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少しではありますがやっと話が動いてきたように思います。
この状況を理解するために僕の脳は今フル稼働している。
この男は誰?
一緒に来てほしいとはどういうこと?
何で家の鍵を開けられる?
そもそもこの状況は何?
考えても考えても答えが出ない。
そんな僕の様子を見て男がまた口を開く。
「まあとりあえず落ち着いて下さい、別に捕って喰おうって訳じゃありませんから。こんな見た目ですが一応紳士なので」
その言葉を聞いてまずは冷静になることに努めた。
確かにパニックを起こしては何かあった時に対処できない。
僕は深呼吸しながら男の身なりを確認する。
全身黒ずめの格好でハットを被り、レンズの丸いサングラスをかけている。
身長は僕より高く体系は細身で特筆すべきはその四肢の長さでる。
あえて形容するなら蜘蛛か蟹の様だと思った。
見た目以外に相手の情報が無いため下手にこちらからアクションを起こすのは危険と思い、現状を把握するためにも僕はまず対話を選んだ。
「いくつか整理させていただきたいので質問に答えていただいてもいいですか?あなたの問いにはそれから答えさせていただきたいと思います」
男は数秒考える様な素振りをして答える。
「いいでしょう。ただしこちらも答えられるものと答えられないものがあるのでそこはご了承下さい」
男あっさりと対話に応じてくれた。
向こうからすれば僕ぐらい無理矢理にでも連れて行く手段はあるのだろうけど、対話に応じるということは強盗などの類ではないのだろう。
それにもし強盗ならこんな悠長に会話ができるはずもないし、その手の輩ならそもそもセキュリティのしっかりしているこの辺はリスクが高すぎる。
セキュリティ?
そういえばこれだけ怪しい身なりでどうやってここまで来たんだ?
この辺は防犯カメラも多いいし、巡回している警備員だっている。
そんな中をこの様な形(なり)で無事ここまで通って来れるものだろうか?
気になったので鍵の件と一緒に男に質問することにした。
「まずはどうやってここまで来たんですか?正直あなたは僕から見ても普通に怪しい。外には警備員も巡回していたと思うんですが声などかけられませんでしたか?それにこの家の鍵はそこそこ特殊な作りで開けにくい鍵だと思っていたんですがどうやって開けたんですか?」
男は笑顔をつくりながら答えてくれた。
「普通に何事もなく来れましたよ。それにこの程度のセキュリティは私にとってあって無いようなものです。内容については企業秘密ですが簡単に言えばハッキングですね」
さらりと男は凄い事を言わなかったか?
ハッキング?
このレベルのセキュリティはそんな簡単に書き換えられるほど簡単なプログラミングじゃないはずだ。
それをあって無いようなものと言えるこいつは何者なんだ?
僕の頭の中には謎ばかりが増えていく。
まるで出口のない迷宮に迷い込んだようだ。
『このままじゃ埒が明かない』
今のこの状況、さっきの言葉。
間違いなく目の前の男は僕よりも優位な立場にいる。
それにこの落ち着きよう。
多分僕がちょっと何かしたぐらいじゃ現状は打破できないだろうし、相手より優位に立つことも難しい。
僕は覚悟を決めた。
最悪のケースも含め今は相手の要求に素直に応じるのが最善だと思う。
これからどうするかはその都度決めていこう。
いつも慎重な自分からは想像もつかない選択だった。
「わかりました、一緒に行きます」
男は少し意外そうな顔をしたが、すぐにまた表情を緩めこう言った。
「思っていた通り頭の良い方で助かります。ではさっそくで申し訳ないのですが行きましょうか」
僕は言われるがまま男の後について玄関を出る。
すると振り返ることなく男はそのまま歩いていくので、僕はあわてて鍵を閉め後を追った。
正直車でも用意してあるのかと思ったがそうではないらしい。
駅まで普通に歩いてきた。
道中話しかけようか迷ったが、質問してもきっと肝心な事はまたはぐらかされてしまうだろうと思い黙って後を着いて行った。
駅に着いてからも普通に切符を購入し渡された。
ますますこの男が解らなくなっていく。
最初会った時は強盗かと思ったが、この時間にこんな見るからに怪しい格好で玄関から強盗に来るとは考えにくいし、肝心な所ははぐらかされているが一応会話もしてくれる。
僕を無理矢理連れ去るようなこともしないし、危害を加えるような素振りも一切ない。
一体何がしたいんだろう?
