第4章 作戦開始
翌朝。
ルグーナの市場はまだ太陽が昇ったばかりだというのにすでに賑やかだった。
パン屋の鐘が鳴り、屋台の鉄板が熱を帯び、
通りには甘い匂いや香辛料の匂いが入り混じる。
そんな中──ニーナは胸を張っていた。
左手には雑貨屋で買った “なんか杖っぽい棒”。
「どう? ほら見てアルス、遠目にはそれっぽいでしょ?」
アルスは棒を凝視する。
「……いやどう見ても木の枝だよね?
加工すらしてないよね?」
「大事なのは“雰囲気”よ、雰囲気!」
(完全に盗賊を舐めてるなぁ)
ニーナは棒をぶんぶん振りながら歩き、
アルスはその後を緊張した表情でついていく。
ジークは果物屋の影に隠れ、
果物を齧りつつ視界を広く取っていた。
「棒振るのやめなよ。不自然すぎるよ」
「分かってるわ!」
通りの反対側では
ヴァルドが路地の入口に静かに立ち、気配を完全に消していた。
─────────────
ニーナは棒を腰に下げ、アルスと肩を並べて歩く。
「アルス、もっと気楽に! 自然に! スマイル!」
「む、無理だよ……!」
人混みは絶えず動いていた。
肩が触れ、袖が擦れ、匂いと音が渦のように混ざる。
アルスは人混みに意識を集中させていた。
(……いつ来るのか……
気づけるのか……僕なんかに……)
その時だった。
スッ──
ほんの一瞬。
腰に下げた“偽物の杖”が揺れた。
「ニーナ……今……!」
ニーナの表情が一瞬で鋭くなる。
「来たわね!」
ズザッ──!!
人混みの足元を、
黒い影が滑るように走った。
小柄で、細く、黒い布のフードを深く被っている。
普通に見ていたら気づかない。
でも4人の視線はその一瞬を逃さなかった。
ジークが叫ぶ。
「右! 抜けたぞ!」
「アルス、追いかけるわよ!」
影は屋台と屋台の隙間をくぐり抜け、
市場の喧騒を切り裂くように駆けていく。
アルスとニーナが追いかける。
人と人の間をくぐり抜け、影はさらに細い路地へ飛び込んだ。
「速い……!」
「でも追える! まだよ!」
ジークは大通りを横切り、
影の進行方向を読んで迂回する。
「左の角に出るぞ!」
そして──
影が次の角を曲がった瞬間。
そこには、
ひとつの大きな影が立っていた。
「終わりだ。」
がしッ──!
人影は完全に空中で掴まれた。
「うわぁっ!? な、なんだ!離して!!」
暴れる腕。
高くて幼い声。
アルスとニーナが駆け寄り、息を整える間もなくヴァルドの腕元へ目を向けた。
「つ、捕まえた……!!」
「ヴァルド、さすがだよ……!」
ヴァルドは軽く頷き、
掴んだ“影”のフードをずらした。
現れたのは
怯えた表情でも、悪びれた表情でもなく。
幼い。
本当に、幼い。
まだ10歳にも届いていなさそうな、
小柄な子どもの顔だった。
「…………子ども……?」
ジークが追いつき、その顔を見た瞬間、
口の中で小さく舌打ちした。
「あー……やっぱりか。」
黒いフードを剥がされた“影”は必死にもがいて叫んだ。
「離して!! 離せってば!! なんで掴むんだよ!!」
ニーナは怒り半分、呆れ半分で叫び返す。
「あなたが盗んだからでしょ!!偽物だけどね!!!」
「……えっ、偽物!?」
子どもは一瞬だけ動きを止めたがすぐまたじたばたと暴れ出す。
「関係ない!放せして!! 放せったら!!」
アルスは困惑のまま、その小さな腕と小さな怒りを見ていた。
ジークが前に出て子どもと視線を合わせる。
「坊主、話はあとでな。ここじゃ落ち着けねぇだろ。」
「はな……話なんか、ないよ!」
「うんうん。宿でゆっくり聞かせてもらう。」
ジークの声は優しいが逃がす気ゼロだった。
ニーナは腕を組んで言う。
「杖の在処、聞かせてもらうからね。」
ヴァルドは無言で子どもを片手で抱えたまま、
市場の人混みを抜けて歩き出す。
子どもはまだ暴れているが、ヴァルドの腕は岩のように動かない。
アルスはその背中を見ながら心の中にモヤモヤが広がっていく。
黒いフードの子どもは何かを言いかけては飲み込むように黙り込んだ。
アルスの胸に何かがひっかかった。
────────────
宿に着くとジークは子供を部屋に入れた。部屋の中央に椅子と机。
そこに子どもが座らされていた。
両足は小刻みに揺れ、
視線は床に落ちたまま。
ニーナは正面に座る。ヴァルドは壁にもたれ掛かり、アルスは子供の後ろにいた。ジークはニーナの横に立つ。
あくまで大人ではないニーナが主導。だがジークが自然に操作する。
これでプレッシャーを与えすぎず、でも“隠し事はできない空気”を作る、ジークのやり方だ。
ニーナが口を開く。
「はい! じゃあ話して!」
「ニーナ、優しくな。相手は子どもだ。」
「むぅ……わかったわよ……!」
子どもはニーナの声に肩を跳ねさせたが、
ジークには逆らえない雰囲気を感じていた。
ジークは子どもと目線を合わせる。
「まず……お前、名前は?」
「言わない……」
「はぁ、 なんでよ!?」
「いいんだニーナ。“守りたいもの” があるってことだ。」
子どものまぶたが震えた。
「情報を与えたくないんだな。
それか…誰かから言うなと言われたか?」
