結婚紹介所の所長が、お隣の結婚相談所の所長の私の元に、毎日飯を食わせてくれとやって来る
「昼飯食わせてくれ」
そう言いながら、今日もあの男は私の事務所へやって来た。
「生憎だけれど、うちは定食屋じゃないのよ。他へ行ってちょうだい」
「定食いいねぇ。ああ、煮魚定食食いてぇな。作ってくれよ」
「残念だけど、この世界には味醂も醤油もないから無理だわね。魚が食べたいなら、三丁目の食堂で青魚のフライでも食べたらいいわ」
「君が作ってくれよ。君のフライが一番美味いから。昔はよく作ってくれたよな」
うちの隣に事務所を構えている男は、毎日懲りずに、馴れ馴れしくも私に昼食を作れと言ってくる。
しかし、残念だけどこの世界に来てまであの男のために、料理を作ってやる気はしない。
そもそも私のフライが美味しかったですって! よく言うわ。
鯵のフライが食べたいと言っておきながら、友人と飲み歩いてベロベロに酔っ払って帰ってきて、テーブルの上の料理を床に払いどけてそのまま寝ちゃったわよね。あれから作ったことなどないわ。
あの時、どんな気持ちで床に散らばった夕食を片付けたと思っているのよ。
二度目のときは、そんな庶民的な食べ物なんて俺様の口に合わないって、愛人と高級レストランから帰ってきてからそう宣ったわよね。
あの後すぐ離婚したけど、それ以降、鯵のフライはトラウマもので、作るどころか食べる気にもならなかったわ。
もしそれを覚えていてフライが一番おしかったなんて言っているのだったら、その口に腐った魚を突っ込んでやるわ。
「なんでただのお隣さんのために食事を提供しなくちゃいけないのよ。しかもタダで。
さっさとお帰りください。本当にしつこいわね」
「そんなにつれないことを言うなよ。家の修理や庭の手入れをしてやっているじゃないか。その駄賃として残り物を恵んでくれたって、バチは当たらないだろう」
「やってくれって頼んでいないわ。勝手にあなたがやっているんじゃないの。
お店に行くお金がないのなら、お向かいのサンディーさんに頼みなさいよ。喜んで歓迎してくれるわよ」
「いや、飯は食わせてくれるかもしれないが、却って気力精力体力を奪われそうだから、彼女は御免こうむりたい」
「何贅沢なこと言っているのよ。娼館へ行くお金もないくせに」
「金はある。君の商売のおこぼれのおかげで、うちの商売もそこそこ儲かっているからな。
だが、いくら金があってもそんな所へ行くつもりはないよ」
「ああ、プロじゃなくて素人の若い娘が好みなのね? 変わらないわね。
良かったわね。今回も美男子の上に口八丁、手八丁に生まれてきて」
私は腕を組んで、目の前の男を思い切り睨んでやった。
最初の夫や二度目の夫、そして今回の目の前の男も容姿がかなり整った顔をしていた。タイプは全く違っていたが。
かつて時代と共にその呼び名は二枚目、ハンサム、イケメンと変わったが、この世界では一体なんというのだろうか。気にしたこともなかったけれど。
しかし、同じ美男子でも今回が一番派手な顔付きをしているのではないだろうか。
何せ以前は、その他多くの人々と同じく黒髪茶色の瞳だったが、今回は鮮やかな赤い髪にエメラルドグリーンの美しい瞳をしている。
私はこの世界でも平凡な茶髪に茶色の瞳だったが。
しかもこの男は以前とは違い、今回は痩せマッチョだ。なんでも半年前まで王城で近衛騎士をしていたらしい。
かなりモテていたらしく、隣の事務所には昔馴染みらしい貴族のご令嬢達が何人も押しかけて来ていたし。庶民の結婚紹介所だっていうのに。
公爵家の紋章入りの馬車が停まっているのを見たときは、うちのお客さん達と一緒に目を剥いたわ。
こんな下町の狭い裏通りにあんな大型の馬車停めるなんていい迷惑だと。
そんな人気者が何故こんなところで結婚紹介所をやっているのよ。
やって来るお客なんてあなた狙いの女性ばっかりで、紹介する男性なんていないんじゃないの?
