第5章 守る、それぞれ、全力で
実技講義 ― ノウス応用基礎 ―
実技講義の教室はこれまでとは少し雰囲気が違っていた。
天井が高く、壁際には距離を取るための印が刻まれている。
床は硬い石だがところどころに傷跡が残っていて、ここが“実践する場所”だと分かる。
アルスは壁際へ移動した。今日は見学だ。
「……広いなぁ」
「狭いと危ないじゃない」
ニーナは軽く肩を回しながら言う。
「アルスは今日は見学?」
「うん。使えないし」
そう言うとニーナは少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「きっと見てるだけでも結構面白いわよ」
講義が始まると前に立ったのは昨日とは別の教師だった。
落ち着いた声で淡々と話す。
「今日は基礎演術の“実技”を扱います」
「どれも初歩ですが、使い方次第で結果は大きく変わる」
その言葉にユンが小さく頷いた。
最初に呼ばれたのはニーナだった。
作業台の上に小さな金属片が置かれる。
ニーナは一歩前に出て、深く息を吸った。
指先をかざすと、
金属片が――
ふわり、と浮いた。
高くはない。
せいぜい、数センチほど。
だが、確かに床から離れている。
「……わ」
アルスは思わず声を漏らした。
前に見せてもらった時より確実に進歩している。
「安定しているわね」
教師が静かに言う。
「力を入れすぎない方がいい。“浮かせる”というより“離す”と思った方がいい。」
ニーナは集中したまま、ゆっくりと金属片を元に戻した。
「……ふぅ」
小さく息を吐く。
アルスはしばらくその場所から目を離せなかった。
次はユン。
「電気を。接触は不要」
ユンは眼鏡を直し、軽く息を整えた。
杖先にごく微弱な光が走る。
音も出ない程小さなもの。
「……安定している」
教師はそう言ったが、少しだけ視線を留めた。
「ただし、少し慎重すぎる」
ユンはすぐに頷く。
「気をつけます」
⸻
最後はリアナ。
「えーっと、風!」
元気よく手を振ると、
ふわっと教室に風が流れた。
強くない。
でも、気持ちいい。
「おお」
誰かが声を漏らす。
「悪くない」
教師もそう言った。
「制御は粗いが、感覚が素直だ」
リアナは満面の笑み。
「やった!」
⸻
見学している間、
アルスの頭の中はずっと忙しかった。
炎も、電気も、風も。
そして、ニーナが浮かせた小さな金属片。
(全部、同じ世界の中にあるんだよな)
灰の国で見てきた景色。
旅の途中で触れてきた価値観。
それだけで、
世界を分かったつもりになっていた。
でも。
(ここにはこんなのが普通にある)
────────────
講義が終わり、ニーナが戻ってくる。
「どうだった?」
「……すごかったよ」
アルスは素直に言った。
「ニーナのやつ、特に」
「浮かすやつ?」
「うん。なんか……」
言葉を探してから続ける。
「世界の仕組みをちょっとだけ触った感じがした」
ニーナは一瞬きょとんとしてから、笑った。
「いい言い方ね」
ユンも眼鏡を押し上げて頷く。
リアナは元気よく言った。
「そのうちアルスもできるって!」
アルスはもう一度、実技場を見渡した。
浮かぶもの。
流れる力。
見えないのに、確かにあるもの。
(世界、広いな)
そう思った瞬間、
胸の奥に、静かな高鳴りが残った。
――もっと、知りたい。
そう思った、その直後だった。
ドンッ!!
耳を打つ破裂音が実技場に響いた。
一瞬、空気が跳ねる。
「……っ!?」
アルスは反射的に振り返った。
視界の端で炎が弾けるのが見えた。
火花が散り、床を舐めるように火が走る。
「演術、失敗だ!」
誰かが叫ぶ。
煙が一気に広がり、視界が白くなる。
咳き込みたくなるような匂いが辺りに漂う。
その瞬間、アルスの胸が強く締めつけられた。
(工場の……)
バルアードの、あの時の光景。
機械の爆発。
悲鳴。
倒れた人間。
運ばれていく人々。
「……っ!」
考えるより先に体が動いた。
「アルス!」
ニーナの声が背中から聞こえたが、
アルスは止まらなかった。
煙の中へ駆け込む。
「大丈夫ですか!?」
炎はすでに弱まりつつあった。
だが、焦げた匂いが鼻を突く。
(間に合え……)
そう思った、その時。
煙の向こうで、光が見えた。
炎じゃない。
熱でもない。
淡く、安定した光。
次の瞬間、煙が流れるように晴れた。
そこにあったのは――
"球体"だった。
演術を暴発させた生徒を中心に、
完全な球状の結界が展開している。
表面は透明に近く、
触れれば弾かれそうな、静かな圧がある。
炎はそこに触れた瞬間、消えていた。
「……え」
アルスは足を止めた。
中にいる生徒は、呆然とした顔で座り込んでいる。
服は焦げていない。
肌にも、傷は見当たらない。
ただ、息を荒くしているだけだ。
教師がすぐに駆け寄る。
「大丈夫だ。安心しなさい」
結界に手をかざすと、
それは役目を終えたように、静かに消えた。
周囲がざわめくが稀にあることのようだった。
対照的にアルスは言葉を失っていた。
(守った……?)
