第十九幕
劇はモノローグから始まる。
暗闇から声のみが聞こえてくる。この声は真白と明梨。
『今日でお別れね靴屋さん。でもいつかきっとまた会えるから。だからさよならじゃなくてまたね』
『うん、シンデレラ。どんなに遠く離れていても、もしシンデレラが困っていたら僕が必ず助けに行ってあげるよ。あとこれを君にあげる。お守りだよ』
『わあ、ハートのペンダントだ。可愛い、ありがとう靴屋さん。でもどうして半分なのかしら?』
『僕もそれの半分を持っているんだよ。きっとこれがまた僕らを引き合わせてくれる。だから寂しくない。もう時間だね、行かなくちゃ。またねシンデレラ』
『ええ、また会いましょう靴屋さん』
そこで声が途切れた声が途切れた。
真っ暗闇の舞台右端に一つ光が燈される。照らされたのは蒼。黒と白を主に構成されたメイド服を着て、ピンクのリボンでポニーテールを結んでいる。
『数年後のとある国。ここは国で一番美しくやんちゃな性格とされるシンデレラが住まう城。ですが、何やら城内が騒がしい様子。少し覗いてみましょう』
蒼を照らす光が消える。一拍置いて再度、今度は舞台全体がライトで照らされる。そこには城のメインホールの背景が置かれていた。大広間の中心に大きな階段、その上には淡い暖色の光を放つシャンデリアが特徴である。
「シンデレラ! いるのなら返事をしてください。シンデレラ!」
大声で姫を呼ぶ大和粉する執事が現れた。黒のスーツの首元にひらひらした白いスカーフが巻かれている。
執事は両手で頭を抱え、己を責めた。
「あそこで目を離しさえしなければこんなことには……。っとにあのじゃじゃ馬娘は!」
「どうしたのです? そんなに大きな声を出して」
蒼が舞台右袖から、ゆっくりと歩いてきた。スカートの裾を踏まないよう、ちょこっと持ち上げている。
「ああ、メイド長。シンデレラを見かけませんでしたか? どこを探しても見つからないのです。今日は舞踏会だから大人しくしているよう、あれだけ言い聞かせたのに……」
「わたしは見かけていませんね。他のメイドにも聞いておきますが、もしかしたら、また城下へ遊びに行ったのではないですか?」
「ありえない! と言いたいですがあのじゃじゃ馬なら否定できませんね……。探し人がいるとかなんとか言ってましたが……。私もう一度隈なく城内を探してみます。メイド長も些細なことで構いませんので情報収集をお願いします」
「分かりました。それではまたここで合流しましょう。では後ほど」
二人はシンデレラの名前を呼びながら左右別々の方向に走って消えていった。
ライトが消され暗闇が舞い込む。
このとき黒子である剣道部の精鋭が、背景移動を行ってくれている。
そしてまた蒼がさっきと同じ場所で、一人光に照らされる。この位置が語り辺の定位置なのだ。
『その後も執事とメイド長が城内を隈なく探しましたが、シンデレラは見つかりませんでした。やはり城下に赴いてしまったのでしょうか』
ライトが消され蒼が退場する。
そしてゆっくりライトが点け直されると、街中の背景が照らされる。煉瓦造りの家や露店などが並ぶ並木道。静かな街が想像される。そこへ白いワンピースを着た真白粉するシンデレラが、スキップをして登場する。
「やっと窮屈なお城から解放されたわ。今夜が舞踏会だからって、大人しく部屋にいろですって? いちいち口うるさいのよねあの執事。個人の自由くらい尊重して欲しいわ。探し人くらい探させろっていうの!!」
そう文句を言いつつも、街中を右に左にちょこちょこ歩きながら見渡す。ウインドウショッピングというやつだ。なんだかんだ言ってもやっぱり女の子には変わりない。
「うわー、可愛いものがいっぱい! こんなことなら無理にでもお金を持ってくればよかったわ」
ポケットを探っても指に当たるのは城の鍵だけ。金目の物は何もない。城にいる限り、お金というものを使う必要がなかったシンデレラ。そのため護衛付きで遊びに行く場合も、財布は執事が管理をしていたのだ。