まあ、最初の夫のように、もし妻子より友人や同僚を大切にするような義理人情に熱い性格のままなら、男の知人だって多いかもしれないけどね。
ああ、 この世界で初めてこの人を見たのは、学園卒業間近の春祭りの時だったけれど、大勢の女性に囲まれていながら疎ましそうな顔をしていた。それはおそらく友人と一緒にいたからだったと思う。
そう考えると、目の前の男は最初の夫に似たタイプなのかもしれない。
まあ、そんなことはともかく、正直なところ彼の商売が上手くいっているのかそうではないのかはどうでもいいが、こうやって毎日のように食事を漁りに来るのは迷惑だった。
私のところへ来なくたって、いくらでも手料理くらい食べさせてくれる所はあるでしょう。
男に利用されるのはもうたくさんなのよね。
先ほどの私の言葉に男は気不味い顔をした。ああ、その反応から察すると、やっぱりあちらもフライの記憶はあったみたいだわ。でも、どっちの時の記憶なのかしら?
そう。私はこことは違う異世界で生まれた。そこで一度死んだ後で再び生まれ変わり、そこでまた死んだ後、なんとこの世界に転生した。つまり今私は、同じ人格で三度目の生を生きているのだ。
そして彼もまた私と同じように、複雑で面倒な運命を辿っていると思われる。
思われると推測で言っているのは、本人にそのことをまだ確認していないからだ。
出会った瞬間に何故か、その男が勇一郎……勇太だと分かった。容姿や声、話し方までが全く違っていたのに。番は会うとすぐ分かるというけれど、それと似たようなものなのかしら?
前世で読んだ本の中では、番は匂いで分かるという話もあったが、私の場合は匂いではなかった。そんなに鼻が利くわけでもないし。
まさに心と心が摩訶不思議な力で反応し合った、という感じだったと思う。あの男も私を見て喫驚していたから。
でも私はもう彼には関わりたくなくてその場を逃げ出した。大声で私を呼び止めようとしたその声を無視し、一緒にいた友人達を祭り会場に残して。
そしてそれから一年くらい経った頃に、私の結婚相談所の隣の建物に、その男は結婚紹介所の看板をぶら下げたのだ。
それ以降、私達は普通のご近所付き合いを続けて半年になるのだが、今まで当たり障りのない話しかしてこなかった。
ただ、会話の中に無意識にちょくちょくこことは違う異世界の話が出てきていたが、互いにそれをスルーするのが暗黙の了解となっていた。
何故さっさと、前世のことを確かめなかったのかというと、彼がどこまでの記憶を持っているのかがはっきりしなかったせいだ。
どこまで口にしていいのかが不明だったので、深く突っ込むわけにもいかなかったからだ。本人が覚えていないことまで責めるような真似はしたくなかった。
そして彼は私に対して罪悪感があったのだろう。皮肉交じりの私の言葉にも一切言い返してはこなかった。
そのせいで私達は、ずっと様子見をしているような状態だったのだ。
ところが二か月ほど前から、急に彼からの接触がしつこくなってきて困っているのだ。
だからこの際、彼にどこまで記憶があるのかを確認して、もし私と同様の記憶があったのならば、迷惑だからもう関わらないで!と今日はっきりと告げるつもりだった。
でも、私がそう口にする前に男が真顔になって
「なあ、今困っていることはないか?」
と訊いてきたので、私はそのタイミングを逃してしまった。
「困ることって?」
「誰かに嫌がらせをされているとか、付きまとわれているとか、脅されているとかさ」
私はジト目になって目の前の男を見た。すると男は慌てて俺以外でだと喚いた。
そもそも俺は嫌がらせなんてしていないし、脅してはいないと。
たしかに脅かしてはいないけれど、付きまとっているし、嫌がらせはしているわよね?
