第9話 ただの噂話のはずだった
ブラックツリーの拠点に戻ったあと、しばらくは何も起きなかった。
それが、逆に落ち着かなかった。
応接室に通され、用意された椅子に腰を下ろす。
広さも、調度も、無駄がないのに居心地がいい。
(……本当に、帰ってきたんだ)
そう実感させられる空間だった。
扉がノックされ、静かに開く。
「失礼いたします」
現れたのは、先ほど出迎えた少女――ティナだった。
手には、数枚の書類。
「悠人さん。円卓の騎士から預かっている件について、整理が終わりました」
「ありがとう」
悠人は立ち上がり、自然な動作で受け取る。
正式な依頼書ではない。
封印も、契約魔法もない。
――覚書。
エリシアは、それを見て小さく首を傾げた。
「依頼、というより……相談?」
「はい」
ティナは即座に頷いた。
「円卓としては、まだ“依頼”と呼ぶ段階ではないそうです」
セナが、腕を組んだまま言う。
「要するに、面倒だけど放っておけない案件ってことね」
「その通りです」
ティナは淡々と続けた。
「内容は三点です」
「一つ。
セントラル近郊で“剣に関する噂”が複数確認されていること」
「二つ。
噂の剣を手にした冒険者が、戦闘前後で明らかに変質していること」
「三つ。
現時点では神器・呪具・魔導兵装のいずれとも断定できないこと」
そこで一度、ティナは言葉を切った。
「――以上です」
「随分、曖昧だな」
俺は正直に言った。
「はい。ですので、円卓としても公式には動いていません」
エリシアが眉をひそめる。
「それで、ブラックツリーに?」
「“問題にならない存在”だから、です」
ティナは迷いなく答えた。
「動いても、街が荒れない。
動かなくても、責められない」
それを聞いて、セナが小さく息を吐いた。
「相変わらず、便利な立ち位置ね」
「はい」
ティナは、少しだけ苦笑した。
⸻
「で、どうするの?」
書類をテーブルに置き、セナが俺を見る。
「この内容だけじゃ、判断材料が足りないわ」
「だな」
俺は椅子から立ち上がる。
「だから、いつものやり方で行く」
「……酒場?」
エリシアが首を傾げる。
「そう。情報は書類より、口のほうが早い」
ティナが、少しだけ目を見開いた。
「でしたら、最近噂が集まりやすい酒場があります。
中央区の外れで、冒険者の出入りが多い場所です」
「助かる」
俺は軽く手を挙げた。
「留守は任せる」
「はい。お気をつけて」
⸻
酒場は、思ったよりも落ち着いた雰囲気だった。
荒事を好む連中より、
情報を“売り買い”する者が多い。
俺とセナはいつも通り。
エリシアは、少しだけ周囲を観察している。
(この街の酒場、独特ね)
そう思っているのが、横顔から伝わってきた。
「最近さ、妙な話が増えてるんだよ」
近くの席で、冒険者の一人が酒を揺らす。
「剣の噂だろ?」
「そう、それ」
何人かが、軽く笑った。
「またか」
「呪われた武器の定番じゃねぇか」
よくある話だ。
だからこそ、誰も深刻には受け取らない。
「でもよ」
最初に話していた男が、声を落とす。
「今回のは、ちょっと違う」
「何が?」
「剣を抜いただけで、魔力の流れが変わったらしい」
笑い声が、少し減る。
「使ってもいない。
振るってもいない」
「……持っただけで?」
「ああ」
セナが、ちらりと俺を見る。
俺は、黙ったままだ。
まだ、聞く段階だ。
「で、そいつはどうなった?」
「次の日、消えた」
「逃げたとも、死んだとも言われてる」
再び、笑いが起きる。
「はいはい、御伽話」
「神器でも拾ったんじゃねぇの?」
その瞬間だった。
「……違う」
低く、静かな声。
今まで黙っていた男が、酒を置いた。
「俺は、見た」
空気が、わずかに変わる。
「強くなったんじゃない。
“変わった”んだ」
「変わった?」
「目だ」
男は短く言った。
「戦う前から、勝ってる目をしてた」
「相手を見るんじゃない。結果を見てる目だ」
俺は、無意識に指を組んでいた。
それは――
よく知っている感覚だった。
「その剣は、今どこにある?」
気づけば、俺が聞いていた。
男は一瞬だけ俺を見て、首を振る。
「知らねぇ」
「ただ……」
少し間を置いてから、続けた。
「円卓が動く前に、誰かが触れるべきじゃなかった」
「そんな気が、しただけだ」
それ以上、男は語らなかった。
⸻
酒場を出て、夜風に当たる。
「……ただの噂じゃないわね」
エリシアが、静かに言う。
「ああ」
セナが腕を組む。
「円卓が“様子見”で回してきた理由も分かった」
俺は、街の灯りを見上げた。
確証はない。
だが――
(面倒な方向に転がりそうだ)
「放っておくと、もっと厄介になる」
そう言って、歩き出す。
まだ知らない。
この剣が、どこに繋がっているのか。
だが一つだけ、確かだった。
――これは、
ただの噂話で終わる類じゃない。




