第13話 静かな日常と、観測者
朝の拠点は、いつも通りだった。
窓から差し込む光。
淹れたばかりの茶の匂い。
誰かが無造作に置いた装備が、床で小さく音を立てる。
昨夜まで、あれほど張り詰めていた空気が、
嘘のようにほどけている。
「……本当に、何も起きてないわね」
エリシアが、少し拍子抜けしたように言った。
「起きてたら困るでしょ」
セナは椅子に深く腰掛けたまま、肩をすくめる。
「街は平和。剣も動かない。ひとまず成功、ってところじゃない?」
「表向きはな」
俺は、カップを置いた。
封印は機能している。
少なくとも、“今すぐ何かが起きる”状態ではない。
だが――
(あれは、終わってない)
完全に閉じなかったのは、意図的だ。
存在そのものを消せば、反発が起きる。
だから、残した。
“在る”という状態だけを。
「……ねえ、悠人」
エリシアが、少しだけ声を落とす。
「剣、困ってたよね」
「そう見えたか?」
「うん」
即答だった。
「怒ってるとか、恨んでるとかじゃなくて……」
「分からなくて、立ち止まってる感じ」
俺は答えなかった。
だが、それは間違っていない。
あの剣は、
選び、裁き、進めるか否かを決める存在だった。
それが初めて、
否定された理由を理解できない立場に置かれた。
(だから、学ぶ)
あれはそういう存在だ。
否定を、否定のまま終わらせない。
「まあ、しばらくは様子見ね」
セナが軽い調子で言う。
「街も落ち着いてるし、依頼も通常運転」
「しばらく平和よ、たぶん」
「……だといいな」
エリシアが苦笑する。
誰も、その言葉を否定しなかった。
⸻
同じ頃。
王都の地下、地図にも記されていない区画。
稼働していないはずの魔導灯が、
一つだけ淡く灯っていた。
その下に、人影はない。
あるのは、
机の上に広げられた古い文書と、
静かに回転する観測用の魔導装置だけだ。
「封印状態、安定」
誰かの声が、空間に落ちる。
男とも女ともつかない、感情のない響き。
「完全封印ではない」
「だが、拒絶は明確」
装置の針が、わずかに振れる。
示しているのは――セントラル広場。
「興味深い判断だ」
淡々と、しかし確実に“評価する”声音。
「選ばなかったのではない」
「選ぶという概念そのものを、否定した」
文書の頁が、ひとりでにめくれた。
「なら――」
声は、そこで一拍置く。
「次は、別の視点が必要だ」
光が、一瞬だけ強まる。
それが何を意味するのかを、
知る者は、まだ誰もいない。
⸻
その夜。
セントラル広場は、静まり返っていた。
昼間の喧騒が嘘のように、
石畳には、月明かりだけが落ちている。
剣は、そこにあった。
突き立てられたまま。
動かず、語らず、沈黙したまま。
封印は、確かに効いている。
――だが。
その奥で、
剣は“考えていた”。
否定された理由。
届いていたはずの基準。
それでも、選ばれなかったという事実。
(理解できない)
だからこそ。
理解しようとする。
世界を知ろうとする。
人を、基準ではなく――存在として。
封印は、まだ破られていない。
だが、
沈黙は終わりではない。
それは、
次の問いが生まれるまでの、時間だった。
――静かに、確実に。
物語は、次の段階へと進んでいる。




