第二十一幕
鋭い刃は標的の首に突き刺さり、傷跡から鮮血を吹き出させる――ことはなかった。
「どういうおつもりですかな?」
「おやめなさい。もう満足でしょう。公爵殿、剣を収めなさい」
振りかぶった剣はシンデレラによって止められていた。
「平民をお庇いですかなシンデレラ。なんとも慈悲深い方だ」
「この会場にいる方は誰であろうとわたくしの客人です。その客人を死なせるわけにはいきません。もし無理に実行するならば、わたくしにも考えがあります」
「滅相もない。あなたの意向に従わせていただきますよ。ですが、これでは印象が悪い。せめて私に名誉挽回のチャンスを頂きたい。それにて今の行為を精算してもらえないでしょうか?」
靴屋の喉元から剣を引き、鞘に収める。シンデレラにせめてもの誠意を見せようとしたらしい。
「ならばもう一度、試合として打ち合いなさい。彼はまだ降参したわけではないでしょう」
「お言葉ですがシンデレラ。先程までは私の命が賭かっていたから付き合っていたまでです。もう一度やり合う必要は――」
「なら、勝利した暁には城の全権限、および城の財産の一部をあなたに委託しましょう。そしてもう一つ、この場で結婚式を挙げることを許しましょう。あなたもそれで構いませんね?」
シンデレラが靴屋に目配せで確認を取る。
「……ああ」
伏せ目がちになりながらも頷く。
「私もそれで構いませんよ。こちらこそ願ってもないことです。逆にサービスが過ぎると恐れ多いとも感じますよ」
公爵は薄ら笑いを浮かべながら自分の剣を鞘から抜く。靴屋も続いて飛ばされた剣を拾う。
これで、最後となる勝負の舞台準備が完了した。
「約束は守れよ」
「もちろん守りますとも。万が一私が負けた場合だけだがね。ああ、さっきとは打って変わって必死な眼になった。今度こそ少しは楽しませてくれよ!」
公爵の言葉を皮切りに斬り合いが始まった。
初撃は公爵。目にも留まらぬスピードで相手の右肩を狙い撃つ。
だが、靴屋もただでは食らわない。レイピアの攻撃が突くことのみだと分かっている。そのため、どこを狙われるかさえ感じ取れば避けるのはたやすい。素早く左に飛び、攻撃を回避する。
今度は靴屋の番。軸となる左足にのみ力を込め、半ば飛び掛かるように剣を斜めに凪ぐ。
標的は公爵の顔。喰らえば、有無を言わせず勝負は決まる。
「脆弱な攻撃だ」
公爵は体を後に逸らしただけで回避し、お返しに蹴りを靴屋の脇腹にお見舞いする。
「がっ……!」
まともに蹴りを受け横に飛んだ靴屋は、着地ミスもあり舞台下に転がり落ちた。照明も慌てて靴屋を追う。
「痛っ……。なっ……!?」
目に映る光景に咄嗟の判断で飛び起き、頭の上で剣を真横に構える。
そこに公爵の全体重を乗せたレイピアが振り下ろされた。
「……重っ」
紅洋は腕にかかる負荷の辛さに、ギリッと奥歯を噛み締める。
まさか明梨が舞台上からわざわざ紅洋目掛けて飛んでくるなど想像していない。もし、紅洋が動かなければ本気で危険な域だった。
出演側と客席から静かなどよめきが起こる。
役者二人が舞台から外に出るなど脚本にはない。しかも、危険な行為に及んだとくれば当たり前の反応である。
それでも演技は続く。
音楽に混じって外の雨や雷の音が入りこむことで、緊迫感のある雰囲気を醸し出す。
「ははは、どうした? まさかこの程度ではあるまいな!」
「ふざけるなっ!」
客席を二分する中央の広い通路、観客に危険の及ばない場所で剣を交錯させる。お互いが交互に突きの攻防を繰り返す。
だが舞台上と違うのは回避行動を減らし、相手の剣を切り払うことを主としている。
時折靴屋の頬や公爵の腕を剣が掠めるが、二人とも表情を崩さない。
「終わりだ!」
公爵が靴屋の突きを屈んでかい潜り、懐に飛び込む。靴屋は焦りの表情で後に飛んだ。
刹那、外の雷鳴と同時に舞台を包み込む光が揺らぐ。
――ブッ。
照明が、落ちた。
落雷で体育館のブレーカーが落ちたのか、照明どころか音楽も停止する。
舞台裏では実行委員が急なアクシデントに慌てることもできず、分かりきっている原因を追究している。
だが、無情にも体育館は完全な闇に抱き抱えられた。
「……ど、どうなっている!? 視界を奪うとは卑怯だぞ!」
明梨が辛うじてアドリブで場を繋ぐ。
これで僅かな時間だが、観客に演出だと錯覚させることができた。
「……公爵ともあろう者が暗闇を怖がるのか? 案外可愛いところもあるじゃないか」
紅洋も明梨に合わせてアドリブで対応する。
そして記憶にある位置だけを頼りに、舞台へと駆け寄る。明梨も紅洋の声を頼りに舞台へ近づく。
その間も緩やかに攻防は続行され、金属の打ち合い、弾き合う音だけが体育館に小玉する。
一方、舞台上では蒼が頭をフルスピード回転で働かせていた。
「ライト……花火……電気……ライター? 違う……これじゃない」
ぶつぶつと小声で呟いて解決策へ繋げようとする。
