第9話:一杯だけの夜
夜更けの『喫茶リセット』。
看板の灯りだけが、雨の街角で静かに滲んでいた。
その夜、カウンターの端っこに座った若い男が、肩を落としてコーヒーをすすっていた。
髪の毛は雨で少し湿り、表情からも疲弊が滲み出ている。
「お疲れのようですね」
マスターが穏やかな声をかけると、男は一瞬だけ笑い、首を横に振った。
「疲れたというより、もう、わからなくて……。仕事も、人生も、やり直せるならやり直したいです。でも、もう遅いのかなって」
マスターは何も言わず、カップの横に小さなお皿を置いた。
中には、ほんの一口サイズのクッキーが一枚。
「人生も、コーヒーも、同じですよ。一杯一杯、淹れなおせますから」
男はクッキーを手に取り、しばらくそれを眺めてから、ゆっくりと口に運んだ。
そして、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
「……うまい、ですね」
「一杯だけでも、ホッとできれば、もう一杯淹れる力になりますよ」
その言葉が、男の心に静かに落ちた。
「そう、ですかね……そうですよね。まだ、やり直せる、かも」
「ええ、きっと。人生も、同じですよ」
その夜、男はほんの一杯のコーヒーと一枚のクッキーで、心の荷をわずかだけ軽くして、喫茶リセットを後にした。
マスターは、片付けながら小さく呟いた。
「次も、ここで一杯どうぞ。何度でも、淹れなおせますから」
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