第7章 知らないままでいられずに
リアナを連れて、リコは女子寮の方向へ向かった。
途中で振り返ることはなかった。
振り返ったら、不安できっと泣いてしまうと分かっていたからだ。
中庭にはアルス、ニーナ、ユンの三人が残った。
噴水の音だけがやけに大きく聞こえる。
「……」
最初に口を開いたのはニーナだった。
「ねえ」
アルスは嫌な予感がした。
「私、調べたい。何があったか」
短い言葉。
「ダメだよ。危ない」
アルスはすぐに言った。
「学園が動くよ。教師も医師もいる。僕たちが首突っ込むことじゃないよ」
ニーナはアルスを見る。
「でも、放っておけないでしょ」
「僕だって……」
言いかけて、止める。
ニーナは静かに続けた。
「誰かが、死んだかもしれないのよ。“ありえない”って言葉で済ませられる?」
アルスは言葉を失う。
「……ユンからも何か言ってよ」
助けを求めるようにアルスはユンを見る。
ユンはすぐには答えなかった。
眼鏡の奥で、視線が揺れる。
「……正直に言う」
ユンはゆっくり口を開いた。
「僕も知りたい」
アルスは目を見開いた。
「え?!」
「怖いし、理屈ではありえない」
ユンは自分の手を見つめる。
「だからこそだ。どうやったのか、何が起きたのか」
顔を上げる。
「分からないままにする方がずっと危険だ」
ニーナは小さく頷いた。
「ありがとう」
アルスは二人の顔を見比べた。
(止められない)
そう、直感した。
「無茶しないでよ?」
「約束するわ」
ニーナは即答した。
ユンも頷く。
──────────
その日の午後、学園から正式な発表は出なかった。
教師たちは慌ただしく動いていたが、
生徒に向けて語られる言葉は一つだけだった。
「体調不良による搬送」
「詳細は調査中」
それだけ。
「……」
それが逆に不自然だった。
アルスたちは食堂の端の席に集まっていた。
「体調不良、ね」
ニーナが低く言う。
「担架、使う?」
「使うことはある」
ユンが答える。
「でも、布をかけるのは異例だ」
アルスの胸がざわつく。
「……隠したいから、だよね」
ユンは否定しなかった。
「仮に、だ。仮に死亡していたとして」
ユンは指を折る。
「① 臨界演術が作動しなかった」
「② 作動したが、致命に至った」
「このふたつのどちらかだが…」
ニーナが尋ねる。
「前例は?」
ユンは少し考える。
「ない。」
アルスの背筋が冷えた。
「臨界演術を無効化する方法って」
「それもない。」
沈黙。
「……」
アルスは、朝の光景を思い出していた。
垂れた腕。
力のない指。
生気のない目。
アルスは思わず立ち上がりかけた。
「やっぱり、やめよう。これは僕たちの手に余るよ。だから…」
ニーナはアルスを見る。
「アルスがやめても私はやるわ」
「ボクも知りたい」
アルスは唇を噛んだ。
ユンが続ける。
「被害者」
「最後に接触した人間」
「変わったことがなかったか」
「学園内なら噂は消えない。まずは…」
─────────
結局アルスは説得されてしまった。
中庭での話し合いのあと、三人はそのまま別行動になった。
ニーナはリコ達の様子を見に女子寮へ。
アルスは回廊に残り、人の流れを観察する。
ユンは一人で講義棟へ向かった。
─────────
ユンが向かったのは《ノウス学基礎》の講義室だった。
朝に演術の基礎を教えていた、あの若い男の教師。
時間は講義と講義の合間。
扉の前にはすでに数人の生徒が集まっていた。
「……やはりか」
ユンは小さく息を吐き、列の最後についた。
順番が回ってくるまでほとんど話し声はなかった。
皆、似たような顔をしている。
不安と好奇心と否定してほしい気持ち。
ようやく、ユンの番になった。
「先生」
教師は顔を上げ――
一瞬だけ、分かりやすくため息をついた。