毎回断られるのがわかっているのに、こうして押しかけてきては飯食わせろと要求してくるのだから。
「この前もそんなことを聞いてきたわよね。なぜ同じことばかり聞いてくるの?」
「君に恨みがあって、痛い目に遭わせてやる、と酒場で管を巻いているやつがいるって、知り合いから聞いたから心配しているんだよ。本当に裏はない。何か心当たりはないのか」
恨み? 私に? 私は人に酷いことをした覚えなどないのだけれど。前世も今も真っ当に生きているつもりだし。
あんなに情けなくて惨めな思いをしたのだから、もし生まれ変われたら、次こそ好きに生きてやると思いながら死んだ……はずだった。
それなのに、前回も今回も既にクソ真面目な性格が出来上がった後に前世を思い出した。そのせいで、今さら性格の路線変更はできなかった。
とはいえ、前回は親の言いなりに結婚するのが嫌で、自分が選ぶと宣言した結果、クズ男に騙されて不幸な結婚生活を送った。
だから、今回はその結婚すること自体を拒否して、親から縁を切られた。
私は夫運だけでなく、今回は家族運にも見放されたらしい。
しかし、今回、唯一有り難いのは友人知人に恵まれたことかしら。こうして結婚相談所の仕事ができるのも皆の協力のおかげだしね。
そう考えると、目の前の男、いやその生まれ変わる前の男達のおかげでもあるのかしら?
二度も結婚に失敗したおかげで、結婚相手として絶対に選んではいけない男、避けるべき嫁ぎ先の家庭環境を認識できるようになったのだから。
その記憶がなかったら、まだ二十歳になったばかりの未婚の女が結婚相談所なんかやっていても、客なんて来なかっただろう。
そしてとてもじゃないが、女一人、こうして家を出て生きていくなんてことはできなかったわよね。
まあ、最初のうちは友人達が、私には予知夢が見えるなんていうホラを陰で吹聴して回っていた。
そして積極的に客まで紹介してくれていたのだ。そのお客さん達のクチコミのおかげで、この結婚相談所の認知度が上がったのだ。
おかげで、今では誰も最初のホラ覚えていないみたいでほっとしている。
というか、今では別の噂がまことしやかに流れている。
「サチエリアンヌ結婚所の所長は、若そうに見えるが、実は人生を何度も繰り返している魔女で、人生経験は普通の人間の二百年分あるらしい」
少し大げさだが、まったくのデタラメではないので、否定せずに苦笑いしている。
正確に言えば、最初の人生は三十五年、生まれ変わった人生は二十八年、そしてこの異世界に転生して二十年経ったのだから、八十三年生きていることになっている。
そう考えると、私が生意気言っても許されるかしら? かなり経験豊富な人生を生きているし。
たとえ許されなくても、すでに言いたいこと言ってしまっているのだから今さらだけど。
ちなみにサチエリアンヌ結婚所という名は、私の三つの名前を繋げたものだった。
幸恵、恵里、リアンヌ……
これまでの自分をなかったことにしたくなかったから。
「なあ、本当に心当たりがないのか?」
「そうねぇ、強いてあげれば実家の隣に住む幼なじみか、あるいはその家族かしらね」
「なんで恨まれていると思うんだ?」
「親同士が私とその幼なじみの意思を無視して勝手に結婚話を進めていたのを知って、私がそれを拒否したからよ」
「政略結婚だったのか?」
「そんなわけないじゃない。お貴族様やブルジョアな平民じゃあるまいし。
うちは下町の雑貨屋で、隣はパン屋よ。家族ぐるみで付き合っていたのよ。
うちには弟が二人、向こうには下に弟や妹が四人いたのよ。
それで両家とも親が忙しかったから、私と彼がまとめて下の子達の面倒みていたのよね。
だから親達からすれば、このまま私達二人が結婚すれば都合が良いと思ったのでしょう」
「その幼なじみのことを嫌いだったのか?」
「嫌いじゃないわよ。だけど、異性としては考えられなかったわね。生まれたときから家族って感じだったから」
「婚約者になれば意識も変わったんじゃないのか」
「あなたもうちの親みたいなことを言うのね。でも、好きなら多少の苦労も頑張ろうという気になるけれど、そうでもない相手のために何故わざわざ苦労しなくちゃいけないの?
