第十三幕
「では、待ちに待った台本を渡します! 各自五分以内に目を通すように!」
大和に軽い状況説明と多少のお約束を加えてすぐ、蒼は全員を椅子に座らせた。
手渡された台本はよくある真っ白のレポート用紙で作られており、表紙に「靴屋とシンデレラ」の文字が銀色で書かれている。中をペラペラめくると、登場人物のセリフと立ち位置、その時々の状態、状況が細かくタイピングされている。
だが、ページ数からして五分で読むことは無理に近い。それこそ速読を駆使しなければならないが、そんなもの誰も習得していなかった。だが最初に、ご丁寧にもあらすじが書かれていたので、紅洋はそこだけを読むことにした。
『昔々シンデレラというお姫様がおりましたとさ。ある日、城の生活に飽き飽きしていたシンデレラは気まぐれで城下町に降り、ある一人の靴屋と出会いました。その何気ない出会いが二人の運命を変えるものとなったのです』
(あらすじ……じゃない!?)
開いた口が閉まらない状態になる。
全く物語の内容が書かれていなかった。これは物語を書き始めるキーワード。言われたとおり台本を読んでいけば分かるだろうが、さっき言ったように五分では無理。紅洋は諦めて台本を閉じた。
「シンデレラかあ。ずいぶんメジャーどころをチョイスしたねえ」
横で大和が不満げにぶーたれた。
「いきなり不評!? これでも十分吟味して選んだよー」
「ボクはいいと思うよ」
台本の出来映えをチェックしていた明梨が蒼の後押しをする。
「台本もそのままじゃなくてところどころアレンジしてあるようだし、何よりちゃんと時間のことを考えてある」
「どゆこと?」
「さっき転がってる演劇道具とかを漁ってたんだけど、前の演劇部でやったシンデレラの道具や衣装が残ってた。これなら道具に時間を割かず、演技に集中して取り掛かれるかな」
ほら、と言って発見したシンデレラ劇の道具をダンボールの中から引っ張り出す。
取り出したのはシンデレラのドレス。あちこちほつれたり汚れたりしているが、縫って洗えば簡単にキレイになる。この劇に欠かせないガラスの靴もしっかりと別の箱に保存されており、十分使用できる姿で残っていた。
「でもさー、やっぱりドッカーンとかガッシャーンとか激しいのがよかったなあ」
「気持ちは分からないでもないよ。でも高校の演劇じゃ予算がないから無理、ていうかドッカーンとかガッシャーンはもうミュージカルになるね」
「じゃあ予算あればドッカーンとかガッシャーンが可能になったりすんの?」
「たぶん多少は。でもそれなりの人数も必要だし、安全面にも問題はあるからやっぱり無理」
「うわー、残念だあ。ドッカンバッタン文化祭でやろうと密かに計画してたのにー」
「それはお気の毒。学校行事だと屋台でジュージューやるのが精一杯だね」
特に深い意味もなく擬音を使い続ける二人。
明梨が大和の擬音に乗っかっていることも不思議だった。もしかしたら意外に擬音を使うのが好きなのかもしれない。
「じゃあ雑談はこのくらいにして話を元に戻そう」
「雑談をしてた本人が仕切んなよ……」
紅洋の横槍を相手にすることなく話を元に戻す。
そして机の中心、全員が確認できやすい場所に台本を置く。話の話題に上がるページはもう開かれていた。開かれていたのは登場人物及びキャストのページ。
「まずここからだね。キャストは演技の一から十を決めるって言っても過言じゃない重要なこと。もう誰がどの役か決めてあるのかな?」
「そりゃもうばっちしですよ姉さん!」
蒼がピースで応答する。
そして自分の台本のキャストページを眼前に持ってきてキャストを発表した。
「では最初! 靴屋の役はー、じゃかじゃかじゃかじゃかじゃーん! 夜桜紅洋ー! ちなみに決定事項なので拒否権はありませーん!」
「部員の意思くらい尊重しろや! そして発表までが長い! もっとテンポよくスピーディーにお願いします!」
紅洋もちょっと緊張していたらしい。だが、キャストについての文句はそれ以上口にしなかった。理由は簡単。部員は五人しかいないのだから、必ず全員が何らかの役をやらなければならない。そしてそれは全部主役級だろう。ならば、やりやすそうで地味な靴屋に文句は言うまい。
だが、紅洋は一つとても大事なとても重要なことを忘れていた。
この劇のタイトルは靴屋とシンデレラ。地味で簡単な役がタイトルを飾るはずがない。
「はいはいはいはい! 会長質問!」
紅洋が椅子を後ろに倒す勢いで立ち上がる。おまけに手も天に向けてぴっしり垂直に伸ばしている。
「はいどうぞ、靴屋役の夜桜紅洋君」
会長こと蒼はどこから取り出したのか、先端にでっかい白い指がある棒で紅洋を指した。
「靴屋ってどんな役!?」
「詳しくはもうちょっとしたら説明するけど、今はすごい主役ってだけ言っとこうかな」
すごい主役らしい。当たり前に主役らしい。タイトルを飾るのは主役に決まっていた。
だが、もう拒否権はない。
紅洋は頭を抱えて悶える。
「それじゃあ要望もあったのでテンポよくいきまーす。シンデレラ役はましろーん。貴族の騎士役はあかりーん。周囲の民の声アンド語り部はわたしこと蒼とやまちんに決定でーす!」
テンポよく、ではなくただの早口で読み上げる。それでも蒼の滑舌はしっかりしているので、聞き取れないことはなかった。