「あーあ、残念だけれど今日は外から眺めるだけね……。いいわ、次のために欲しいものを見つけておきましょう」
ガッツポーズで再度城を抜け出す決断をする。早速シンデレラはめぼしいものを探すため、多種の店が集合する大通りへ歩みを進める。だが、歩いている途中スカートの裾を踏ん付けて盛大に転んだ。びったーんと音がして、見るからに痛そうである。
「いった……。ちょっとだけ鼻打ちましたけど……。わざわざ転ぶ必要あるんですかこれ……」
客席に聞こえないよう小声で文句を言いつつも、すぐ取り繕って演技を続ける。足に力を入れて立ち上がるも、なぜかふらついてしまう。まさか、と履いていたレギンスを脱いでみる。
「やっぱりヒールが折れてる」
どうやらさっき転んだ拍子に折ったらしい。片方のヒールが、かろうじてぶら下がっている状態だった。もちろんこれは演技上の演出。
「どうしよう。このままじゃ帰るにも苦労するし……。……あら?」
どこからか金づちを叩く音が聞こえてきた。仕方なく靴を脱いだまま、音を辿っていった。
シンデレラが舞台の左手へ出ていく。
代わりに紅洋演じる靴屋が舞台右手から現れた。服装は白いシャツに工具がぶら下げられた革製の前掛け、糸のほつれた黒いズボンを穿いている。
また、作りかけの革の靴と鉄の台を手にしていた。靴屋は現れてすぐに革靴を台本に乗せ、前掛けに吊り下げられていた工具を広げる。
「これで今日の仕事は終わりだな。形を直すだけだからすぐ出来るか」
そう言ってトンカチを掴み、靴のかかとにある金属部位に打ち付けていく。
カーンカーン。
甲高い鉄と鉄のぶつかり合う音が、やかましく発生する。何度か同じ動作を繰り返すと、形を確認する。
「まあ、こんなもんか。やり過ぎても割れるしな」
立ち上がって腰を叩く。
「そろそろ夕飯の買い出しにでも行くか。この時間なら市場にまだ何か残ってるはずだ」
靴屋は財布の中身を覗いて頷く。そして出掛けようとした瞬間、「ごめんください」と、シンデレラが舞台左から再登場する。靴屋は内心、買い出しに行けなくなることに焦りを感じる。だが、そこは店の店主らしくしっかり対応する。
「いらっしゃいませ、どのようなご用件でしょう」
「…………」
「あの……、お客様?」
「え、あ、えっと、突然なんですが、どこかでお会いしたことありません?」
「……さあ? お客様とお会いするのはこれが初めてだと思います」
「そうですか。そうですよね。あはははは」
「……それで今日はどういった御用で?」
「く、靴の踵が折れちゃったので、直してもらえないかと思って」
シンデレラが折れた踵を靴屋に見せた。靴屋は詳しい状態を調べるため、靴を三百六十度回転させる。
「ふむ。これは根本からぽっきり折れているので、今日中というのは難しいですね。もし、お急ぎならば変わりの靴をご用意しますが?」
「本当ですか!? 助かりま……す」
シンデレラの言葉が濁る。靴屋に辿り着いたことの喜びに、持ち合わせがないことをすっかり忘れていた。やはりポケットを探っても手に触れるのは一本の鍵だけ。
その様子を靴屋が察する。
「持ち合わせが無いのなら、物々交換でも構いませんよ」
「…………」
その交換する物すら持っていない場合、如何なる行動を取ればいいのか。しばし考える。
――閃いた。
「今日お城で開かれる舞踏会に興味はありません?」
「舞踏会?」
突然飛び出してきた言葉に靴屋は首を傾げる。下町とは縁の程遠い行事。なぜ今この場の会話に上がったのか、疑問を隠せない。
「舞踏会というのはダンスを踊って食事やお酒を楽しむ、いわばパーティーです。まあ、今回のはお姫様の婚約パーティみたいなものなんですけどね」
「婚約パーティーみたいなもの? それはおめでたい席ですね。すっごく嫌そうな顔してますけど……」
