第十五幕
日が暮れる。とっくに冬を通り越し春になったものの、太陽が沈む時間は冬も春も大差ない。空にうっすらオレンジの光が雲の隙間から差し込むも、町は夜に包まれようとしている。校内と言えど、教室や体育館から漏れる微かな光しか道を照らすものはない。
「そろそろ種明かししてくれてもいいんじゃない?」
暗がりが恐いらしく、蒼は明梨の腕に抱き着いていた。明梨は明梨で頼られるのが嬉しいのか、特に文句は言わなかった。
「種明かしって程じゃないよ。ただ元天才バイオリニストの金崎条に演出の協力を頼みにいくだけ」
「バイオリニスト? あの物静かな金崎先生が? まっさかねー」
あははは、と声を上げて二人で笑い合う。笑い合うだけで、嘘だよの声が一向にない。ということは、ということにしかならない。抱き着いた腕から手を離す。
「マジですか?」
「マジだって。嘘ついてどうするの」
目が点になる蒼。まさか自分達の顧問にそんな経歴があるなんて、全く知らなかったらしい。それよりも、その経歴を知っている生徒がどれだけいようか。
「じゃあこっちからも質問。夜桜から聞いたんだけど、七瀬さんは紫堂先輩とやらの意思を継いで演劇部を再興したんだよね」
「それはそうなんだけどね……」
蒼は先輩の身内に改めて経緯聞かれ、こっ恥ずかしそうに手を拱く。
「別に気にしなくてもいいよ。ボクと紫堂先輩はただの家族だから」
「仲悪かったんだねえ……」
「別に、昔からアイツとは反りが合わないだけ」
家族が選べたらなと深く長い溜め息をつく。
「それで先輩と何があって意思を継ごうなんて思ったの?」
「それは―――」
「なんてプライベートな話は聞かない。ボクが聞きたいのは七瀬さんの隠し事。それと嘘について」
恥ずかしい話を聞かれずに胸を撫で下ろした直後の質問だからか、真実だからか蒼は笑顔を消した。
春の冷たい夜風が二人を取り巻く。
「やだなあ、あかりん。わたしが嘘ついてどうするのー? わたしはいつもフルオープンだから隠し事や嘘はすぐバレちゃうってば」
「そう? 案外単純かもよ。普段通りに演技してれば、とか」
「もうあかりんー、わたしは素人だって言ってるじゃん」
口に手を当てて笑う。いつもの対応だが、蒼にはもうこれしかごまかす方法がないように明梨には思えた。
「なら聞くけど紫堂先輩とはどこで知り合ったの? ボクと七瀬さんは中学違うし、アイツは学校終わるとすぐ劇団だったから遠出はしなかった。だから外で会うことはほとんどない。それこそ演劇関係を除いてね」
鼻先に指を突き付ける。まるで名探偵が犯人のトリックを言い当てるかのようだった。そのうちお前が犯だと宣言しそうな雰囲気。実は内心ちょっとだけ楽しんでいた。
「なるほどー、筋は通ってる。でも、その推理はまだまだ甘いよ、甘すぎるね。お互いの友達から知り合ったのかもしれないよ。パソコンってこともあるかも。はたまた街角インタビューってパターンも捨て切れない」
今度は蒼が明梨の鼻先に指を突き付ける。こっちはこっちで犯人気分にノリノリだった。でも街角インタビューの下りは意味が分からない。
「そうだね、その通りだよ」
俯いて顔を横に振る。だが、遊びは終わり。最後の締めに入った。
「じゃあ理事長の件はどう? いくら理事長でも理事会で決まったことを生徒のためってだけで覆したりはしない。ていうか出来ないでしょ普通。つまり理事会が納得するもの、学園の利益になると確信しているものがこの演劇部には存在するってことになる」
演劇部が呼び出されたときに経験者の明梨はいなかった。四人のうち紅洋は剣道部にならば有益だが入ったのは演劇部。大和は中学時代からただのナンパ君で帰宅部、真白の詳細は不明だが特に習い事や部活はやっていなかったらしい。ならば最後に残る蒼が学園の利益に成りうる存在ということになる。
だが、その前に一つ言うとこの推理は消去法ではない。確固たる明梨の知識からなる、初めから結果が決まっている推理。言い換えると一人ヤラセである。
近くの教室棟から光が一つ消えた。
二人をまた闇が深く覆っていく。
「初めて会ったとき見覚えのある顔と名前だなって思った。家に帰って調べてみたら、正解だったよ。アイツが所属してた劇団の紹介に顔と名前があった。若き才能を発揮する光の乙女、七瀬蒼ってね」
そこまで評価された人物がこの学校にいると判明すれば、それをエサに新入生を集めることが可能になる。威力は弱いが有名人効果だ。
「あーあ、ばーれちゃったばれちゃった。素人だって言ってれば皆も真剣に取り組んでくれるだろうし、学校側も素人劇が成功したときのギャップに驚いて株を上げてくれるかも、って計画してたんだけどなー。人生って難しいねー」