「……ちが……っ!」
「違わないな。それ、顔に全部出てるぞ。」
ニーナが話す隙を見つけたように差し込む。
「顔に出てるって言われてるわよ!」
アルスは見ていて胸が痛くなる。
⸻
「じゃあ質問を変えよう。昨日、お前の仲間が杖を盗んだな?」
子どもはハッと顔を上げた。
「ぼ、僕は……!」
「お前は杖が偽物だって気づかなかったんだ。杖が高級なもの、価値があるものと知ってる奴が見るからに安そうな棒を杖と間違えるか?」
子どもは唇を噛み、視線をそらした。
「やっぱり仲間がいるのね……!」
ジークはあくまで落ち着いて続ける。
「お前ひとりじゃない。そして――“お前の上に誰かいる”。お前を操ってる奴が。」
子どもは震える声で叫ぶ。
「違うっ!!操ってるんじゃない!!僕たちを助けてくれたんだ!!」
ジークは“そこ”を待っていた。
「……“僕たち”?」
子どもは動揺して口を押さえる。
「仲間がいるんだな。どこにいる。」
「言えない」
「“言わない”ではなく“言えない”か。
あーなるほど。お前のお仲間は悪い自覚はあるから口封じしてるのか。」
「ち、違うっ……!!1番は……1番は絶対に正しいんだ!!」
ついにが出た。
「1番……?」
「なるほど。そいつがリーダーだな。」
子供が目を見開く。
ジークはゆっくり息を吸い、柔らかくまとめに入る。
「坊主。お前がここで黙ってても俺らは帰さない。
向こうは“お前が帰らない理由”を探り始めるはずだ。」
「……!」
「俺たちはお前を傷つけたいわけじゃない。
ただ、お前たちが何を信じ、どういう暮らしをしてるのか知りたい。」
ジークは押し付けず、
選択肢を与える声で言う。
「案内してくれ。“1番”のところに。」
子どもはしばらく震えていたが、
やがて――
「…………ついてきて。」
その小さな声は、決して信頼ではない。
ただ、追い詰められた結果の“選択”だった。 4人の表情が一斉に変わった。
ジークは満足そうに軽く頷いた。
ニーナは表情には出さず密かに思った。
(こわぁ〜)
───────────────
路地に入ると、昼の喧騒が嘘のように静かになった。
子ども──先ほど捕まった少年は、俯いたまま小さく歩幅を刻む。
ニーナが前のめりに覗き込む。
「ねぇ。“1番”って何なの?リーダーなんでしょ?」
少年は一瞬だけ振り向き、警戒したように眉を寄せた。
「……言わない。」
「またそれ!? なんで言えないのよ!」
「ニーナ、少し落ち着け。」
ジークが苦笑しながら口を挟む。
そして、視線を子どもに向けて静かに尋ねる。
「じゃあ……“お前は何番なんだ?”」
少年の足が一瞬止まった。
「え、番号……?」
「番号で呼び合ってるの?」
子どもは迷った末、ぽつりと口を開いた。
「……僕は4番。」
「……よ、4番……?」
妙な呼び方にニーナが素直に困惑する
子どもは視線を逸らしながら続けた。
「僕たち……みんな……名前がないから。本当の名前なんて、覚えてない。」
アルスの胸がズキッと痛む。
「覚えてないって……どういう……?」
子どもは肩をすくめるようにして言った。
「“名前なんて必要ない”って……あの人達が言ったから。あの人達がくれた番号。」
「名前より……番号が大事……?」
納得できないというように眉をひそめる。
ジークは一歩引いて観察しながら問いかけた。
「それ……お前たちにとっては誇りか?」
子どもは、迷いなく頷いた。
「うん。僕たちの“証”だから。
4番は4番で……2番は2番で……
みんな代わりなんかいない。」
その表情には純粋な誇りと同時に、
“植え付けられた思い込み”が混じっていた。
ニーナは思わず口を押さえる。
「……そんな言い方、なんか……悲しい……」
少年はその反応にむっとして言い返す。
「悲しくなんかない!
僕たち……強いんだ!
“1番”がそう言ったんだ!」
ここで初めて、
少年の声が強くなった。
ジークはわざと無表情で聞く。
「その“1番”ってのは……強いのか?」
少年の顔が一気に明るくなる。
「強いよ!
誰より速くて、誰より優しい!
僕たちが寒い時は隠れ家を探してくれて、
ご飯がない時は探してくるし……!」
「……いい子、じゃん……」
「うん!1番はすごいんだ!
だから……正しいんだ……あの人達たちが教えてくれた通り……
“1番は、みんなを救う子だ”って……」
アルスはその言葉に胸を締めつけられる。
ヴァルドが低く、短く言う。
「……その“あの人達”というのは誰だ。」
少年はピタリと口を閉じた。
「言えない。」
ジークは深く息をつく。
「言えない、ね。」
少年は反論しようとしたが、言葉が詰まる。
路地の奥の曲がり角に差し掛かり、
少年は指を震わせながら指し示した。
「……そこを曲がれば……みんながいる……」
語尾は弱々しいが、
その目には確かな“信仰”が宿っていた。
1番という子どもへの。
そして“あの人達”への。
ジークは静かに睨む。
ニーナは怒りで拳を握る。
アルスはただただ痛ましさを覚え、
ヴァルドは無言のまま歩みを続ける。
その先に、
“1番”が待っている。




