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喫茶リセット 〜今日も、誰かの心をそっと整理します〜  作者: 蔭翁


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第30話 「夜明けのブレンド」




 夜明け前の街は、まだ眠っている。

 ビルの隙間から見える空には、うっすらと白い光が差し始めていた。


 「喫茶リセット」の店内では、マスターが静かに豆を挽いていた。

 ゴリゴリとリズムを刻む音が、古い時計の秒針と重なる。

 香ばしい香りが立ちのぼり、カウンターの上にふんわりと広がっていった。


 そこへ、扉のベルが小さく鳴る。

 まだ開店前の時間に訪れるのは、珍しいことではなかった。


「すみません……もう開いてますか?」


 現れたのは若い女性だった。

 くたびれたスーツ姿。肩に下げたバッグが、どこか重たそうに見える。


「どうぞ。コーヒーくらいならお出しできます」

 マスターが穏やかに答えると、彼女はほっとしたように席へ腰を下ろした。


 やがて湯気の立つカップが運ばれる。

「……いい香り。朝の匂いですね」

「ええ。夜明け前の豆をブレンドしてましてね。焦げすぎず、眠りを断ち切るくらいの苦味です」


 彼女は一口飲んで、ゆっくりと息を吐いた。

「実は、会社を辞めてきたんです」

 カウンター越しに、ぽつりとこぼす。


「上司と合わなくて……でも、辞めたあとに急に怖くなって。

 あの人のせいにしてたけど、本当は自分のことが一番嫌いだったのかもしれません」


 マスターは頷き、カウンターの向こうで黙って耳を傾ける。

 その間も、店内では時計の針とコーヒーの香りだけが動いていた。


「人はね、夜が明ける前に一度、自分を責めるものなんですよ」

「……夜が明ける前に、ですか?」

「ええ。けれど、責め終えた頃に朝日が出る。

 そこからは、もう自分を責める代わりに、一杯のコーヒーを飲めばいい」


 彼女は目を伏せて、もう一口。

 少しだけ、口元に笑みが浮かぶ。


「じゃあ、私の朝も……もうすぐ来るんですね」

「ええ。カップの底が見えるころには、きっと」


 店の外がゆっくりと明るくなっていく。

 彼女が店を出るとき、空には新しい朝の色が滲んでいた。


 マスターは静かにカウンターを拭きながら、残ったカップを見つめる。

 その底に、彼女の指先が少し震えながら描いた“笑顔の跡”が残っていた。


 今日もまた、誰かの心がそっと整理された。

 夜が終わり、コーヒーの香りとともに、新しい一日が始まる。



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