「……君で、今日五組目だ」
疲れたような声だった。
「噂の件、ですね」
「はい」
ユンは正直に答える。
「臨界演術について、確認したくて」
教師は椅子に深く腰を下ろし、眼鏡を外した。
「結論から言うと」
机を指で叩く。
「不具合はない。学園の演術にも、結界にも、異常は確認されていない」
「では……」
「殺害は不可能です」
きっぱりとした断言。
「致命傷に至る干渉はどの経路であっても検知されます。直接でも、間接でも、遅効性でも」
教師は少しだけ声を落とした。
「仮に毒だとしても、臨界演術は作動する」
ユンは黙って聞いている。
「では、搬送された生徒は……」
教師は一拍、間を置いた。
「まだ“死亡”とは発表されていません。医師の判断待ちです」
「……ですが」
ユンが続ける。
「担架に布がかけられていました。隠そうとしたからでは?」
教師は眉を寄せた。
「それは事実」
否定はしなかった。
「混乱を避けるための措置だ。生徒が動揺するからね」
「……先生」
ユンは真っ直ぐに見た。
「臨界演術が作動しなかった可能性はないんですね?」
教師は即座に首を横に振った。
「ない。それだけは断言できる」
「この学園の“仕組み”は過去に何度も検証されてきた。崩れたことは一度もない」
その言葉には誇りが混じっていた。
「だから」
教師は眼鏡をかけ直す。
「今、君たちが感じている不安は“想定外の情報”によるものだ。事実が出揃えば、落ち着く」
そう言って、話は終わりだと示す。
ユンは一礼して講義室を出た。
────────────
廊下に出ると、さっきまでいた生徒たちもそれぞれ散っていくところだった。
皆、同じ答えを聞いたはずだ。
「異常はない」
「殺害は不可能」
「心配する必要はない」
(……理屈は、完璧だ)
ユンは足を止める。
臨界演術。
結界。
検知。
医師。
どれも、積み重ねられた信頼の上に成り立っている。
(それでも)
今朝、見た担架。
ユンは唇を噛んだ。
──────────
その頃、アルスは回廊の端に立っていた。
ある程度聞き込みをしたあと、人の流れをただ見ている。
「……ねえ」
小さな声。
振り返ると、知らない生徒が立っていた。
同じ学年くらいの男子。
「朝の、担架の件……」
アルスの胸が跳ねる。
「誰だったか、知ってる?」
その生徒は視線を伏せた。
「……名前は知らない。でも、男子寮の奥の部屋にいた人」
「大人しい人だった。目立たない感じ。演術は…上手くなかったと思う」
アルスの背中に冷たいものが走る。
「……それだけ?」
「うん…正直、話したこともない。さっきから色々聞いて回ってるみたいだったから…」
生徒はそう言って、去っていった。
アルスはその場から動けなくなった。
(大人しい)
(目立たない)
(演術が得意じゃない)
昨日、見た光景が重なる。
うずくまっていた生徒。
囲んでいた影。
(まだ、何も分からない)
でも。
噂じゃない。
数字でも理論でもない。
確かに、ここにいた誰か。
アルスは拳を握った。
───────────
夕方。
三人は再び中庭のベンチで合流した。
「……どうだった?」
ニーナが聞く。
ユンは首を横に振る。
「異常なし、殺害は不可能」
アルスも同じように首を振った。
「名前は分からない、目立たない人だったらしい」
三人の間に沈黙が落ちる。
「……全部」
ニーナが静かに言う。
「“ありえない”で揃ってるわね」
「だから」
ユンが言う。
「余計におかしい」
アルスはゆっくり頷いた。
(犯人が浮かんでこない)
(方法も分からない)
それでも。
この学園で、
誰かが倒れ、
担架で運ばれた。
その事実だけは消えない。
噴水の音が今日も同じように響いている。
だが、三人には分かっていた。
