表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
喫茶リセット 〜今日も、誰かの心をそっと整理します〜  作者: 蔭翁


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/32

第32話「雨音のカウンター」



昼下がりの街に、ぽつりと雨が落ちた。

それはすぐに静かなシャワーのような雨音へと変わり、

喫茶リセットの窓ガラスをやさしく叩いていく。


マスターは黙ってカップを磨いていた。

雨の日の店は、いつもより少しだけ落ち着いている。


そんな時、扉のベルが小さく鳴った。

傘をたたみながら入ってきたのは、どこか気まずそうな様子の青年だった。

二十代前半だろうか。服は濡れていないのに、表情だけが雨雲を背負っているように見える。


「……コーヒー、お願いします。苦いやつで」

「かしこまりました」


青年が座ったのは、誰も座らないことで知られる“角の席”。

心に何か抱えた客が、なぜか自然と引き寄せられてしまう場所だった。


コトリ、とカップが置かれた。

香り立つ深煎りの苦味が、空気を少しだけ温める。


青年は両手を組み、しばらく黙り込んでいた。

やがて、ぽつりと落ちる雨のように言葉がこぼれた。


「……親父と、喧嘩しちゃって。大声で、酷いことまで言ってしまって……

もう二度と会えないような気がして、気がついたらここに来てました」


マスターは少しだけ眉を下げたが、すぐに穏やかな表情へ戻った。

「喧嘩は、言葉が強くなるだけで、本心は意外と弱いものですよ」


青年はカップを見つめながら首を振った。

「それでも……言っちゃったんです。

'俺だって、別に家族なんていらない'……って」


しばらく雨音だけが店内に響いた。

マスターは静かに棚の奥から、一枚の古いコースターを取り出した。

そこには手書きの文字――


“言えなかった言葉も、届かなかった気持ちも、雨がいつか流してくれる”


青年が目を瞬く。

「これ……?」


「昔、この席に座ったお客さんが置いていったものでしてね。

親子喧嘩で同じことを悩んでいました」


まるで自分のことのように青年の肩が震えた。


雨が、少しだけ弱まった。


「……俺、本当は、親父のこと嫌いじゃなくて。

でも、いつも不器用で、素直になれなくて……。

今日の喧嘩も、俺が悪かったのかもしれません」


「なら、今日の雨はちょうどいい」

マスターは柔らかく微笑んだ。


「雨の日はね、人の心を少しだけ柔らかくします。

乾いたままだと折れてしまう気持ちも、湿っていればしなやかになる」


青年は深煎りの苦味をひと口飲んだ。

その表情が、雨上がりの空のように少し明るくなる。


「……帰ってみます。ちゃんと話してみます」

「ええ。雨が止むまでに、心の中の言葉を少し整理しておくといいですよ」


青年は小さく頭を下げ、外へ出ていった。

ちょうどその瞬間、雨はやみ、雲の隙間から光がこぼれた。


マスターはカウンターに残った古いコースターをそっと戻す。

あの日の客も、今日の青年も、

きっと同じように――雨が心を整えてくれたのだろう。


そして今日もまた、喫茶リセットでは

誰かの心がひっそりと晴れていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