あの爆発。
あの距離。
もし、工場だったら。
もし、バルアードだったら。
間違いなく、大怪我か――
下手をすれば、死んでいた。
ニーナが少し遅れてアルスの隣に来る。
「……見た?」
小さな声。
「うん……」
アルスは視線を結界があった場所から離せなかった。
「今のが……」
ニーナがはっきりと言う。
「この学園の“仕組み”みたいね」
アルスはゆっくりと息を吐いた。
昨日、学園長が言っていた言葉。
――致命傷を与えることはできない。
それは、規則でも、理念でもなく。
実際に、そこにあった。
「……やっぱりすごい」
ようやく、そう呟く。
怖さはなかった。
むしろ、胸の奥に広がったのは――
安堵だった。
「誰も……死ななかったんだね」
「ええ」
ニーナは頷く。
アルスは天井を見上げた。
演術が暴れても、
失敗しても、
取り返しがつかないところまでは行かない。
(守るための場所……)
さっきまで感じていた
“世界の広さ”に、
もう一つ、意味が加わった。
この学園はただ教えるだけじゃない。
壊れないための世界を、
形にしている場所なんだ。
アルスは、もう一度、強く思った。
――ここで、もっと知りたい。
今度は、迷いなく。
─────────
爆発のあとの実技場はすぐに落ち着きを取り戻した。
教師が中心に立ち、全員に聞こえるように声を張る。
「いいですか」
ざわめきがすっと引く。
「今のは失敗です。
そして――守られました」
教師は結界が消えた場所を一度だけ見た。
「この学園では致命傷に至る事態は防がれます。ですが」
一拍、置く。
「失敗が許されているわけではありません。
ここで慣れた失敗を学園の外で同じように繰り返したら、どうなるか」
誰も答えない。
「守る仕組みは外にはありません」
教師の声は落ち着いているが厳しかった。
「だからこそ、ここで学びます。
制御を、判断を、引き際を」
一人ひとりを見渡す。
「“死なない”から雑に使うのではない。
“死なせない”ために正確に使うのです。」
短く、はっきりと言い切った。
「講義を続けます」
実技はそのまま再開された。
─────────────
講義が終わり、実技場を出る。
廊下はさっきまでと変わらない。
笑い声も、足音も、普通だ。
アルスは少し不思議な気分だった。
(あんなことがあったのに……)
でも、それがこの学園の日常なのだと、なんとなく分かる。
ユンが歩きながらアルスに声をかけた。
「さっきの結界、気になったのか?」
「……うん」
ユンは少しだけ歩調を落とす。
「致命傷に近づくと、背中の中心から印が反応するんだ」
「印?」
ユンは自分の背中のあたりを指で示す。
「学園に入った時に刻まれる。何も感じなかっただろうが敷地に入った瞬間、刻まれるんだ。」
アルスは思わず背中をさすった。
「ぜんぜん、気づかなかったよ。」
「だろう?だが限界に近づくとそこから結界が広がる」
ユンは淡々と言う。
「自分を中心に、球状に。さっき見た通りだよ」
「……本当にすごいね」
アルスの言葉にユンは首を横に振った。
「すごいけど、万能じゃない。教師も言ってただろ」
「外では、何も守ってくれない」
その言葉が静かに胸に落ちる。
ニーナが少し前で立ち止まり、振り返った。
「だから、ここで学ぶ意味があるのよね」
アルスは頷いた。
爆発。
結界。
そして、教師の言葉。
(失敗してもいい、じゃない)
(失敗しないために、ここがある)
その考え方が妙にしっくりきた。
アルスはもう一度背中の中心を意識してみる。
何も感じない。
けれど。
そこには確かに、
“守られている理由”が刻まれているのだと、分かった。
学園の廊下を歩きながら、
アルスは静かに思った。
――ここで学べるのは、力だけじゃない。
力を、どう使わないかもだ。
──────────────
学園から少し離れた街道沿いに、古い宿があった。
石造りで、背は低い。
看板は風に揺れ、文字もかすれている。
豪華ではないが、旅人には十分だった。