お偉い方々ならその恩恵を受けているのだから、政略結婚も致し方ないかもしれないけれど」
「その幼なじみと結婚したら苦労するのかい?」
「当たり前じゃない」
私はこの能天気な男の疑問に呆れてため息を吐きながらそう言い捨てた。
「あなたは私の最初の夫と同じね。まるで嫁の苦労を分かっていない」
「えっ?」
男が瞠目した。
「嫁いできたのだから、俺の家族はお前の家族だと思って大切にしろ、って言って、自分の幼い三人の子育てだけでも大変だったのに、義祖父母や義両親の面倒まで見させたのよ。
それでいて、私の親が体調を崩しても見舞いに行かないどころか、私にも行かせなかったの。
私の家族なら夫の家族でもあったはずじゃないの? でも、その認識はなかったみたいね。
そして、私の具合が悪くなったときも少しだけ子供達を見ていて欲しいと懇願したのに、夫も義両親も甘えるなの一言で終わり。
私が倒れて病院へ運び込まれた時は、すでに手遅れの状態だったわ。
もう少し早く診察していたら助かったのにと医者に言われたわ。
私の死後、子供達がどうなったか、それだけが心残りだったわ。でも、何もできなかった。
誰か教えてくれないかしらね、あの子達がどうなったかを……
だから、最初の生まれ変わりの時は恋愛結婚だったけれど、子供は産まなかったわ。子供にまた同じ苦労をさせたくなかったから。
案の定、夫は若い女と浮気したので離婚したわ。本当に子供がいなくて良かった。
その後夫に子供ができたかどうかは知らないわ。興味がなかったというより、離縁してたった半年で私は事故死してまったから」
「・・・・・・」
「そして何の因果かまた異世界に生まれ変わったので、今回は結婚すること自体を止めたのよ。今度こそ幸せになるために。
それなのに、何故また義家族のために身を粉にして働かなきゃいけないの? その上子供まで産めと強制されたら、最初の人生とまるきり同じじゃない。子供まで不幸にするわ。
あなたは私がまたそんな人生を送ればいいと思っているわけ?」
この男は何度生まれ変わっても価値観が変わらないらしい。
まあ、私や私の知人に関わらなければ、あなたが別に変わらなくたって構いやしないけれどね。
男はぷるぷると身体を震わせている。怒ったのかしら。
私は友人が開発した最新式虫除けスプレーを手にして背中に隠した。
この男に言われるまでもなく、女一人の商売は危険が伴うと、学院時代の発明家の友人が、色々と防犯グッズを作ってくれたのよね。
その際前世の記憶でアドバイスしたことに感謝されて、毎回無償でそれらの試作品を提供してもらっている。まあ、テスターの役目も担っているわけだ。
さて、先週出来上がったばかりのこの虫スプレー、今日お試しができるかしらね?
最初の人生の時、彼の機嫌を損ねて何度か殴られたから、その記憶が蘇ってブルッと体が震えたけれど、歯を食いしばって身構えた。
そして男の動向を窺っていると、彼はその整った顔を情けなく歪めて涙を溢れさせていた。
「すまない、幸恵、平気で女性を、妻を殴っていたなんて信じられない。
いくら戦前の男尊女卑の時代だったとはいえ、男の風上にも置けないクズ野郎だった。
何度生まれ変わっても、君が俺に怯えて避けるのも当然だと思う。
俺は君の墓の前で、もし死んで次に生まれ変われたら、君を探し出して、土下座し、謝罪し、同じ過ちを繰り返さないと誓ったんだ。
それなのに、前回そのことを思い出したのは、君が交通事故で亡くなったと聞いた時だった。
君を幸せにすると誓って結婚したのに、バブル景気でいい気なって羽目を外して、浮気した。
君が出て行った後、死ぬほど後悔した。そして謝ってやり直そうと決意したところだったというのに。
その上、君の死のショックで前世を思い出し、同じような過ちを犯してまた死なせてしまったことに愕然となった。そして絶望し、すぐに君の後を追ったんだ。
最初の人生のときとは違って子供がいなかったから、何の未練もなかったし」
えっ?
あまりにも衝撃的な告白に私は言葉が出なかった。
あの夫が後悔していた?
謝罪しようとしていた?
やり直したがっていた?