靴屋が聞くのも無理はない。シンデレラの周りの空気はどんよりして、もう目が死んでいる。
微かに笑う仕草もまた不気味であった。
「いやー、本人の意思そっちのけで政略結婚させられて、あろうことか王位継承も新郎に取られるらしいんですよねー。人も探す自由も奪われてるのに……」
シンデレラの意味深な語りについつい興味を持って靴屋は、探し人ですか、と聞いてしまう。
知らないお客様のプライベートには踏み込まないよう心がけているが、直感でどろどろした人間関係の匂いを感じ取ってしまったのだ。また、どう考えても他人の事ついて話してはいないと感づきながらも、そこは空気を読んで流している。
若干失礼な靴屋の本心を知らないシンデレラは、そのまま探し人について語る。
「幼少の頃遊んでいた下町に住んでいる靴屋の男の子なんです。そのうちお互いの生活が忙しくなって会えなくなったのですが、再会出来ることを心待ちに探しているんです。最後のお別れのとき頂いたこにのペンダントの片割れを持っているはずなんですよ」
シンデレラは首から胸元に伸びるペンダントを見せる。それは銀色のハートを半分にした形で、対になるもう一つの片割れと合わせる事で一つの形を成すものだった。
「大変だとは思いますが、見つかるといいですね。あなたの探し人」
その励ましにシンデレラは、はい、と笑顔で返事をした。
「あ、話が逸れてしまいましたね。あれ、何のお話をしていたんでしたっけ?」
「舞踏会のお話ですよ……」
今の今まで話していた内容を忘れるシンデレラは靴屋の呆れた返事に、そうでしたそうでした、と手を叩く。
「誘って頂いたのは嬉しいですが、舞踏会ってのは貴族たちの集まりでしょう。僕のような平民が行っても門前払いを受けるだけですよ」
「そこはご心配なさらず。この鍵を門番に渡せば簡単に参加できます。お城でならばお食事もありますし、靴のお礼もできますので一石二鳥です」
ポケットにあった鍵を差し出す。
そして、シンデレラは付け加えて、実は私お城の関係者なのですよ、と照れ臭そうに言う。だが、今までの会話から間違いなく、王位継承権を持つ姫様だとは分かりきっている。
「……なら交渉成立ですかね」
靴屋は曖昧に笑うと、鍵を受け取った。シンデレラは輝いた瞳を浮かべ「それでは今日の夜十時、お城にてお待ちしております」と、スカートをちょこっと持ち上げてお辞儀する。最後に一言、靴に対する礼を言ってその場を後にした。
一人になった靴屋は手にある鍵を見つめる。表情はさっきとは違い険しいもの。
「舞踏会ね……。いまさら行ったところでどうなるというのか」
手にある軽い鍵を握りながら頭を掻く。
「まあまあ、こんなチャンスは滅多にないんだから、ここはお言葉に甘えておきなさいな」
「誰だ?」
背後から声。身構えて腰にぶら下がっている、武器になりえるトンカチを握る。自分以外誰もいないはずの家、警戒するのは当たり前だ。
「とうっ!」
舞台左側から黒ずくめのマントを纏い、また真っ黒の三角帽子を深く被った少女がジャンプで登場した。ありきたりな姿だが、一目で何か判断できる王道パターンでもある。
そして、それなりの高さ三脚から飛び降りたのか、人間には到底不可能な跳躍力を披露した。
魔法使い。
それとなく雰囲気は嘘っぽいが、誰がなんと言おうと魔法使いなのだ。ちなみに蒼が役をしている。
「胡散臭い性悪そうな魔法使いだな……」
靴屋が怪訝そうな表情で呟く。
「人を見掛けだけで判断しないでくれるかな? しかも性悪は余計じゃない?」
アドリブを加えられ、魔法使いもついつい注意してしまう。
「それで、魔法使いさんがどういったご用で?」
「うふふ。わたしは勇気の出ないあなたの背中を押してあげようと、馳せ参じたのよ」
腰に手を当て、偉そうに胸を張る。堂々たる振る舞いも、怪しさを増す材料にしかならない。
靴屋はトンカチを握ったまま話を続ける。
