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嘘の星

作者: ぜろすけ

「あ、星!」

 アリアは夜空を指差してそう言った。

 季節は冬、僕と彼女は冷たいコンクリートの床に寝転び夜空を眺めていた。夜と言っても、空は街明かりに照らされていて、遠くの方から、自動車や鉄道の走る音が鈍く鳴り響いて来る。

 アリアが指差した方向に目を向けてみると、そこには三日月があった。確かに月も星という定義には含まれそうだが。

「確かにあれも星だけど、そんなに驚くようなことか?」

「違う違う、月じゃなくて、その左上の方。」

 よくよく目を凝らして見ると、そこには確かに、一つの白い光の点が明滅していた。しかし、その位置がおかしいのである。その星は三日月の陰となっている部分にあったのだ。つまり、本来ならその位置にある星は、月に隠されて見ることが出来ないのである。

 僕はその光の由来を察し、彼女を訂正した。

「あれは多分、月を周回している宇宙ステーションだよ。大方、太陽光パネルが反射してるんだろうさ。」

「ふうん。」

 横で寝そべる彼女の方に目を向けると、無表情のまま、その一点を見つめていた。

 そもそも、どうして僕らがこんなことをしているのかというと、アリアが突然、星を見たいと言い出したのだ。彼女には昔からそういうところがあった。楽器を弾きたいというと、次の日にはヴァイオリンを持って現れたし、絵を描きたいと言うと、スケッチブックを抱えて遠くへ出掛けたまま一日帰らないこともあった。しかし、そのどれもある程度上達はするものの、結局は飽きてしまうのか長続きしなかった。お陰で退屈はしないのだが。

 腕時計を見ると、時刻は午後10時を過ぎたところだった。空気は徐々に冷え込み始め、少しばかり風も吹いてきたようだ。そろそろ彼女を諦めさせて、帰った方がよかろう。

「アリア、もう帰ろう。この時代に星は見えないんだ。街明かりにかき消されちゃうんだよ。もし見たいんだったら、砂漠とか大海原とか山奥のど真ん中に行かないとダメなんだ。」

 彼女の方を見ると、やはり無表情のまま、夜空をみつめている。

「なんだか、寂しいね。」

 彼女はポツリと呟いた。やっと諦めてくれたのだろうか。

 すると突然彼女は起き上がり、嬉々としてこう言った。

「じゃあルノー!星を見に行こうよ!」

 どうやら面倒くさいことになりそうだ。まさか砂漠とか大海原とか山奥のど真ん中に行くってんじゃないだろうな。

「さっきも言っただろう?星を見たいなら……」

「わかってる、要は街明かりのないところに行けばいいんでしょ?私に考えがあるの!」

 彼女は僕の言葉を遮った。

「ルノー、明日もどうせ家で本読むくらいしかすることないんでしょ?駅前集合ね!時間は後で連絡する!」

 そう言い残すと、彼女は駆け足で家に帰ってしまった。

 

 次の日の夕方ごろ、僕とアリアは駅前で落ち合った。彼女はスニーカーにジーンズを履き、ジャケットを着て、背中にはリュックを背負っていた。やはりそこそこ運動をすることになりそうだ。

「それで、どこにいくんだい?砂漠?大海原?山奥?」

 僕は呆れながら言った。

「言ったでしょ、私に考えがあるって。これ見てよ、昨日ネットで調べたの。」 

 彼女はスマホの画面を僕に見せてきた。どこかのマップのようだ。

「ここから二駅乗って、ちょっと歩いたところにものすごく広いパラボラアンテナ群があるの。ここのど真ん中なら、きっと街の光も届かないはずよ!」

 

 僕らは真空鉄道に二駅乗り、一時間程歩いた。代わり映えしない、無機質な街を歩いていると、突然その街が切り開かれ、一軒家ほどあろうかという巨大なパラボラアンテナが、地平線の彼方まで無数に林立していた。どのアンテナも規則正しく整列し、静に頭を同じ方向に向けている。

