第十八幕
部活紹介当日。
衣装に着替え終えた演劇部員は、部員紹介の順番を部員控室で待っていた。剣道部とその他のお手伝いは先に舞台裏で待機してもらっている。
蒼が窓から外の様子を見る。
神の悪戯か悪魔の手引きか、外は激しい雨に見舞われていた。そのため外での部活紹介は全て中止。生徒は室内の部活紹介のみの参加となった。
奇しくも紅洋が理事長室で言い放った言葉は、現実のものとなる。
そのカッコよかった紅洋は「気持ち悪い……」顔面蒼白で虚ろな瞳。病人じみた外見になっていた。
「メンタル弱っ!! 武道やってたのになんで!?」
大和がつっこむ。
「武道は手本だけだったし、見てるのも子供だったから関係ない……」
現在の時刻は八時四十五分。本番まであと十五分。この待ち時間で紅洋の緊張はピークを迎えている。
短い期間での練習に不安も感じているが、何より初めて人の前で演技をすることがさらなる緊張を煽っていた。
そんな紅洋に「そこまで緊張することじゃないでしょう……」とパイプ椅子に座っている真白が小説から目を話さずに言った。
「すいませんね、あんたとは神経の構造が違うもんで……」
「まだそれだけ皮肉を言う元気はあるんですね……。なら台本でも読んで気を紛らわせていたらどうです……?」
真白はスカートがめくれないよう手で押さえつつ、足を組み直す。
「そういうあんたはどうなんだよ。小説なんか読んで、余裕しゃくしゃくってか?」
「ええ、台本のセリフから登場の仕方、全員の立ち位置までなら覚えましたよ……。なんなら復唱しましょうか……?」
自分の台本をパタパタ見せびらかす。真白の態度に紅洋はうんざりして、一層気分が悪くなった。そこで蒼が助け船を出す。
「もー、真白! 本番直前によざっち戦意喪失させないでよー。よざっちもしゃんとして! 観客は皆野菜だと思えば大丈夫だから」
信憑性のカケラもない方法を提示してくる。それなら手の平に人の字を書いて飲み込むほうが、効果はあるように思えた。
「仕方ないですね。夜桜君耳を貸してください……」
真白が紅洋の耳元に顔を近づける。そして一言二言小さな声で囁く。さっきまで白かった紅洋の顔色が、今度は青ざめていく。
「頑張りましょうね」
「頑張らせていただきます……! ちくしょう!」
奮起させられた紅洋は、自分の台詞を暗唱しだした。
「まずい、十二時になってしまう……。このままだと魔法が解ける。早くこの場から抜け出さないと。くっ、こいつ動きが速すぎる……」
「ちょっとよざっち、本番前の見直し練習はいいけどトリップしないで!」
蒼が必死に呼び戻そうと騒ぎ立てる。肩を揺らす、頭を叩く、くすぐるなど試行錯誤してみるも効果は薄い。
そんな光景を横目に、大和が恐る恐る真白に尋ねる。
「ましろちゃん、あいつに何言ったの……?」
「気合いの入ることですよ。元気になってなによりです……」
「悲痛で青ざめた顔してたのはスルーなんだね」
大方の内容ならば想像はつく。最近なかった脅迫紛いの耳打ちだろう。まさに毒牙一発、恐ろしく凄まじい威力を持っていた。
「そういやあかりんはどうしたんだ? ずっと姿が見えないんだけど」
「紫堂さんですか? 彼女なら、走りにいきましたよ。じっとしてると落ち着かないからって……」
「漫画のキャラクターじゃあるまいし。っていうか衣装は? 着替えてる時間ないよ!」
女の子組には化粧やら髪のセットやら、男子組とは比べものにならない時間を要する。そして、この雨の中どこを走るというのか。
不意にコンコンと扉がノックされた。
「演劇部さん、そろそろ出番なので準備お願いします」
執行部だろうか、時間を告げに来てくれた。
「だから、あかりんがいねえっつうの!」
あかりが行方不明という不安から、大和が手を振ってあわてふためく。
「大丈夫、ここにいるよ」
タイミングを見計らったように、窓から明梨が現れた。貴族役の衣装を着ている。安堵と同時に不安新たな不安要素が生まれた。だが汗一滴もかいた様子はなく、化粧も崩れていない。
「全員揃いましたし、移動しましょう。ほら夜桜君もいい加減現実に戻ってください……」
真白が紅洋のすねを蹴りつける。紅洋は足を抱えて悶えた。前にも同じことがあったが、やはり弁慶は痛いようだ。
「ほら、立ってください。早くしないと置いていきますよ……」
「……どの口が言うんだ加害者さん」
「はてさて何のことでしょう。さあ、冗談は抜きにして行きますよ。遅れてしまっては元も子もありません……」
「こういうのは大和の役じゃなかったのかよ……」
真白の機転でいつものムードを取り戻した演劇部一同。
舞台袖の空間に足を運び、前のグループが終わるまでの僅かな時間を待つ。
だが、舞台付近に立つと全員がそわそわ落ち着かない様子。
「うあー、さっきまでは平気だったのになあ」
大和が思わず緊張を漏らす。しかし、大和はやはり軽い大和だった。
「というわけで、緊張を忘れるためにも名言を蒼会長と紅洋部長からどうぞ」
「どういうわけで、どうしてそうなる!? しかもひどい目茶振りだなっ!」
恥ずかしがって嫌がる紅洋の意見は当然却下。しかも蒼が先に発言する権利を譲ってきた。待ち時間ももうない。どうせ言わされるのなら、さっさと発言したほうが賢いと判断せざるをえなかった。
「最後までこのパターンかよ……。一言だけだからな、ったく」
一度咳ばらいをして間を空ける。そして、最初から言葉を用意していたようにすぐ言葉を紡ぐ。
「今日という日は今日一度しか訪れない貴重なものだ。だからどんな屈強にあっても悔いのないようにする。努力は自分を裏切らない、自分と仲間を信じろ。やるぞ、教師と教育委員会に見せ付けてやる」
「おう、やってやろうぜ紅洋!」
大和が紅洋と肩を組む。
「たまには良いこと言いますね、臭いですけど……」
真白は素直に褒めたこと思ったら、やはり落としてきた。
「お前に言われるまでもない、ヘタレのくせに生意気だ」
明梨は顔を背ける。いつまでたっても紅洋に対してツンケンしているが、口元は軽く緩んでいるようだ。
「以上七瀬蒼でしたー」
締めの会長の言葉は感動を台なしにしてくれた。これには紅洋も頭を押さえる。
「あんたな……、部の代表なんだからさ、もうちょっと上手く締めろよ」
「にゃははは。よざっちみたく良い言葉が浮かばなかったのさー。その代わりこれでね」
蒼が右手を皆の前に出す。
蒼を除いた四人に軽い笑みが浮かぶ。
そして白く綺麗な手の上に真白、紅洋、大和、明梨の順にそれぞれ手を重ねていく。
「やっぱり一言だけ言うね。今日は最後じゃなくて、今日がわたしたちの始まりだよ。誰よりも楽しんでやろうね」
手を上下に軽く振って、最後に大きく上に振り上げる。
舞台横のため大きな掛け声は出せなかったが、全員が胸中で大きく声を張り上げていた。
「演劇部さん、舞台に上がって下さい」
執行部の一人に呼ばれ、五人それぞれが舞台の立ち位置へ歩く。
蒼が手を挙げて準備完了の合図を執行部に送る。
―――ビー。
開演の合図が鳴らされる。
舞台と客席を遮っていた幕が、遂に開かれた。