第1章 風の国へ
国を出てもう三日が経っていた。
街道は途切れがちで、足元の石畳もやがて土に変わった。
道の脇には草が伸び、遠くに鳥の群れが見えた。
風が違っていた。
鉄と煙の匂いがしない。
ただ、空の匂いがした。
「ねえ」
「何だ。」
「この風、少し甘い気がする。」
ヴァルドは歩みを緩めずに答えた。
「それが“空気”というものだ。」
アルスは首をかしげた。
「バルアードにも空気はあったよ。」
「だが、呼吸できる空気とは限らん。」
小さな沈黙のあと、ヴァルドは丘を指さした。
「見ろ。あれが――セルアだ」
アルスは目を細めた。
バルアードにあったような壁も塔もなく、
ただ光と風の中に家々が散らばっている。
「……あんな場所が本当にあるんだ。」
丘を下りるにつれて、風が強くなった。
草が波のように揺れ、どこまでも続いている。
その先に、石造りの小さな家々が見えた。
畑と畑のあいだに道があり、人々がゆったりと行き来している。
けれど、アルスは立ち止まった。
「……壁が、ない。」
ヴァルドが振り返る。
「国を囲う壁だよ。バルアードじゃ、外に出るには門を通るしかなかった。
どこに行っても、高い壁があって……風も、光も通らなかった。」
ヴァルドは短く頷いた。
「なるほど。ここは……開けているな。」
「どうして壁がないんだろう。」
「さあな。」
ヴァルドは風を受けながら言った。
「戦が少ない土地か、あるいは、そういう考えの国なのかもしれん。」
アルスは少し黙り、再び歩き出した。
近づくにつれて、屋根の上で小さな風車がくるくると回っているのが見えた。
「……風が多いから?」
「それも間違いではないだろう。」
二人は風に押されるように村へ向かって歩いた。
空は明るく、どこまでも澄んでいたが、
その風の奥に、何か遠いざわめきを感じた。