本人も言っているとおり最初の夫は男尊女卑、唯我独尊、家庭より仕事や友人って人だったのに。
生まれ変わったときも三高を鼻にかけて好き勝手に生きていたのに。
まあ、生きていた時代背景の影響であんな感じになったのかもしれないけれど、同じ時代の人が皆夫のようだったわけじゃない。
つまり、本人の資質の問題だったのだから、あの夫達はどうせ反省もせず、ずっとあのまま人生を終えたのかと思っていたわ。
「リアンヌさん、俺は君がマックスという男と絶対に結婚した方がいいと思った訳じゃないんだ。
ただ、前世の俺と違って真面目な働き者で、優しい男だという評判だったし、話をしたら、本当に君のことが好きみたいだったから、昔のトラウマで断ったのなら勿体ないと思ったんだ。
俺はただ、何よりも(自分の思いよりも)君の幸せを望んでいるから」
なにそれ。私の幸せを何よりも望んでいるですって! 赤の他人なのに大きなお世話よ。前世の罪滅ぼしのつもり? それなら放っておいてちょうだい。
この世界でも的外れな思い込み男に関わられたら、ろくなことにならない気がするわ。
「何故あなたがマックスを知っているの?」
「君がここを開設した頃、俺は騎士をしていて、この辺りをよく巡回していたんだ。
それで何度かこの辺りをうろついている奴を見かけていたんだ。だから、不審者かと思ってある日職質したんだ」
それがマックスだったというわけね。やだ、あいつ、そんなストーカーみたいな真似をしていたの?
あれ? 不審者というのなら、あなたも同じじゃないの。巡回でこの辺を回っていたですって? そんなはずないでしょう。半年前まであなたは近衛騎士をしていたでしょ。
あなたは何も言わなかったけれど知っていたわよ。だって
「ユーリス様ってば、将来有望な近衛騎士で人気が高かったのに、どうして突然辞めてしまったのかしら。悲しいわぁ〜」
と、色々なお客様から散々聞かされたもの。
彼に迷惑だと出禁にされたご令嬢方が、彼の姿見たさにうちの事務所にたくさん来ていたからね。
まあ、相談料さえ払ってくれるのならどんな目的だろうとお客様だし、こちらは出禁にする必要もなかったわ。
「彼は、君が家を出て行ってしまって心配だから、様子を見に来ているだけだと言っていた。
女の一人暮らしで何か困っていることがあるかもしれないって。
君の家族や彼の家族もみんな心配しているからって言っていたよ」
それを聞いて私は笑ってしまった。
「みんなが私を心配しているというのは嘘よ。ただ私がいなくなって困っているだけよ。
タダで子供の面倒をみて、店の手伝いをする人がいなくなったから。
そんな人の裏の気持ちも察することのできない善良過ぎる夫と結婚して、本当に守ってもらえると思いますか、ユーリス様?」
私がそう訊ねると、彼は驚愕の表情を浮かべた。
夫に従順で、家族や親類だけでなく、夫の友人のためにまで身を粉にして尽くしてきたかつての妻とは、まるで正反対の私に驚いたのかしら?
