第四幕
演劇部の部室からでた紅洋と大和は学校の正門を今くぐろうとしているところだった。店の場所を裏通りにあるとしか知るないはずの紅洋が先行し、大和がよそよそしく後ろからついてくる形だ。よく見ると大和の左頬が赤く腫れている。おそらく紅洋の右ストレートが見事に決まったのだろう。
現在時刻は午後十二時二分。そろそろ本格的に腹が減ってくる時間。二人の足は教室で大和が言っていたラーメン屋に向かって進められている。しかし二人には会話どころか話し掛けようとする気配さえ感じられない。
そのまま正門を通り抜け一般道に面する歩道を歩き、徐々に裏通りへと入っていく。横から車が二人を追い抜いていく。裏通りだからか平日の昼だからなのか人通りがほとんどなかった。沈黙に耐え切れなくなった大和が意を決し口を開く。
「こ、紅洋……?」
「…………」
無言。振り絞った勇気は儚くも空気中に消え去った。
「紅洋君……?」
「…………」
無言。
「紅洋様……!」
「…………」
再び無言。こうなると聞いていないよりも聞こえていないという考えに至りそうだ。不意に紅洋が足を止めた。
「おい、下僕。店ってあれか?」
名称が下落変化した。
指差した先に『ラーメン昇竜』と書かれた看板が立っていた。だが、紅洋が指したのは看板ではなく、その横にずらりと並ぶ行列だった。列には学生やサラリーマン、近所の主婦の方々と意外と年齢も幅広かった。大和の話では隠れた名店で、客も少ないはずだったのだが。
「前来たときは客が少なくて悠々と入れる店だったんだよな? いつ来たんだ?」
「ちょっと前くらいだったかなー。前通ってここだ! みたいな感じで発見した!」
「何日前かを正確に言ってくれるか?」
看板の下に書かれている営業時間と定休日を読む。
「正確にか? えーっと、5日前の水曜日だな」
ラーメン昇竜の営業時間午後一時から深夜二時、定休日毎週水曜日。
定休日であるはずの五日前、たまたま店が開いていたのだろうか。だったら事前から店で告知するだろうし、告知がなくても人伝てに知れ渡って行列ができるはず。数々の奇跡が大和を店に誘ったとでもいうのか?
「まあ、店には入ってないんだけどな」
「入ってねえのか! 美味い店見つけたって言ったのは何だったんだ!」
紅洋の大声に列んでいるお客たちが一斉に視線を向けた。暇を持て余しているお客にはいい暇つぶしである。気まずくなった二人はその場から離れ、大通りに戻った。
「昼どうしようかねー?」
「……今からじゃどこも混み合ってるだろ」
紅洋が腕を組みため息をつく。遠くまで歩くのはなんら問題はないが、列んで時間を無駄にしたくない性分なのだ。そんな自分の性格が出した答えが虚しかった。
「俺の部屋に来い。飯作ってやる。そっちのほうが早くて美味い」
紅洋は自宅から学校に通っているのではなく学生寮で生活をしている。当然自炊で料理の腕はなかなかのものだった。
「え……、部屋に……?」
大和が恥ずかしそうに顔を赤らめ腕で自分の体を抱きしめる。もちろん演技である、たぶん。気持ち悪い大和の腹部に蹴りを入れる。
「ぐふっ……」
「ああ? お前、すぐさまこの世から消える? あるかどうか分からない来世に期待する?」
「すいません……俺が悪かったです。ていうか今日どんだけ蹴られればいいんだよ俺……」
「日ごろの行いがよければ蹴られない。とっとと行くぞ、昼が過ぎる」
学校から歩いて約七分ほどの距離に学生寮がある。見た目は一言でいうとただのボロイ建物。外壁は黒ずんでおり、ところどころ蔦が絡み付いていている。建てられてから長い月日が経過していることが伺える。だが外見に比べ、中はちょっとしたどこかのホテルに見紛うくらいに綺麗で装飾がしっかりしていた。
