自分の方に向かせました。真っ直ぐに男の子を見つめます。見つめられて、男の子は困惑しています。神様はそんな男の子の背に両腕を回して、一息に抱き締めました。

「俺は、守護神としてはジュリアと決別した。ジュリアとは、お互いと、お互いの連れて行った子とは、家族のように接しないって、決め合った。お互いのために、自分の国のために。大人の都合に巻き込んで、ごめんな」男の子の耳元で、神様は懺悔しました。神様の鼓動、神様の体温が、服を通して男の子に伝わります。男の子の目が、見る見るうちに潤みます。「いきなりで、何も準備してなかったから何もやれないが、一つだけ、俺からクリスに贈り物がある」

「贈り物?」

 神様は男の子を放しながら頷くと、再び男の子の目を真っ直ぐに見つめました。

「神様の許しだ」

「許し?」

 男の子が首を傾げます。神様は口角を上げて、頷きました。

「クリスに、これから、どうしても成したい夢や目標、欲望が出来たら、その通りにしていいっていう、神様の許しだ」

「何でも? 何でもしていいのですか?」

「そう、何でも。俺が許す。それを許さない者は、神への反逆者になる」

「許されなかったら、クリスはどうなるのですか?」

「どうにもならない。神様がクリスを守るから」

 神様は、大丈夫、と言って、男の子の頭を撫でました。立ち上がり、神妙な面持ちの二人の騎士に目をやります。

「あまり長居させると、ジュリアが怒るからな。そろそろ帰った方がいい」神様は淋しさを声音に潜ませて、二人の騎士に笑いかけました。「帰りも頼んだぞ」

 二人の騎士が短く返事をして、長身の軍人がゲートを開けます。男の子は出口を向き、しかし別れを惜しむように神様と女の子を振り返りました。

「大丈夫よ、クリス。生きていればまた会えるわ」

「そうだぞ、クリス。いつでも待ってるからな」

 神様と女の子が、希望に満ちた、明るい笑みを浮かべます。対して男の子は、眉尻を落とした、悲しげな笑みを浮かべました。

「……はい。それでは、失礼します」

 男の子は一つお辞儀をすると、意を決めて、踵を返しました。二人の騎士も立ち上がり、神様と女の子に頭を下げます。開け放たれたゲートに向かって歩む男の子の両側を固めるようにして歩いて行きました。

 三人が王座の間を出ていった後、長身の軍人も三人を見送るために出ていこうとしました。しかし、扉の手前で立ち止まり、神様を振り返りました。

「『許し』の真意を」顰められた眉根が彼の不満を表しています。「……後ろの二人は、少なからず気付いていたと思いますが」

 神様は口の片端をつり上げて首を傾げます。

「何のことだか」

 長身の軍人は大きなため息をつきました。

「貴方は、本当に外道ですね」

 しかし、そう言った長身の軍人の顔は、ひどく歪んだ笑みを浮かべていました。神様は依然としてとぼけていますし、女の子に至っては会話の意味も分かっていません。長身の軍人は今度こそ、王座の間を出ていきました。




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