第31話 介入できない理由
部屋を出たあと、セナは戻ってこなかった。
泣き疲れたのか、怒りに耐えきれなかったのか。
誰も、追わなかった。
その選択すら、今は重い。
「説明するべきだと思う」
最初に口を開いたのは、エリシアだった。
「感情ではなく、構造の話として」
悠人は、椅子に深く腰を下ろしたまま天井を見上げる。
「……そうだな」
短く応じる。
ノアが、資料束を机に置いた。
「ブラックツリーが“第1席”である理由から説明します」
その言い方は、すでに答えを含んでいた。
「円卓は、表向きは秩序の象徴です」
ノアは淡々と続ける。
「国家間の戦争を抑止し、
強大な力が一方的に振るわれるのを防ぐための枠組み」
アスカが肩をすくめる。
「建前よ」
はい。建前です」
ノアは否定しない。
「実際には、円卓は“力の価格表”です」
エリシアが、目を細める。
「価格……」
「はい。
どの席が、どれほどの介入を許されているか。
どこまで世界を壊していいか」
ノアは、一枚の紙を指で叩いた。
「第1席は、その上限です」
沈黙。
エリシアは、ゆっくりと息を吸った。
「つまり……」
「ブラックツリーが動けば、世界が動く」
悠人が、代わりに言った。
「だから、簡単には動けない」
エリシアは、理解した。
ここで感情に任せて介入すれば――
それは“救い”ではなく、“宣戦布告”になる。
「今回の件も?」
エリシアの問いに、ノアが頷く。
「貴族側は、正義側より多くを積みました」
「金額の話じゃない」
悠人が訂正する。
「“対価の総量”だ」
アスカが、指を鳴らす。
「金、影響力、報復リスク、連鎖する介入」
軽い口調だが、内容は重い。
「全部込みで、向こうが上だった」
エリシアは、唇を噛んだ。
「……じゃあ、正義は」
「安かった」
悠人の声には、感情がなかった。
事実を述べているだけだ。
「命の話よ」
エリシアが言う。
「分かってる」
即答だった。
「だから、値段が付いた」
エリシアは、目を伏せた。
理解はできる。
納得は、できない。
「介入するなら」
ノアが続ける。
「それ以上の対価が必要でした」
「正義側には、それがなかった」
アスカが言う。
「持ってないもんは出せない」
部屋に、静かな重さが落ちる。
アスカは、いつもの調子を崩さなかった。
それがこの場で、彼女に許された唯一の逃げ道だった。
エリシアは、悠人を見た。
「……あなたは」
少し、ためらってから聞く。
「それでも、苦しい?」
悠人は、少しだけ考えた。
そして、初めて言葉を選んだ。
「苦しくなかったら」
視線を下ろす。
「俺は、ここにいない」
その言葉に、嘘はなかった。
「じゃあ、どうするの」
エリシアの声は、静かだった。
「このまま?」
悠人は、立ち上がる。
「今はな」
そして、窓の外を見る。
「でも」
その続きを、すぐには言わない。
ノアが、別の資料を差し出した。
「次の案件です」
エリシアが、眉をひそめる。
「……これは」
「“まだ値段が付いていない”」
悠人が、資料に目を落とす。
「面倒だな」
小さく、しかし確かに言った。
それは、危険な兆しだった。
金で測れないもの。
対価が未確定な介入。
それは、円卓の外側――
世界の均衡を揺らす領域。
悠人は、静かに笑った。
「だからこそ、だ」
ブラックツリーは、動けない。
だが、世界が先に動いてくることはある。