「相変わらずすげえ寮だなー。ロビーにソファーやテーブルが置いてあんのは分かるけどそこに果物入りのバスケットとか置かねえだろ」
誰が食べるんだと、不思議妙そうな表情を浮かべる。
バスケットの中には林檎、バナナ、なぜかきゅうりの三つが入っている。
実際は無料のため結構人気があり、小腹が空いていたり、仕送り前だったりする生徒が利用している。
二人が紅洋の部屋の前に着くと隣人の生徒が話しかけてきた。
「お、夜桜、ちょうどよかった。手紙預かってんぞ」
「手紙? 誰からだろ」
受け取った手紙には差出人の名前は書かれていなかった。目立つのは封に使われたピンチ色のハートのシール。
「なあ、一つ聞くけどさ、お前虐められてたりしないよな?」
「は? そんなことないけど? どして?」
「い、いや、それならいい。でも、いつでも相談に乗ってやるからな。じゃあ俺用事あるからまたな」
「ああ、手紙サンキューな」
心配と奇異な顔をして隣人の生徒は立ち去った。どんなやつがこの手紙を彼に渡したのだろうか。入学してから問題は起こしてないし、目を付けられた覚えもなかった。
「たいしたことないだろ。ほっとけほっとけ」
扉を開け中に入ると下駄箱の上に手紙を投げる。
「おいおい、ラブレターかもしれないだろ。一応中身確認しておけよ」
「手紙渡してくれたやつの顔見たろ。ラブレターのわけねえよ。んなことより腹減った、飯飯!」
手紙そっちのけで即座に台所へと向かって行った。
昼ご飯を食べた後は他愛ない話しやゲームなどをして夜まで過ごした。
現在の時刻午後八時四十二分。大和がゆっくり立ち上がる。
「俺そろそろ帰るわ。宿題あんのすっかり忘れてたし……。数学だけでもプリント七枚あんだぜ、信じられねーっつーの」
さすが特進科。入学早々宿題が出るとは……。しかも数学だけで七枚ということは他にも出されているんだろう。紅洋は特進じゃなくてよかったと胸中で呟いた。
「気をつけて帰れよ」
「心配してくれてるのか……? やっぱり持つべきものは親―――」
「はい、また明日。よい夢を」
大和を無視して扉を閉める。
「相変わらず照れ屋さんだぜ……」
大和は閉められた扉に一言残すと帰路についた。
それを覗き穴で確認していた紅洋もリビングへ向かおうとする。その時、昼間受け取った手紙が目に入った。大和にはああ言ったが、実は微妙に気になっていた。やっぱりラブレターである可能性も捨て切れない。一人になったことだし中身を確認してみる。
「…………ありえねえ」
手紙にはよくある脅迫状のように新聞の文字の切り抜きが貼られていて、こう書かれていた。
『万死に値する(笑)』
翌日、紅洋はいつも通りの朝を迎え、学校へ登校した。やはり昨日と同じように正門を越えると部活の勧誘が盛大に行われている。紅洋は昨日の経験を生かし、人込みを一直線に進まず、遠回りをして校舎に入って行った。そのまま知り合いとは会わず教室に着くと、中からざわめきが聞こえてきた。
教室に入って驚愕する。
自分の机に半分に切られたマグロの頭と木刀が置かれており、回りを花壇のごとく花でコーティングされていた。幸いぬいぐるみだったので生臭さが残ることはなかった。返って花の良い香が漂ってくる。
「……嫌がらせ?」
少し考えさせられる第一印象。十中八九嫌がらせだろうが、残りをポジティブに取れなくもない。
(崇拝でもされてるってか?)
自分のポジティブを二秒で否定する。一応、マグロと木刀は教室に備え付けてあるロッカーの上に置いておき、かわいそうだが花はゴミ箱に捨てた。花はともかく、マグロと木刀については誰かが一時的に場所を借りたのなら問題はない。だが、クラスメイトに聞いてみてもマグロを置いた人物は知らないらしい。昨日の今日だから心当たりがないわけでもない。それにしても行動の意味が全く見当もつかない。
(本人に直接聞いたほうが早いか……?)
