はじめに
これは決して、鈴本先生を肯定するためのエッセイではない。
しかし同時に、
感情に任せて叩き潰すだけの罵詈雑言でもない。
問いに答えず、遮断する人間と。
遮断されても、なお問い続ける人間。
ただのお気持ち表明に堕ちれば、
それは彼と同じ場所に立つことになる。
これは、
その選択を拒んだ愚かな人間の、
行き場を失った記録である。
こんにちは、蛇蝎です。
この度、私がこの文章を書くに至った理由は、かの御仁
鈴木 案先生の『ヒーロウ・イン』という作品に小生が感想を送った事に始まります。
作品を読み込み、構造と主張を踏まえた上で、いくつかの疑問を提示した。
それに対しかの先生からのレスポンスは
感想の削除でした。
ぜひ客観的なご意見が聞きたかったが、消されてしまったのでどうしようもない。
その後、GrokによるAIの高評価ポストを続け、私はこれだけ凄いのだ。
『無知による強固な偏見に満ちた相手と対話。
知を説明しようとしても無駄だと実感した』
というお気持ち表明を受けまして、つい筆を執る事となりました。
今一度感想を送ろうとするも、ブロックという手段を取られてしまい、ならば作品にして届けてしまえ
という手を取らせていただきました。
鈴本先生。もし指摘内容に対し納得のいく「知」をご説明頂けるのであれば、
ぜひご感想をお待ちしております。
読んで頂いた方、ぜひ鈴本先生に教えてあげて下さい。
蛇蝎の対話のドアは開いていますよ?と。
さて、鈴本先生の作品『ヒーロウ・イン』は
社会は不寛容
システムは異物を排除する
信仰に従わない者は弾かれる
このような内容を書かれていました。
現実、作者は何をしたか。
『 異論を排除した』
作品が現実で自己証明しているのです。
「語る側」でいるのは好き
「語られる側」になるのが耐えられない
故に
読解される
構造を暴かれる
矛盾を指摘される
この三点が揃った時点で即シャットアウト。
人として間違った行動だとは思いません。
ただし、創作者としては別の話です。
社会の不寛容を描くのであれば、
自分が不寛容になる瞬間から目を逸らしてはいけない。
それを直視できた時、
初めて物語は「思想」ではなく「作品」になります。
* * *
興味深いのは、感想を削除し、対話を拒否したその直後に、
AIによる高評価を繰り返しポストしている点です。
「独創的で完成度が高い」
「心に刺さる」
「非常に評価が高い作品」
──それらはすべて、
『自分が宣言しているだけで、他者の評価ではない』という事です。
ここで起きているのは正しい評価ではありません。
検証も、対話も、反証も存在しない。
ただの自己確認行為です。
他者の読解は拒絶する。
だが、無条件に肯定してくれる声は歓迎する。
この態度は、作品内で描かれている構図と完全に一致しています。
繰り返しとなりますが、
社会は不寛容
システムは異物を排除する
信仰に従わない者は弾かれる
現実において作者が選んだ行動は、
異論は削除
読解は遮断
肯定のみを可視化
つまり、
「自分にとって都合の悪い他者」を排除し、
「自分を肯定する声」だけを残す
という、
作品内で悪として描かれていた行為そのものです。
社会の不寛容を描くのであれば、
自分が不寛容になる瞬間から、目を逸らしてはいけないのではないでしょうか?
AIの評価が無価値だとは言いません。
しかし、それは白雪姫の魔法の鏡です。
鏡よ鏡、自作以外の他作品への感想
その分析考察批評の精度はどの程度?
『高精度80~90%です』
問い返さず、揺さぶらず、主の欲しい言葉だけを返す。
魔法の優しい安心装置。
だが物語は、
安心させるために書かれるものではない。
少なくとも、
「社会の不寛容」を描くと名乗るのであれば。
さて、次の話はそんな作品の、小生なりの感想です。
直接届けられないのが実に残念ですね。