あなたの理想の妻とは懸け離れているのがわかったら、もう近寄って来ないでね。
「「私のマックスは親思いで弟妹の面倒をよくみる優しくて真面目な子なのよ。
それのどこが気に入らないっていうの?」
そう彼の母親から怒られたから、こう教えてあげたの。
「親や兄弟を大切にするからって、妻や子供のことまで大切にするとは限らないでしょう」
そうしたら、彼女がうちの母親と一緒に何を言われているのか分からない、って顔をしたから、こう説明したわ。
「例えば、この国で戦争が起きて食糧が配給制になったとするわ。しかもその量はとても少なくて、一家族分に満たなかったとする。
そんな時、親や兄弟を何よりも大切にする夫は、そちらを優先するでしょう。自分の妻や子供よりもね。
そんな夫と結婚して妻は幸せと思えるかしら?」
するとね、いきなり母親から頬を叩かれたの。いつからお前はそんな自分本位な考え方をするようになったのかと。以前は他人を優先する思いやりのある優しい子だったのにと。
だから、こう言い返してやったわ。
「あなたにだけはそんなことは言われたくないわね。
私がマックスと結婚すれば、これまでどおり下の子の面倒をみてもらいながら、店も手伝ってもらえる。
しかも売り物にならないパンまで安く手に入れられるし万々歳だ。私達の幸せではなくて、自分達に都合がいい結婚だから進めようとしてきたくせに。
私のことを少しでも考えていたら、苦労するからそんな結婚は止めなさいというのが親としては当然なのに」
すると図星を突かれた母親は激怒して私を家から追い出したのよ。
まあ、ちょうど家を出る準備をしていたところだったから、素直にそれに従ったけれどね」
この世界ではユーリスという名前になった男は、茫然自失となって、虚ろな目でただ私を見ていた。
親が子供を愛しているのは当たり前だなんて妄想よ。いざとなったら自分のことが何より大切だという親だってたくさんいるわ。
そんな親でも子は自分で親を選べないのだから諦めるしかないわ。
でも夫は選べるのよ。それなら、何も不幸になることが分かっている相手となんて結婚する必要はないのだ。
「もし、親に言われたのではなく、マックス本人が私を幸せするという覚悟をして、本人が直接結婚したいと私に言ってきたなら、もしかしたら結婚したかもしれないわ。
けれど、彼はそうしなかった。そんな男とは絶対に結婚なんてしないわ」
「彼は幼いころからずっと君を好きだったと言っていたよ」
「だから何? 本人にそれを言わなきゃ意味がないじゃない。
それに私を本当に好きで幸せにする気があったのなら、家を出て、私と新たな家族を作る気概がないとだめでしょう。
親兄弟を大切にするなとは言わない。けれど優先順位は妻と生まれてくる子供が上であるべきでしょう。
それができないような人とは家族になるつもりはないの。
マックスみたいな人ってたくさんいるのよ。男女関係なくね。
だから相談所に来るお客様には、結婚相手を何よりも優先できない人は結婚すべきじゃないし、たとえ結婚してもよい家庭生活は望めませんよ、って最初にアドバイスするの。
もちろん、それは平民に対してだけだけれどね。
いい息子なのに結婚できないと相談しに来る母親も多いのよ。
だから私は、家族思いの良い息子ということは結婚相手を探す上では必ずしもプラスの条件にはなりません、むしろマイナスですと最初に告げるの。
するとほとんどの皆さんは信じられないという顔をするの。腹を立てて怒り出す人もいるわね。
けれど、いい息子はいい夫になるとは限らない。あなたが一番よくそれを理解しているのではないですか? と訊ねると、半分の人はハッとした顔をするの。
そしてそこに気付けた人でも、自分のことより息子の幸せを望む方はさらにその半数くらいかしらね。
でもその方達は大抵数か月後には、無事婚約できましたとお子様達と一緒に挨拶に来てくださるのよ。
ここはあくまでも結婚相談所なので、私はどうやれば上手く結婚相手を見つけるかについて相談に乗るだけよ。お客様の考え方は否定しないし、無理やりに変えるつもりはないの。
ただ、勘違いや思い込みで結婚相手が見つからない方がほとんどだから、そこを指摘して視野を広げたり、視点を変えることが仕事なの。
一方的自分の思いだけ主張していたら絶対に相手は見つけられないでしょう? だから妥協点を見つける手助けをしているのよ」
私の言葉にユーリスは頷いた。
「君のアドバイスは的確だ。君に言われたというアドバイスを聞いてそれを参考に相手を紹介すると、大概カップリングが成立しているよ。
利益至上主義のカップルや形式的な関係を望むカップル、愛人を互いに持っているカップル。