そう考えた紅洋はいずれ来たる生徒を待つ。扉が開くごとに立ち上がろうとしたこと数回、ようやく待ち人がやってきた。昨日と変わらず綺麗な顔で周囲の視線を奪うが、無表情なのもてんで変わらなかった。
「おはよう天城さん」
紅洋があいさつをしながら真白に近づく。
「おはようございます夜桜くん……。昨日はどうもありがとうございました」
「い、いや、こちらこそ?」
礼を言われるとは思わず、そのまま返してしまう。真白と会話をするとどうにも調子が狂う。
「そんなことより、あのマグロは君達がやったのか?」
「マグロ……? 今さっき登校した私にはできませんよ……」
なぜか遠回しな言い方。
(私には……ね)
残りは一人。犯人は演劇部部長の七瀬蒼だ。
「ていうかあれの意味は……?」
「さあ……? 別に私が計画したわけじゃないですから。でも、すぐ判明するでしょう……」
自分には関係ないと言わんばかりに無表情。
だが、もう白状している。
「じゃあ昨日の手紙は? あれも七瀬さんの仕業?」
「手紙……? 知りませんね……。そもそも私は普段から彼女が何を考えてるかさっぱりですから」
「ああ……、そうなんだ……」
納得。
どうりで興味がなさそうなわけだ。しかし、昨日のやり取りでは気の仲はとても良いように見えた。その中に多少違う面を垣間見たような気もする。だが、紅洋には蒼よりも真白の考えの方が全く読めない。普段何を考えているか聞いてみたいものである。
「……はっ! ち、違う、これは興味じゃなくて探究心!」
「誰に向かって話しているんですか……?」
訝しみながら聞いてくる。
「えっ……、独り言じゃないかな?」
「……私が聞いているんですけどね。まあいいです……」
紅洋は腕を組んで愛想笑いを浮かべる。
「答えが知りたいのなら、彼女に直接聞くのが早いですよ……」
「そうだね……、そうするよ……」
紅洋はとぼとぼ自分の席に戻っていく。それにしても面倒事が多すぎる。頭の中では次にどんな嫌がらせが来るかを予想し、解決策を練っていた。席に着くや否や突然横から肩を組まれた。
「あぶねっ……!」
いきなりで椅子から落ちそうになる。気付くと机の前にも二人立っていた。
「夜桜、ずいぶん真白ちゃんと仲良くしてたな」
肩を組んで来たやつの顔を横目で確認すると、同じ中学出身の生徒だった。完全に髪を茶色に染め上げ、左耳に三つピアスをしていた。校則違反なのは言わずもがな。
「してねえよ。つか離れろ、気持ち悪い」
紅洋が手で押しのけると「橙乃だったらよかったか?」暴言とも取れる冗談が飛び出した。本気で相手を睨み付ける。
「用がないなら早く自分の教室に戻れ。俺も色々忙しいんだ」
このクラスに紅洋と同じ中学出身の生徒はいない。ならば必然的に彼は違うクラスになる。
「お前に伝言があんだよ。昼休み時計塔の下まで来てくれってさ」
「誰から?」
「俺も人づてに頼まれたから知らねえな。でも女の子ってことは確かだぜ」
ひひひと下品な笑い声をあげると「伝えたからな」と二人を引き連れ教室を出ていった。
次から次へとイベントが止まない。ようやく訪れた人生のモテ期だったらどれだけ嬉しいか。
問題は、山積みなのだ。
ため息をついて頭を抱えている紅洋を最前列から真白が眺めていた。
(マグロと呼び出しは蒼さんの仕業でしょうけど、手紙……? 少し調べてみますか……)
キーンコーンカーンコーン。一時間目を知らせるチャイム。真白は思考を後にして授業の準備に取り掛かった。
「一時間目は数学でしたか……。めんどくさい……」