「不法侵入の理由がそれかよ。さっきから好き勝手なことばっかり言ってるけど、あんたは俺の何を知っている?」
「露程も何も知らない、と答えるのが妥当かな。おっと、そんな恐い顔で睨まないでおくれ。君のことは知らないが、お城のことならば知っているのだから」
「へえ。あんたは城の事情を知っていると?」
靴屋の表情が一層険しいものになって、魔法使いに問いかける。
「ああ、そうさ。一人寂しく幼馴染との再会を待ち望んでいるシンデレラ。けれど平民探しはさせてもらえず、さらに追い討ちのように近隣国の公爵殿と結婚をさせられる。そして、この国は将来近隣国に乗っ取られ、ただ搾取されるだけのものに成り果てる」
と、魔法使いはしているかのように、客観的で軽い物言いで答えた。
「……だから? そんな話をしてどうする。俺には関係のないことだろう」
「ふふ……」
笑われた。しかも、これは嘲笑の笑み。
「君は馬鹿だねえ、大馬鹿だ。さっきも言ったけれど、せっかく与えられたチャンスを棒に振る気かい?」
「チャンス……?」
「ああ、チャンスさ。お姫様奪還のチャンス。婚約パーティーならば人も多いし、中に紛れることは容易い。それにこのままお姫様が結婚すると国が終わる。シンデレラも不幸のままだ」
「好き勝手に語ってくれるのは結構。だが、俺には関係ないと言ったはずだ」
「そうかな? 君はお姫様の幼馴染のことを知らないと言ったね。けれど不思議だ、このペンダントは彼女のペンダントとそっくりじゃないか」
「あんた、いつの間に!?」
魔法使いの手にはシンデレラの持っていたペンダントの片割れがある。銀色が輝くハートの片割れ。いつどこから取り出したのか、全く探した素振りを見せなかった。
「魔法だからね。何でもありさ」
「じゃあ、その魔法でお姫様を助け出せばいいじゃねえか……」
靴屋は額を手のひらで押さえて、首を振る。至極単純で効率のよい方法がまさかの目の前にあった。
「おおっと、痛いところを突かれたね……。でも、それではロマンがない。やはり姫を救い出すのは騎士の務めだと思わないかい」
「俺は騎士じゃない。ただの平民だ。仮に俺が舞踏会に潜入したとしてだ。お姫様の婚約を邪魔して、逃げ出す暇もなくそこで即刻捕まり打ち首さ。貴族どもにとって平民の命なんて、米粒程度の重さしかないだろうからな」
「おいおい、犠牲なんて出しやしないさ。わたしは魔法使いだよ。君を貴族と錯覚させ、目的の達成後に逃がすくらいは朝飯前ってもんだ」
マントの中から杖を取り出して靴屋の眼前に掲げる。呪文などを唱えるかと思いきや、ただ孤を描くよう杖を振るうだけ。
「でやー!」
シャラランと澄んだ効果音に続いて、青白い光が舞台を包む。
「うわっ……」
思わず靴屋は腕で顔を守り、目をきつく閉じる。だが光はすぐに止み、舞台は元の色を取り戻す。
それを察した靴屋は目を開き、慌てて体の変化を確認する。外見に異変があるわけでも、服が変わったわけでもなかった。
「……これといって変化ないんだが?」
「そりゃそうさ。今やったのは外見の変化ではないからね。わたしが君に施したのは君を貴族であると錯覚させる、いわばおまじないのようなものだ」
術の内容を説明しつつ、懐に杖をしまう。
「つくづくインチキ臭せえ……」
靴屋はまだ自分の身体を確かめながら、疑いの眼差しを向ける。
「疑い深いなあ。おまじないは成功してるから、後は君の意思次第だ。舞踏会まで時間はまだある。どの選択が正しいかゆっくり考えることだね」
「…………」
俯いて沈黙する靴屋に、魔法使いは最後の言葉を告げる。
「君に施したおまじないだけど、それ深夜十二時は解けてしまう。充分注意してくれ。それと、約束を果たす切っ掛けを与えたのだから、やるからには必ず成功させておくれ」
わたしはこれで失礼しよう、とにこやかな笑顔で魔法使いは立ち去る。
靴屋は魔法使いの後姿を見て、ただただ頭の中で自問自答をするだけだった。