第2章 セルア、到着
村の入り口には、背の低い風車がいくつも並んでいた。
羽根は細い木で作られ、ゆっくりと風を受けて回っている。
まるで村全体が、風の通り道になっているようだった。
畑のそばで作業していた男が、二人に気づいて顔を上げた。
旅人を見るのは久しぶりらしく、驚いたような目をしている。
「おや、珍しいな。遠くからかい?」
アルスは少し緊張しながら頷いた。
「はい。……通りすがりです。」
「そうか、そうか。なら休んでいくといい。
風の国、セルアへようこそ!」
男はそう言って笑ったが、その顔にはどこか疲れがあった。
ヴァルドはそれに気づいたが何も言わなかった。
少し遅れてアルスが口を開く。
「何か、困りごとでもあるんですか?」
「いや……まあ、大したことじゃないさ。」
男は曖昧に笑い、少し声を潜めた。
「何日か前から、風が止まっちまってね。」
アルスは思わず空を見上げた。
確かに、雲はあるのに流れていない。
「風が……止まるんですか?」
「そうさ。こんなことは何十年ぶりだ。
風が怒り“風の井戸”を止めたって、長老たちは言ってる。」
ヴァルドは黙って耳を傾けていた。
「その“風の井戸”というのは?」
「村の南にある祠だよ。
風を通す道がそこにあって、毎朝祈るのがこの村のならわしなんだよ。
でもこの三日ほど、風がまったく吹かなくなってね。」
アルスは祠という言葉を聞いて、そっと息をのんだ。
風が止まる――そんなことが本当に起こるのか。だがすぐに風の祠というものへの興味が追い越す。バルアードにも祠はあるがあくまで安全の祈りの対象でそれ自体が何かをする訳では無い。
「その風の井戸?見てみたいです!」
男は少し驚いた顔をして、それからゆっくりと頷いた。
「もちろん構わないよ。ただ、今日は遅いから明日にした方がいいかもな。
風が止まってからの夜は音がなくて……妙に静かなんだ。」
「音が、ない?」
アルスは思わず首をかしげた。
「ああ。虫の声も、木の葉の揺れる音も。
まるで風が世界を連れて行ったみたいでね。」
ヴァルドが軽く頷いた。
「宿はあるか。」
「うちでよければ泊まっていきな。
妻も娘も客人好きだ。あんたたちの話を喜ぶよ。」
男は笑い、二人を家へ案内した。
風のない村を歩くあいだ、空気はどこまでも澄んでいて、自分の足音だけがやけに大きく響いた。
宿に着き、アルスたちは村人の家族に迎えられた。
家の中は、外よりも少し暖かかった。
炉の火が小さく揺れている。
湯気の立つスープの匂いに、アルスの腹が鳴った。
「こんな田舎に旅人とは珍しいね。」
女主人が笑いながら椀を置いた。
「風の国って、本当に風を信じてるんですか?」
アルスの問いに、娘が少し首をかしげた。
「信じてるというか……風は、話すものよ。」
「話す?」
「そう。風が怒れば強風で荒れるし、風が泣けば嵐が来る。
だから私たちは風に謝ったり、歌ったりするの。」
アルスは目を瞬かせた。
「バルアードじゃ、風の音なんて聞こえなかった。」
娘は少し笑って、「きっと風が息を潜めていたのね。」と言った。
その言葉が、妙に胸に残った。
炉の火の音だけが小さく響き、
外では何一つ音がしなかった。
風の国なのに、風の音がない夜だった。




