第21話 「雨宿りの画家」
午後の喫茶リセットは、しとしとと降る雨音に包まれていた。ガラス窓を流れる雫が、まるでゆっくりと時間を溶かしていくように落ちていく。
カラン、と扉の鈴が鳴った。入ってきたのは、背中に大きなスケッチブックを背負った若い男性だった。髪の先は雨で濡れていて、少し困ったような笑顔を浮かべている。
「すみません、雨宿りさせてもらってもいいですか」
「もちろん。いらっしゃいませ」
マスターが微笑んで席を案内する。男性はスケッチブックを抱えながら、ほっとしたように腰を下ろした。
店内にはほかに客はいない。静けさの中で、雨音とコーヒーの香りだけが寄り添っていた。
「コーヒーをお願いします」
「はい。雨の日には、ちょっと濃いめがおすすめですよ」
やがてカップが運ばれ、彼は温かな香りを吸い込むようにして目を細めた。
「……やっぱり、こういう時間って大事ですね」
つぶやきながら、スケッチブックを開く。中には、街角や公園、子どもたちの笑顔など、日常の景色が丁寧に描かれていた。
「素敵な絵ですね」
マスターの言葉に、男性は少し照れたように笑う。
「ありがとうございます。でも……実は最近、描く意味を見失ってしまって。プロを目指してるんですが、展覧会に落ち続けて。今日も、応募作が戻ってきたところで……」
彼の声は小さく、雨の音に紛れそうだった。
マスターは静かにコーヒーを一口すすり、言った。
「意味を探すのは難しいものです。でも――あなたの絵を見ていると、誰かの日常を優しく切り取っている。その優しさが伝われば、きっと意味になると思いますよ」
男性はしばらく黙って絵を見つめ、そして小さく笑った。
「……そうですね。意味は自分で決めるんじゃなくて、見てくれる人が見つけてくれるのかもしれませんね」
外を見ると、雨が少しずつ弱まっていた。
会計を済ませ、店を出るとき、彼は振り返って「また描けそうな気がします」とだけ言って去っていった。
扉が閉まり、マスターはひとりごとのようにつぶやいた。
「雨も悪くないな。止むまでに、心が少し洗われるから」
カウンターの上には、彼が忘れた小さな紙片が残されていた。そこには鉛筆の走り書きで――
「雨宿りのコーヒー 心に残す」
とだけ書かれていた。
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