「七瀬さんが思ってるより皆甘くないよ、いろんな意味でさ」
「たしかにー」
三歩跳ねて明梨を通り越す。
隠し事がばれただけで何かが変化することはない。それは明梨も分かっている。
また、明梨は知っているだろうが自分はもう劇団に所属してはいない。劇団で他人と主役の座を争うことよりも、学校で仲間との絆で目標を達成していくことを選んだ。もちろんそこには前年度部長紫堂との約束も含まれている。紫堂ができなかった仲間と精一杯の努力で劇を作り上げることを、自分に代わって蒼にやり遂げて欲しいという願いが。
自然に頬が緩んでいく。
皆頑張っている、頑張ってくれている。自分がおかしな計画を立てなくても、望む道のりを進んでくれている。
結成されてたった三日たらずなのに、嫌がっていたのを強制的に入れたのに、他部活から無理矢理引き抜いてきたのに。
「とか考えちゃってもバレたところでそんな困らないわけですよー。むしろあれじゃない? 逆によざっちなんか闘争心むき出しになってくれちゃったりしてー」
「炎上しなければいいけどね……。それより悪かったね、自己満足で問い詰めるようなことしてさ。でも曖昧よりはっきりさせときたかったんだ」
「いいよいいよー、どうせ本番終わったら言うつもりだったしさ。それに自分を再確認できましたー」
背を向いたまま笑い合う。
その最中、ガサっと暗闇から音がした。
「ひっ」
小さな悲鳴の後、明梨は蒼に背後から抱きつかれた。そのせいで前のめりにコケそうになるも、武道の華麗なる足捌きと手さばきで蒼を引き剥がしつつ回避……出来ず逆に後ろに引っ張られて尻餅をついた。
「大丈夫ですか?」
不意に暗がりから男に声をかけられた。二人は誰かを確かめるも、教室から漏れる逆光で顔だけが分からなかった。謎の人物はゆっくり近づいて来る。
「紫堂さん大丈夫ですか? ほら、早く立たないとスカートが汚れますよ」
謎の人物は優しい声で手を差し延べる。ここまで近づいてようやく男が金崎だとはっきり分かった。相変わらず全身黒なのは変わらない。
「あ、ありがとうございます」
明梨が手を借りて立ち上がる。スカートは草の水分でしっかり汚れていた。
「暗くなりましたから学内とはいえ危ないですよ。今からお帰りですか?」
「いえ、先生に用がありまして」
「私にですか? ふむ、どうやら話し合いになりそうですね」
金崎は暗い場所ではなんですから、と二人を明るい職員室に招き入れた。職員室には金崎の他に三人教師が残っており、仕事の残りや部活関連の書類などを片付けていた。金崎のデスクは入口のすぐ右手で、外車のミニカーが四台飾ってあった。それ以外には何も置かれていない綺麗で寂しいデスク。
「お二人が連れだっているなら、部活関連ですよね?」
「はい、先生にバイオリンを劇中で弾いていただきたいんです」
金崎の肩が僅かに震える。
そして大きく息を吐いて背もたれに体を預けた。
「バイオリンですか……。残念ですが、その協力は受けられません」
弱々しくそう言って自分の右手を差し出す。手の甲に異常はなかったが、指がいびつに曲り、ずれが生じていて骨格がおかしかった。バイオリンを弾くだけでここまで痛々しい様になるものだろうか。
「昔事故で骨を折りましてね、それで長時間どころか短時間の演奏も困難になってしまったんですよ」
「そうだったんですか……。すみません、そんなこと知らずに図々しいことを……」
「そんなことないですよ。こちらとしても嬉しいお誘いでしたから。こちらこそ申し訳ありません」
手を膝の上に置いて、深々と頭を下げる。つられて蒼と明梨も頭を下げた。これで秘策とやらが一つ潰えてしまった。部室での会話では、まだいくつかは残っているらしいが多いに越したことはない。舞台の臨場感を出す為の生演奏だったのだが、この痛手は大きい。
「名ばかりの顧問ですが、また他に用があれば言ってください。可能な範囲でなら手伝わさせてもらいますよ」
「あ、じゃあ早速なんですけど―――」
蒼が身を乗り出したとき「金崎先生はおられますか?! あ、演劇部もいる。ちょうどよかった」
胴着姿の少年が汗だくになって駆け込んできた。練習後ということもあってか、息も絶え絶えで肩が大きく上下している。
「おや、君は剣道部員ですね。一体どうしました?」
金崎の問いに胴着の少年はすぐ答えられなかった。
ばつの悪そうな顔をして「説明するより、現場を見てもらったほうが早いかもしれません」
そう言って三人を急かして現場とやらに走らせる。
「ねえ、現場ってどこなのさ」
蒼が先を走る少年に行き先尋ねる。どこへ行くか分からないままだと気持ちが悪かった。そして、次の言葉を聞いてさらなる気持ち悪さに襲われることになる。
「演劇部の部室だ!!」