第41話「閉じたままの傘」
雨の午後だった。
喫茶リセットの軒先には、水を含んだ空気が静かに垂れ下がっている。
ドアベルが鳴り、一本の傘が差し込まれたまま、女性が入ってきた。
傘は閉じられないまま、ぽたぽたと雫を落としている。
「そのままで大丈夫ですよ」
マスターが言うと、女性は驚いたように傘を見た。
「あ……すみません。いつも、閉じるのが苦手で」
「濡れていても、問題ありません」
女性は少し迷ってから、傘を持ったまま席に着いた。
「ホットミルクを」
「かしこまりました」
傘は椅子の横で、まだ雨を抱えている。
「私、
ちゃんと区切るのが苦手なんです」
唐突に、女性は言った。
「仕事と家とか、
終わりと始まりとか」
ミルクを温める音が、ゆっくりと返事をする。
「ずっと開きっぱなしで」
「傘のように」
「はい」
小さく笑う。
「雨が止んでも、閉じられなくて」
カップが置かれる。
「閉じないといけない、
決まりはありません」
「え?」
「濡れたまま持っていてもいいし、
乾くまで待ってもいい」
女性は、カップの縁に指をかける。
「ちゃんとしなきゃ、って」
「“ちゃんと”は、
誰かが決めるものではありません」
少しの沈黙。
「傘、
今日はここで休ませてあげてください」
女性は、そっと傘を椅子に立てかけた。
「……軽い」
「手放した分ですね」
一口飲んで、女性の目元が緩む。
「閉じるのは、
晴れてからでいいか」
「ええ」
帰り際、女性は傘を持ち上げた。
まだ、少し濡れている。
それでも、今度は慌てなかった。
喫茶リセットでは、
閉じられないものも、
無理に畳まれることはない。