だが、それがまた混乱を引き寄せる材料にもなった。
「ん?」
「え?」
「はい?」
一瞬聞き間違えのような錯覚が三人を襲う。役の説明を受けていないからかもしれないが、非常に頭を捻る配役。
蒼と紅洋を除いたメンバーは理解しがたい顔をしていた。
無表情の真白を感情豊かなシンデレラ役に、剣術披露はできるも小柄な明梨を騎士役に、その身長で大きく滑らかな動作を表現できる大和を声のみの出演に抜擢。どう考えても笑い話にしか思えない。
「あー、みんなわたしの配役に不満があるなー。ならすぐ真意を伝えようじゃないか!」
詳細が細かく書き込まれている自分の台本を軽く手で叩く。
「是非お願いしたいね」
「そうだそうだ! 説明しろこの野郎!」
紅洋が再び勢いよく立ち上がった。今度こそ椅子は縦に半回転しながら倒れた。
主役を降りる奇跡のチャンス到来に、ここぞとばかり攻め入るつもりらしい。
だが、それは明梨の一言でばっさり切り捨てられた。
「残念だけどお前の役どころだけは不満も何もない。お前の靴屋役だけはもう決定事項だ」
演劇経験者の言葉はこの場にいる初心者たちの心に深く染み入った。
明梨は紅洋を手であしらって大人しく座るよう指示する。
熱を計るように額を手で押さえる紅洋は力なく座ろうとするも。元の位置に椅子はなく、重力に引っ張られ尻から地面に叩きつけられる。
横で口元を押さえて笑う明梨の姿が一瞬見えた。
もう起き上がるのも億劫だったので、大の字に寝そべったまま話を聞くことにした。
「やまちんには演技もして欲しかったんだけど、他にもやってほしいことがあったので声だけにしたのですよ」
「他にやって欲しいこと?」
大和が、そう聞いて頭の後ろに両手を組んだ。
「うん。わたしたちは五人しかいないでしょ? 場面が変わるときの大道具と小道具を運ぶ係りが必要なの」
納得しかけた大和の右下から、寝転んだままの紅洋が口をはさんだ。
「その係りこいつだけじゃ無理だろ? 運ぶ数が多かったりセリフを言うタイミングと被ることもあるんじゃねえの?」
「そこは考えてあるのさ!」
寝転んだ紅洋の腰の上あたりで蒼は仁王立ちになる。だが、スカートを短くして足を細く見せている蒼。首を少し持ち上げただけでばっちり見えてしまう。でも本人は無反応だった。
「道具運びの主任はやまちんだけど、役者にも出来うるかぎり舞台袖にはけるとき運んでもらおうと思うのでヨロシクー」
予想していたのか、役者勢はだるそうに返事をしただけだった。蒼はまた歩きだし、説明を始める。
「テンポよくいくよー、次はあかりんね。たぶんみんな貴族の固定観念はイコール男で大人だよね? けどさ、ちっこくて可愛い貴族がいても問題ないじゃん? それにチャンバラのシーンもあるからこれはあかりんが適役なんだよ」
「チャンバラ?」
明梨の声に蒼は足を止める。
「そうだよ、この劇の目玉商品! ちゃんと台本に書いてあったでしょー?」
「いやいや、あんな短時間で読めるわけないし。今だってまだお城にすら辿り着いてないよ」
テーブルに置かれた台本を指で叩く。ページを覗くと城どころか魔法使いすら登場していなかった。
「あかりん読むの遅いよー。どれどれ、探してしんぜよう」
蒼は明梨の後ろに立つなり体を密着させる。そして抱き着くように肩の上から手を伸ばし、自分の顔を明梨の顔に横付けする。
「近い近い! あ、おい、顔擦り付けないで!」
「気にしない気にしなーい。ただのスキンシッープ」
そう言ってテーブルの上の台本を掴むなり、目的のページを探していく。その間、終始明梨は顔をしかめていた。
「あったよん。これがチャンバラシーンねー」
「だから近いし、重いから……」
近づけられた顔を押しのけよう努めながら、台本に注意を移す。城での舞踏会に決闘のシーンがあるらしい。
「……なるほど、これはチャンバラというより打ち合いに近い。これはボクと夜桜にしかできないな」
「でしょでしょ。二人には期待してるんだからー」
蒼は伸ばしていた手を完全に明梨の体へと絡ませる。だが、暑苦しいとすぐに振りほどかれてしまい、しぶしぶ体を離す。
「ぷにぷに感触だったのに……」
「何だって?」
「何でもないないー」
独り言に反応されて、逃げるようにまた歩き始める。半周歩いて、今度は真白の後ろに立ち止まった。
「最後はメインヒロインの説明でっす。ましろんは無愛想を除けばヒロインだよね?」
「無愛想を除けば、ねえ…」
明梨は今日何度目かの探りを密かにいれた。それに気づいた真白は絵に描いたような作り笑顔を浮かべる。
(顔の筋肉を左右に引っ張れば笑うってもんじゃないだろうに……)
「でもそれすら圧倒する可愛いさがあるんだよー。もうマシロ可愛いすぎるー! わたしの嫁だから誰にもあげないー」
抱き着いてほお擦りする。
真白は無表情を突き通す。いや、違った。さっきまで笑顔を浮かべていたので、これは少なからずテンションが下がっている。抵抗しないのは諦めているからだろう。
「この部活大丈夫なのか……?」
「奇遇だな。俺も常々そう思ってたところだ」
仰向けになっている紅洋は腕を組んで明梨を見上げる。
「奇遇だけど、とりあえず起きろ。この変態」
椅子から垂れるスカートの裾を押さえて、明梨はそう言った。