第40話「空席の理由」
喫茶リセットには、いつも決まって空いている席がある。
入口から二番目、窓にも壁にも近くない、少し中途半端な場所。
その日、若い男性が店に入るなり、その席を見て立ち止まった。
「……空いてる」
「どうぞ」
マスターの声に促され、男性は腰を下ろす。
「ここ、いつも空いてますよね」
「気づかれましたか」
「何回か来てるんで」
少し照れたように笑い、メニューを見下ろす。
「同じものを」
「ブレンドですね」
男性は、頷いたあと、ぽつりと言った。
「俺、席が怖くて」
「席、ですか」
「座る場所」
言葉を探すように、間を置く。
「決めるってことが」
コーヒー豆を挽く音が、ゆっくりと続く。
「前の会社で、
席が決まった瞬間に……」
男性は、視線を落とした。
「そこから、全部がうまくいかなくなった気がして」
「席のせいだと」
「分かってます。
違うって」
それでも、と言葉を続ける。
「空いてる場所を見ると、
逃げ道みたいで」
コーヒーが置かれる。
「この席は、誰のものでもありません」
「え?」
「来た人が、座っていい席です」
男性は、カップを手に取り、湯気を見つめる。
「じゃあ……
理由はいらない?」
「座る理由は、
“今、ここにいたい”で十分です」
男性は、少し笑った。
「楽ですね、それ」
「空席は、
誰かが来る余白です」
「……余白か」
一口飲んで、肩の力が抜ける。
「会社、辞めたんです」
「そうですか」
「次も決まってなくて」
「空席ですね」
「はい」
男性は頷く。
「でも、今日ここに座れたから……
まあ、いいかなって」
カップが空になる。
「また来ても?」
「もちろん」
立ち上がる前、男性は席を軽く撫でた。
「この席、
嫌いじゃないです」
扉が閉まる。
店内には、またひとつ空席ができる。
喫茶リセットでは、
空いている場所は、
失敗ではなく、これからの余白として置かれている。