この音が昨日までと同じ意味では、聞こえなくなっていることを。
──────────
中庭の噴水は相変わらず一定の音を立てていた。
三人はその縁に腰を下ろしている。
ここ数日、自然とこの場所に集まるようになっていた。
「……ねえ」
沈黙を破ったのはニーナだった。
「最初に運ばれた子、やっぱり――」
言葉を選びながら続ける。
「前にいじめられてた子だと思う」
アルスははっきり頷いた。
「僕もそう思う。前に見たよ」
ユンは腕を組み、静かに聞いている。
「じゃあ」
ニーナの声に少しだけ強さが混じる。
「いじめてた側が怪しいんじゃない?」
ユンは即座に首を振った。
「……動機が弱い」
ニーナが睨む。
「弱い?」
ユンは言葉を探しながら続ける。
「恨みを持つのはいじめられた側だ。逆にいじめてた側が殺す理由がない」
アルスも頷いた。
「僕もそう思う」
ユンは続ける
「いじめは支配欲や優越感が目的だ。排除までは行かない」
ニーナは唇を噛んだ。
「でも……何か知られたとか……」
「それでもだ」
ユンは冷静だった。
ニーナは納得しきれない顔だったが、反論はしなかった。
次にユンが切り出す。
「じゃあ、別の線だ」
「被害者に強い恨みを持っていた人物、または過去にトラブルがあった人間」
三人は手分けして、聞き込みを始めた。
だが。
「……知らない」
「目立たない子だったよ」
「誰かと揉めてた印象はない」
返ってくるのは同じような答えばかりだった。
「むしろ……」
ある生徒は言った。
「何かあるとすぐ謝るタイプだった」
「敵を作るような人じゃない」
それはアルスの見た印象とも一致していた。
─────────
二日が過ぎた。
噂は消えなかった。
むしろ、形を変えて広がっていく。
「また死者が出るんじゃないか」
「学園、何か隠してるんじゃ……」
教師たちは忙しく動いていたが、
表向きの講義は続いている。
学園はまだ“壊れていない”顔をしていた。
──────────
そして、朝。
回廊を歩いていたアルスは人の流れが不自然に止まっているのに気づいた。
ざわめき。
低い声。
視線が一点に集まっている。
「……まさか」
嫌な予感が胸を締めつける。
人だかりの向こうから、担架が現れた。
一度目と同じ。
白い布。
静かな足取り。
今度は、誰の腕も垂れていない。
だが――
アルスはその違和感をはっきり感じた。
「……またなの?」
誰かの声が震えていた。
────────
その少し後、中庭のベンチにまた五人が集まっていた。
リアナは今回は泣いていない。
ただ、膝を抱えて黙り込んでいる。
「……共通点」
ユンが低く言った。
「二人とも、いじめられていた」
ニーナの指がベンチを強く握る。
「……偶然じゃない」
アルスも、ゆっくり頷いた。
一人目。
二人目。
どちらも、
声を上げられなかった生徒。
「……でも」
ニーナが言う。
「いじめっ子が殺した線は薄い。
恨みを持つ第三者も見当たらない」
「それに」
ユンが続ける。
「方法が分からない。二人とも、同じ“ありえない”状況だ」
沈黙。
噴水の音だけが耳に残る。
「……ねえ」
リアナが初めて口を開いた。
声は小さい。
「次は……誰?」
その問いに
誰も答えられなかった。
アルスははっきりと感じていた。
(これは事故じゃない)
(偶然でもない)
そして――
(止めなきゃいけない)
守られるはずの学園で。
死なないはずの場所で。
生徒が一人ずつ消えていく。
その事実だけが、
重く、確実に積み上がっていた。
───────────
アルスは、回廊を歩きながら、あの言葉を何度も思い返していた。
――「学ぶ姿勢と品位が重要だ」
――「時には、敵に立ち向かうのも品位だと思っているよ」
優しい口調。