ヴァルドとジークは二階の一室に腰を落ち着けていた。
窓からは遠くに学園の塔が見える。
夜の闇の中でも、その輪郭だけははっきりしていた。
「……でかいな」
ジークがベッドに腰掛けたまま言う。
「城かよ、ほんとに」
ヴァルドは窓際に立ったまま、外を見ている。
「学ぶための場所だ」
「にしちゃ、守りが堅すぎるだろ」
ジークは肩をすくめる。
「結界だの、印だの……」
「中にいる限り、死なねぇんだろ?」
ヴァルドは否定しなかった。
「致命傷は防がれる。だが、外では違う」
「だよな」
ジークは苦笑する。
「俺たちはいつも通りってわけだ」
───────────
宿の下階から、話し声が聞こえる。
酒の匂いと、煮込みの匂いが混じって上がってきた。
この街は平和だった。
だが、守られてはいない。
ヴァルドは剣を壁に立てかけ、手入れを始める。
刃を布で拭きながら、低く言った。
「中は、安全だ」
ジークはそれを聞いて、少しだけ黙った。
「……アルス、楽しそうだったな」
「知ることに、向いている」
ヴァルドの言葉は短い。
ジークは鼻で笑う。
それ以上は言わない。
──────────
しばらくして、ジークが立ち上がり、窓のそばに来た。
塔を見上げる。
「なあ。もし、あいつが……」
言いかけて、止める。
「……いや、いい」
ヴァルドは剣から目を離さず言う。
「長く居るべきだ」
「そうかもな」
ジークは軽く笑った。
「置いてかれる気分だ」
「置いていくつもりはない」
「分かってる」
ジークはそう言って、窓から離れた。
⸻
夜が更ける。
宿は静まり、外では風が鳴っている。
ヴァルドは最後に、もう一度だけ学園の塔を見る。
守られた場所。
壊れない世界。
「……」
何も言わず、灯りを落とした。
外は、いつも通りの夜だった。
剣が必要な世界で。
灯りを落としたあとも、すぐには眠れなかった。
ジークはベッドに仰向けになり、天井を見ていた。
「なあ、ヴァルド」
低い声。
「ひとつ、前から気になってたんだけどよ」
ヴァルドは椅子に腰掛けたまま、剣の柄に手を置いている。
「……なんだ」
「なんで、あいつと旅してる?」
間があった。
宿の外で、風が鳴る。
「善人だから、とか。恩があるから、とか。そういうのじゃないよな」
ヴァルドは、すぐには答えなかった。
しばらくして、口を開く。
「最初は、借りだった」
短い言葉。
「そうか」
ジークは頷く。
「でも今は違うだろ。借りだけなら、あんな顔しねぇ」
ヴァルドの指が、わずかに止まった。
「……」
ジークは続ける。
「危ない場面じゃ、前に出る。決断はあいつに委ねる…それに」
少しだけ笑う。
「学園の話をする時、ちょっと嬉しそうだった」
ヴァルドは鼻で息を吐いた。
「……あいつは。世界を、そのまま見ようとする」
ジークは目を閉じたまま聞いている。
「怖がりもする。だが、目を逸らさない」
それは、淡々とした評価だった。
「俺は」
「そういう人間を、あまり知らない」
ジークはゆっくりと上体を起こした。
「だから?」
「だからだ」
ヴァルドはようやくジークを見る。
「死なせたくないと思った」
一言。
飾りのない言葉。
「……へぇ」
ジークは少しだけ驚いた顔をして、すぐに苦笑した。
「お前が、そんなこと言うとはな」
「特別ではない。だが――」
ヴァルドは視線を逸らす。
「あいつが助けを呼ぶ時も、あいつの心が折れるときもそばに居てその選択を尊重する。それでいい」
しばらく、沈黙。
やがてジークが言う。
「ならさ。学園に置いてくのも、正解か」
「そうだ」
即答だった。
「ここは、守られている。俺より、確実に」
ジークはベッドに戻り、天井を見上げる。
「……ちぇ。なんか、悔しいな」
ヴァルドは何も言わなかった。
ただ、灯りの消えた部屋で、
学園の塔が見える方向に、静かに視線を向けていた。
守られる場所と守るしかない場所。
その違いを、噛みしめるように。
夜は、深かった。