普通なら上手くいくはずがないと思えるのに、お互いにそれを望んでいる者同士にとっては、それらは決して不幸は結婚ではない。
そう、対等な関係を作れるのならば、それなりに幸せな家庭を作れるのだということがわかったよ。
子供がどう思うかは別としても。それもまあ、産む前にきちんと話し合っておけば解決できるのかもな。
もちろん、そんな訳有りのカップルばかりじゃないけれどな。
君のおかげで俺の商売は大繁盛だ。だから、その礼といっちゃなんだけど、昔取った杵柄で、君を危険から守りたいんだ。
本当にそれ以上の意味はないんだ」
へぇ~。
私の結婚相談所の人気が高まっているのは、相談に来た人の多くが実際に婚約や結婚ができているからだ。
特にこの半年、成立したカップル数は右肩上がりだ。でもそれって、お隣の結婚紹介所のおかげでもあったのね。知らなかった。
「お礼はいいわ。うちの人気が高まったのも、どうやらあなたのおかげみたいだし。
ギブアンドテイクでこれからもよろしくお願いします」
「こちらこそお願いします。だけど、俺は本気で心配しているんだよ。
狙っていた女性が君の相談所へ行ってから、態度がガラッと変えて振り向きもしなくなったと、酒場で君に呪詛を吐く輩が結構いるんだよ。
自分達に非があるから避けられるようになったのだろうが、そういう奴らに限って逆恨みするんだ。
だからそんなやつらを甘く見ちゃだめだ。君に何かしでかすかわからないのだから」
ユーリスは真剣な顔で私の目をじっと見つめながらそう言った。
「別に甘く見ているわけではないけれど、あなたがずっと私の側にいて守れるわけじゃないしでしょ」
「君に恨みを持っている奴らのリストはすでにできている。それを騎士仲間に渡してあるから、見回りの時には注意を払ってもらっているんだ。
仕事中は君の事務所に出入りする人間を、俺が厳しくチェックしている。
君を不安にさせるのは本意ではないから、本当は君に話すつもりはなかったんだ。
しかし、君自身が危機意識を持たないと、やはり無防備になって狙われやすいと思ったんだ」
この言葉で私はハッとした。もしかして、将来を嘱望されていたという近衛騎士を辞めて、わざわざうちの隣に事務所をかまえたのって、私を守るためだったの?
半年以上前、私を逆恨みする奴らがいるから注意しろと、警邏隊に勤務している友人から忠告されたことがあった。
その後、その男達は別件で捕まったと知らされたけれど、それからまもなくだったわね、ユーリスが隣に現れたのは。
もしかしたら、それって私を側で守るためだったの?
その願いが叶わないとわかっていながら、毎日のように
「リアンヌさん、昼飯食わせてくれ」
そう言いながら私の事務所へやって来ていたのは、元騎士の自分が近くにいるのだから、私に手を出そうとしても無駄だと、周りに周知させるためだったのかもしれない。
そう考えれば辻褄が合う。
過去二回の贖罪のためにこんなことをしているの?
ただの執着心?
それとも、本当に私のことを……
彼の気持ちがわからない。そして自分が彼をどう思っているのかも。
突然の展開にまだ頭も心もまとまらない。
そう、わかるわけがないわ。今の人生でも彼とは大事なことを話し合っていないのだから。
三度目の出会い。
「二度あることは三度ある」
いいえ、「三度目の正直」かもしれないわね。
この先どうなるかはわからない。それでも取り敢えず、今度はじっくりと会話をしてみようと私は思った。
だからユーリスに向かってこう言ったのだ。
「これから市場へ行くのですが、付き合ってもらえるかしら?
青魚のフライを作ろうと思うので」
「えっ?」
私は硬直しているユーリスに向かって、この世界に転生してから初めて笑いかけたのだった。
【 あとがき 】
最初の人生において、夫の勇一郎は、妻の幸恵の死後、勇太同様に死ぬほど後悔した。
あれほど尽くしてくれた嫁が死んだというのに、両親も祖父母も悲しみもせず、子供達の世話をみるのも嫌がって、早く再婚しろと口煩く言ってくることに辟易した。
たとえ後妻を娶っても同じように妻が扱われるのが目に見えているのにと、彼らに対して憎悪を抱いた。
勇一郎は彼らを捨てて官舎に入った。そしてその後は職場仲間や友人達の誘いも断って、男手一つで三人の子供達を立派に育て上げていた。
息子は父親と同じく役人になって保育園設立に力を注ぎ、娘は家政婦協会を立ち上げ、一番末の娘は看護師になり、それぞれ幸せな結婚をした。
勇一郎はそれを見届けてから静かに息を引き取った。
最期の言葉は、「幸恵に会いたい」だったという。