第28話 「朝のひとしずく」
開店前の喫茶リセット。
マスターは静かにカウンターを拭き、豆を挽く音だけが店内に響いていた。
香ばしい香りが満ちたころ、カラン――と扉のベルが鳴った。
入ってきたのは、リクルートスーツに身を包んだ若い女性。
「す、すみません……開店前でしたか?」
「いえ、大丈夫ですよ。コーヒーでよろしいですか?」
「はい……お願いします」
女性は深呼吸をしてから、椅子に腰を下ろした。
その両手は少し震えていた。
「今日、就職の最終面接なんです。でも、どうしても落ち着かなくて……」
マスターは微笑みながら、カップをそっと差し出す。
「焦る朝ほど、香りをゆっくり味わうのがいいですよ」
女性は、ふうっと息を吐き、湯気を見つめた。
「私、小さいころから人見知りで……面接なんて、本当に怖くて。昨日も眠れなかったんです」
マスターはコーヒーポットを拭きながら、静かに言った。
「眠れない夜のあとに飲む一杯は、“朝のひとしずく”です。
緊張の名残を流してくれる。」
女性はゆっくりカップを傾けた。
苦味の奥に、ほんの少しだけ甘さがある。
「……おいしい。なんか、心がほどけていく感じです」
マスターはうなずいた。
「肩の力を抜いて、自分の言葉で話してみてください。
うまく言えなくても、“本音”はきっと伝わります」
女性は笑顔を浮かべて立ち上がった。
「行ってきます。……帰りにまた寄ってもいいですか?」
「もちろん。次は“お疲れさま”の一杯を」
扉のベルが軽やかに鳴る。
朝の光が店内に差し込み、磨かれたカップがきらりと輝いた。
マスターは豆を挽き直しながら、そっとつぶやいた。
「朝のひとしずくが、誰かの勇気になりますように」
―――




