第28話 上書きされる正義
ブラックツリーの中枢は、今日も静かに稼働していた。
結晶板に映る光は一定で、魔力の流れも安定している。
緊急警戒音も、戦闘準備の合図もない。
――平和だ。
それが、逆に不気味だった。
ノアが新しい情報結晶を起動する。
「追加依頼を受信しました」
淡々とした報告。
だが、その言葉に、セナの背筋が僅かに強張った。
時間が近すぎる。
さきほど処理した依頼――
南西部の山間地域、圧政に苦しむ村と小国家からの救援要請。
その余韻が、まだ残っている。
「依頼内容、読み上げます」
ノアの声は、感情を持たない。
「南西部、山間部一帯。治安維持および反乱分子排除」
セナは、反射的に結晶板を見た。
地図情報。
座標。
発生時刻。
――同じだ。
誤差レベルですらない。
完全に一致している。
「依頼主は、隣接国家の貴族連合および商会代表」
アスカが、静かに口を開いた。
「来たね。予想通り」
「名目は秩序回復。既存の統治体制維持」
ノアは続ける。
「武装反乱の鎮圧、および関係者の排除を求めています」
“排除”。
その単語が、セナの耳に引っかかった。
だが、最も空気を変えたのは、その次だった。
「報酬額――前件の四・二倍」
一瞬、音が消えたように感じた。
誰も言葉を発しない。
ただ、結晶板に映る数字だけが、はっきりとそこにあった。
「……四倍?」
セナが、思わず聞き返す。
「正確には四・二倍です」
ノアは訂正する。
「即金。成功報酬の追加条項なし。作戦期間は最短三日」
「条件、良すぎでしょ」
アスカが指を鳴らした。
「余裕がある側の依頼だね。金も、人も、失って困らない」
ノアは、二件の依頼を並列表示した。
左が、村側の救援依頼。
右が、貴族連合。
内容、成功率、想定損耗、介入後の波及。
すべてが数値化され、同じフォーマットで並んでいる。
「成功率はこちらが高い」
ノアが説明を続ける。
「武装・補給ともに充実。情報精度も高い。追加介入の必要性は低いと判断されます」
「……当たり前じゃん」
セナの声が、少しだけ荒れた。
「だって向こうは、守るために依頼してるんだよ?」
ノアは答えない。
事実に、反論は必要ないからだ。
「正義側の依頼は?」
エリシアが静かに尋ねる。
「報酬額は最低基準をわずかに上回る程度」
ノアは即答した。
「長期介入の可能性あり。再発率、高。政治的反発リスクも存在します」
つまり。
――割に合わない。
「安いね」
アスカが、淡々と言った。
「命にしては」
皮肉ではなかった。
感情も乗っていない。
ただの事実確認だ。
セナは、胸の奥がざわつくのを感じていた。
同じ地域。
同じ問題。
なのに、片方は“守る依頼”。
もう片方は“排除する依頼”。
それが、同じ棚に並べられている。
「……同じ、案件として扱うんだ」
ぽつりと、セナが呟く。
「同じ“問題”だよ」
アスカが返す。
「解決方法が違うだけ。金を払う側が、方法を指定してる」
エリシアは、結晶板を見つめたままだった。
彼女が見ていたのは、数字でも報酬でもない。
――順番。
二件の依頼が、まったく同じ優先度で表示されている。
そこに、善悪の区別は存在しない。
「……上書きできるんだ」
エリシアの声は小さかった。
だが、確信に満ちていた。
条件さえ揃えば、
正義は簡単に“更新される”。
悠人は、まだ何も言っていない。
椅子に深く腰掛け、二つの依頼を見比べている。
視線は冷静。
判断を急ぐ様子も、迷っている様子もない。
「決めるの?」
セナが、耐えきれずに聞いた。
「まだだ」
悠人は短く答えた。
「材料は揃った。それだけだ」
その言葉に、セナはぞくりとした。
――材料。
人の命も、村の未来も、
全部その中に含まれている。
正義は、まだ消えていない。
ただ、
より高い値段を提示されただけだ。
次にこの話題が出る時。
誰かが、感情を爆発させる。
それは間違いない。
そしてその時、
悠人は、もう沈黙しない。
結晶板の光が、静かに落ちる。
判断は、まだ下されていない。
だが――
天秤は、確実に傾き始めていた。