舞踏会クライマックスで使おうと用意していた蝋燭はあるものの、そんな仄かな光では役者を照らすことはできないかもしれない。
「……でもやるしかない」
蒼は舞台袖で待機している剣道部と下着研究部に蝋燭の準備を頼む。
用意させたのは二十本強。
これらを全て使えば照明までいかなくとも、舞台の明かりは取り戻せる。今は全体を照らせるような配置をしている暇はない。蒼は如何に早く、少しでも全体を照らせる、もしくは重要部を照らす配置を考えなければならない。
「まず舞台の四隅。観客側に三つずつ、反対側に二つずつ置いて。あとは……うん、なるべくわたしの目線くらい。場所は適当に、でも均等に、残り全部の蝋燭を舞台上の物を使って設置お願い。そのかわり道具は燃やさないでね?」
そうやって指示すると、黒子が速やかに行動を開始した。
「最後の賭け……か」
蒼は残していた最後の二本を手に掴む。
「よざっち、あかりん。これもってさっきの剣舞できる?」
舞台に上がってきた紅洋と明梨に蝋燭と小さな器を渡す。
心なし声にいつもの覇気が感じられない。
「任せろ、必ず成功させてやる」
紅洋は蒼の髪の毛をくしゃっと撫でて、それらを受け取る。
「音楽がないのは痛いけど、他で挽回すればいいよ。もう一踏ん張り頑張ろうね」
明梨も蒼を励まして、蝋燭と器をもらう。
そこへ黒子の一人が、蝋燭の設置が完了したことを告げにきた。
紅洋と明梨も舞台の中心に向かい合い、剣を交錯させる形で立つ。
二人はすうっ、と息を吸い込むと幾度も交えた剣の金属音を再度打ち鳴らし始めた。
それを合図に蝋燭に火が燈される。紅洋と明梨も近くの蝋燭から火をもらい、手に持つ蝋燭に火を点ける。
その時、バイオリンの音色が劇の背中を押した。
観客どころか、出演者の視線もバイオリンの音色を探す。
演奏者は舞台下、観客から見て右側にいた。四隅の一角にある蝋燭の僅かな光だけで手元を浮かび上がらせる。
金崎丈。再起不能のバイオリニストが、利き手を変えての演奏を披露している。慣れない演奏方法に苦戦して時々音飛び、音程ミスなどはあるものの見事な演奏。
劇はクライマックスに入る。
靴屋と公爵は互いに僅かな間合いを取る。その距離は一歩踏み込めば相手の懐に飛び込める程度のもの。
「もう遊びは終わりだ。覚悟したまえ、平民」
「そうだな。終わりにしてやるよ」
両者突きの構えを見せた。
次の一撃で決する。その場にいる全員をそう思わせる鬼気迫る雰囲気を漂わせた。
シンデレラの持つ蝋燭の火が、二人の巻き起こす風で僅かに揺らぐ。そして灯火が消えた。
「ふっ!」
「はあ!」
それを合図に両者の突きが交錯する。
公爵の剣は靴屋の頬を掠め、靴屋の剣は公爵の喉を掠め捕らえた。
「動くな。動いたらこのまま頚動脈を裂く」
靴屋の遠まわしな勝利宣言。
「それがどうした。私はまだ降参宣言をした覚えはないぞ。頚動脈を裂かれたとて、私の一撃で貴公の命くらいは奪える」
ただの強がりか策があってのことか、公爵は額に大粒の汗を浮かばせながら達者な口ぶりを見せる。だが、その考えはすぐに否定せざるを得なくなる。
靴屋の眼から覚悟の色が消えない。
目的はあくまでもシンデレラなのだ。靴屋も己の命を軽んじてはいないだろうが、死の危険を冒してまで城に乗り込んでいる。今更脅されたところで決意は揺るがない。自分が有利な立場にいるならば尚更だ。
本当に命の危険を察知した公爵はすぐに靴屋を買収しにかかる。
「ま、待て。こうしないか。私がシンデレラと結婚した際にはお前を貴族にしてやる。これならば不自由な生活を送ることはない。これに不満があるのなら望む条件を言ってくれ。出来うる限りのことをしよう」
「そういう腐った貴族殿がいるから国が駄目になる。最初に言ったはずだ」
靴屋は公爵の申し出をあっさりと断り、剣をゆっくり引く。
「や、やめろ! 私の負けでいい。だから、い、命だけは!」
公爵の敗北宣言。そして持っている剣を捨て、手を頭の後ろで組む。
靴屋はその降参の姿勢を見て剣を引き、鞘に収めた。同時に公爵は安堵して地面に崩れ落ちる。
「シンデレラ!」
障害がなくなったことを悟り、靴屋はシンデレラの返事も聞かず手を掴む。シンデレラも靴屋の手を黙って握り返す。
二人は会場から飛び出していった。
その後ろ姿を「逃がすな! その者を捕まえろ!」と傍らで機を待っていた執事の指示が襲う。
しかし、その指示を取り消すように「構いません。逃がしておやりなさい」とメイド長が執事を抑える。
「罪人ですぞ!?」
「ですが、ある意味国を救った英雄です。私事ではありますが彼には恩義がありますしね」
「おっしゃる意味が……」
「やはり結婚は好き合う人とするべきです」とメイド長は口に人差し指を当てて片目を閉じる。
そして彼女は執事の命令から更に命令を上書きし、会場のお客様に迷惑かかったことをお詫する。
舞踏会は、波乱を巻き起こしたまま閉会した。