穏やかな表情。
あの先輩が、そう言ったとき。
アルスの胸の奥に、冷たい疑問が残っていた。
──────────
中庭のベンチ。
アルスはニーナとユンに切り出した。
「……もしかしたら、だけど」
二人がこちらを見る。
「先輩がやったんじゃないかって」
ニーナが目を見開く。
「え?」
「……理由は?」
ユンは、感情を挟まずに尋ねた。
アルスは言葉を選んだ。
「“学園の品位”のため。先輩は立ち向かおうとしない人に苛立ちを覚えて…とか」
「だから――」
ニーナが息を呑む。
「……排除した?」
ユンは腕を組み、黙って考え込む。
「……動機としては、筋が通る。歪んでいるが、一応成立はする」
ニーナはすぐに首を振った。
「でも、あの人が?」
「誰にでも優しいし……」
「だからこそだよ」
アルスは言った。
「“正しいことをしている”って思い込んだら、一番危ないって言うし」
沈黙。
三人とも、納得しきれない顔をしていた。
────────
調査は、慎重に始めた。
「○年のあの先輩?」
「いい人だよ」
「困ってたら、絶対に放っておかない」
「成績もいい」
「先生からの信頼も厚い」
返ってくる評価は、どれも似ていた。
悪い噂はひとつもない。
ニーナは唇を噛む。
「……完璧すぎない?」
⸻
数日後の夕方。
空が、ゆっくりと茜色に染まり始める頃。
アルスたちは回廊の影から先輩を見ていた。
「……そろそろ、やめない?」
ニーナが小さく言う。
「これ以上、何も出なかったら……」
その時だった。
先輩が、いつもの寮への道を曲がらず、逆方向へ進んだ。
「……え?」
三人は息を潜める。
先輩は周囲を一度だけ確認し、講義棟の裏口へ入っていった。
「……怪しい」
ユンが低く言う。
三人は視線を交わし、無言で頷いた。
静かに、後を追う。
⸻
講義棟の中は、夜の気配が濃かった。
灯りは少なく、足音がやけに響く。
先輩はある部屋の前で立ち止まった。
──ノウス学 応用講義室。
鍵が開く音。
中へ入る。
「……行く?」
ニーナが囁く。
アルスは、一瞬だけ躊躇ってから、頷いた。
(もし、犯人なら)
(今しか、確かめられない)
扉をゆっくり開ける。
⸻
「……え?」
最初に声を漏らしたのは、ニーナだった。
部屋の中には――
若い女教師と、先輩がいた。
距離が、近い。
近すぎる。
先輩は教師の腕を掴んでいて、
教師の顔は真っ赤だった。
アルスの頭が一瞬で真っ白になる。
空気が想像していたものと全然違う。
怖さも、張りつめた感じもない。
ただ――
とんでもなく気まずい。
「ど、どうして……?」
先輩が恐る恐る言う。
「きみたちが、ここに……」
アルスは慌てて前に出た。
「すみません!完全にこちらの勘違いです!」
「……勘違い?」
アルスとニーナはパニックで手をバタバタさせて何かを言おうとしているが何も発せられてない。
仕方なくユンが気まずそうに説明する……
─────────
翌日。
中庭のベンチ。
噴水の音はいつも通りで日差しも、風も、変わらない。
「……いやぁ」
ニーナが言う。
「やっちゃったわね」
「うん」
アルスは苦笑した。
「しかも見ちゃいけないもの見ちゃった感じ」
ユンが眼鏡を押し上げる。
「仮説がキレイすぎた」
アルスは噴水を見つめながら、ゆっくり息を吐いた。
(良かった)
本当に良かった。
優しくしてくれた人が、
優しいままだったこと。
それだけで、
胸の奥が少し軽くなった。
でも。
(じゃあ……誰なんだ?)
その問いが静かに残る。
笑って流せる空振り。
それでも消えない違和感。
学園は今日も穏やかだ。
だからこそ――
この穏やかさの中で起きていることが、
少しだけ、不気味だった。
アルスはそう感じながら、
ニーナたちの後を追った。