それに今思えばここに来るまで驚くほど逃げるチャンスがあった。
それ以前にこの男は家を出てから切符を渡すまで一度も振り返らなかったのだ。
しかし僕は逃げることをしなかった。
逆に今の今まで逃げるという選択肢さえ忘れていたと思う。
『何故だろう?』
電車に乗ってからも互いに無言だった。
それに僕は緊張して相手の行動に注意を払っていたのだが、驚くことに男はいつの間にか寝ていたのだ。
確かに静かだとは思っていたがさすがに寝ていたのには驚いた。
僕の今置かれている立場は何なんだろう?
気持ち的には誘拐されているような気分だったのだが…。
そういえば結局家政婦さんはどうしたんだろう?
僕自身自分のおかれている状況が急展開過ぎて今の今まで忘れていた。
何事もなければいいのだが…。
そんな事を思っていると男が起きた。
「あっ、すいません。疲れていたものでつい寝てしまいました」
優しい笑顔で男は僕に向かって謝る。
その言葉を聞いて「いえ、お気になさらず」と普通な言葉を返してしまった。
「そういえばもうすぐ目的地に到着するみたいなので準備しておいて下さいね」
そう男に言われたが、準備も何も荷物など持ってきてはいないので特に何もない。
僕は黙って座っていた。
「ここは…」
あまりの驚きと衝撃で言葉を失ってしまった。
だってここはこの国の首都であり世界の均衡を保つため設定された人間レベル。
その人間レベルを統括するために造られた総合管理局のある特別区『灯火』。
普段一般の人間はおろか、ここに関係のある特別な人間以外立ち入ることさえできない区域だから。
僕はてっきり廃屋か何かに連れてこられると思っていたからそのギャップにも驚いた。
「さあこちらです」
男は惚けている僕に行動を促す。
確かに周りの人も不思議そうに僕のことを見ていた。
きっと僕のような人間がこのような所にいるのが珍しいのだろう。
ここに来ることが許されるのは選ばれた人間だけだ。
僕自身場違いだと思う。
恥ずかしさで赤くなっているであろう顔を見られないように下を向きながら男に着いて行った。
また驚くことがあった。
先ほどの衝撃に比べれば小さいものだが、それでも僕にとっては初めて見る光景である。
連れて来られたのは見るからに高級そうなマンション。
建物の中はまるで高級ホテルのようで、近くにあるアンティークな家具や絵などはどれも高価な物なのだろうと素人の僕でも察しがつく。
セキュリティも僕の家なんかよりも数段高性能なのだろう。
驚いている僕をよそに男はどんどん歩いて行ってしまう。
歩幅が大きいせいで着いて行くのも大変なのだからもう少し歩くスピードを落としてほしい。
まあこんな事を言える立場ではないのだが。
そのまま着いて行くと目の前に普通より大きいであろうエレベーターが現れた。
男がボタンを押すと重厚な音と共に扉が開く。
開かれた扉の中は僕の思考の遥か上をいく程の広さだった。
一遍にこんなに乗らないだろ、と突っ込みたくなるのは僕だけではないだろう。
そんな思いを堪えつつ男の後についてエレベーターに乗る。
エレベーターには指紋認証システムがあり、男が手をかざすと扉は閉まりエレベーターは動き出した。
着いたのは最上階。
他の階はどうかは知らないが、この階にはこの男の部屋しかないようでエレベーターを降りると数メートル先にドアが一つあるだけだった。
男はエレベーターを降りドアに向かって歩いていく。
ここまでのことだけでも僕の精神は大分参ってしまっている。
もしこの部屋が目的地であるならば、今まで以上の衝撃を与えられるに違いない。
その衝撃に今の僕は耐えられるだろうか?
ここに来て不安な気持ちが一層膨れ上がる。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか解らないが男が僕に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
こいつはこんな所に連れてきておいて何を言っているんだ、と思ったがなけなしの力を振り絞り強がってみせた。
「大丈夫です。今更どうせ逃げられないのですから早く行きましょう」
「そうですか、では」
男はそう言うとエレベーターの時と同じ指紋認証システムに指をかざした。
そして新たに声をチェックする声紋認証、眼球の皺をチェックする虹彩認証を加えた三つをクリアするとロックがはずれた音がしてドアが開いた。
「さあどうぞ中へ」
男はそう促す。
中で何が待っているかは分からないが、僕は意を決し部屋の中へと歩みを進めた。
次も頑張って書きますので気長にお待ち下さい。