第26話 「イヤホンの片方」
昼休みの終わり、喫茶リセットの扉が静かに開いた。
入ってきたのはスーツ姿の若い女性。肩にトートバッグをかけ、少し疲れた表情をしている。
「いらっしゃいませ」
「ブレンドをお願いします……あ、あと、もし落とし物のイヤホンが届いていたら……」
マスターはカウンター下を探し、白いイヤホンの片方を取り出した。
「こちらですか?」
女性の顔がぱっと明るくなる。
「はい、それです! よかった……これ、片耳しか聞こえないんですけど、どうしても手放せなくて」
マスターは微笑んだ。
「大切なものなんですね」
「はい。実は、もう一方は高校のときの友達が持ってるんです。離れても“お互いこのイヤホンで同じ曲を聴こう”って約束して」
彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
「でも最近、仕事に追われて連絡もできなくなって……。そんなときに片方を落として、もうダメかと思いました」
マスターは、コーヒーをカウンターに置きながら言った。
「片方でも、音は届きます。たとえ小さくても、思い出の音は消えませんよ」
女性はカップを手に取り、目を閉じた。
湯気の向こうに、あの日の教室が浮かぶようだった。
音楽室の窓辺、笑い合う自分と友人――。
「……久しぶりに、連絡してみようかな」
彼女は携帯を取り出し、小さく息を吸った。
マスターはその姿を見送りながら、静かに心の中でつぶやいた。
「片方の音でも、心はきっと通じる」
午後の光が、カウンターの上に優しく落ちていた。
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