第38話「雨音の席」
雨は、降り出すと決まって音を揃える。
屋根を叩く音、窓を流れる音、遠くで滲む街の音。
喫茶リセットの午後は、そんな雨音に包まれていた。
扉のベルが、いつもより控えめに鳴る。
入ってきたのは、スーツ姿の若い男性だった。肩が濡れている。
「……やってますか」
「どうぞ」
男性は入口近くの席に座り、濡れた前髪を気にするように指で払った。
「雨、苦手で」
「そうなんですか」
「はい。
待つ感じがして」
マスターは、黙ってタオルを差し出す。
「ありがとうございます」
しばらく、雨音だけが続いた。
「……俺、今日、待たされてたんです」
「誰かを?」
「いえ。結果を」
男性は、視線を落としたまま続ける。
「転職の面接で。
今日中に連絡します、って言われて」
スマートフォンは、まだ鳴っていない。
「何度も確認してしまって」
「雨みたいですね」
「え?」
「降っているかどうか、確かめたくなる」
男性は、少しだけ笑った。
「……コーヒー、もらえますか」
「お好みは」
「苦めで。
目が覚めるやつ」
湯気が立ち上る。
カップを置いた瞬間、雨音が少し強くなった。
男性は、両手で包むように持ち、ゆっくり口に運ぶ。
「……苦い」
「はい」
「でも……」
ひと呼吸。
「今、ここに座ってるって思える」
「待つ時間も、ちゃんと時間です」
男性は、カップを見つめたまま、ぽつりと言った。
「俺、待つのが下手で。
結果が出る前に、自分でダメだって決めてしまう」
「雨も、止む前にやめようとはしません」
「……確かに」
そのとき、スマートフォンが震えた。
男性は一瞬、動けずにいたが、深呼吸して画面を見る。
「……」
しばらくして、顔がふっと緩んだ。
「……大丈夫、でした」
「それは、よかった」
「でも」
男性はカップを置く。
「ここで飲んでなかったら、
ちゃんと開けなかったかもしれません」
雨は、いつの間にか小降りになっていた。
男性は立ち上がり、深く一礼する。
「この席、
雨が降ったら、また座りに来てもいいですか」
「空いていれば、いつでも」
扉が閉まると、雨音はさらに遠のいた。
マスターは、空になったカップを片付けながら思う。
待つことは、立ち止まることではない。
心が、追いつくのを待つことだ。
今日もまた、喫茶リセットには
雨音と一緒に、ひとつの時間が置かれていった。