「ここね、じゃあ行こっか。」

「なぁ、どれくらい歩くんだ?」

「ここから二時間くらいかな、かなり広いからね。」

 アリアは楽しそうだったが、僕はもう帰りたい気分だった。もう駅から一時間も歩いているんだ。

 そして僕らは二人は、アンテナ群を囲む金網にちょうど穴を見つけてそれをくぐり、この無機質な大森林に足を踏み入れた。

 

 歩き始めてから一時間程たったであろうか、空は徐々に薄暗くなり、肌寒くなってきた。彼女は僕の5歩程前を歩き、僕はそれについていった。後ろを振り返ってみても、もう街は見えず、四方八方同じ景色が広がっている。どのアンテナも音一つなく同じ方の空を見つめ、辺りには二人の足音のみが規則的に散らばっていった。

 僕はなんだか怖くなって、前を行くアリアに尋ねた。

「なぁ、あとどれくらい歩くんだい?」

「あと一時間くらいかな、もう半分はきたよ。」

 彼女は前を向いたまま歩き続けている。時刻はもう午後七時をまわっていた。ここから帰る時間も考えると、さすがに打ち止めだろう。

「アリア、もう帰ろう。ネットの情報なんて嘘ばかりだよ。僕らは騙されてるんだ。」

「ルノーはネットで嘘しかつかないの?」

 彼女は前を向いたまま歩き続けている。

「できるだけ嘘はつかないようにしているけれど。」

「じゃあ見てみるまで判らないじゃん。」

 彼女を説得するのはどうやら無理そうだ。それにここまで長い間歩いてきたのだから、目的を果たさず途中で帰るというのも、もったいない気もした。ここは彼女にとことん付き合ってやろう。

「ねぇルノー、このアンテナって何に使われてるの?」

 彼女は前を向いたまま尋ねてきた。

「多分、太陽系の各地にある人工衛星とか、宇宙ステーションとかと通信してるんだよ。」

「ふうん。」

 彼女は興味無さそうに返事をした。何故聞いたのか。

 すると彼女は突然こちらを振り向き、後ろ歩きをし始めた。

「ルノーってさ、なんでも知ってるよね。」

「本で読んだだけだよ。」

「ふうん。」

 彼女はふたたび前を向いた。

「なんか羨ましい。」

 羨ましい。アリアはそう言ったのだ。それは到底、彼女からは発せられることはないだろうと思っていた言葉だった。確かに彼女は、心の中では何かを羨むことはあっただろう。でも彼女はそれを口に出して言う前に、すぐに行動に移し、その対象と同等になろうとする。つまり、彼女がその言葉を口に出した時は、諦めた時なのだ。

 

 さらに一時間程歩いた。辺りは完全に暗くなり、小さな月明かりだけが世界を照らしていた。二人の足音は、辺りには散らばったかと思うと、すぐに闇夜に吸い込まれていく。どうして二人とも懐中電灯を持ってこなかったのだろうか。スマホは電池切れを防ぐため、極力使いたくはない。GPSは僕らの命綱だ。これが切れると、僕らはこの無機物の森林の中で遭難することになるだろう。

 するとアリアは突然立ち止まった。

「着いた!」

 どうやら僕らはパラボラアンテナ群の中心に辿り着いたようだ。中心といっても、それを示すようなものは何も無い。

「じゃあ、星を見よっか。」

 アリアは土の地面に寝転び、僕もその隣に寝転び、一緒に空を眺めた。

 確かに空は、街明かりに照らされることなく真っ暗で、三日月がぬっと浮かんでいた。しかし星らしき光は一つも見えない。このまま見ていると、夜の闇に吸い込まれそうだ。アリアは一言も喋ること無く、じっと空を見つめている。

 

 空を眺め始めてから三十分程がたった。やはり空は闇に閉ざされていて、そこには月だけがポツリと張り付けられている。時刻は午後八時になろうとしていた。星は見えない。

 いや、僕は知っていたのだ。星など見えないことを。以前にニュースで見た。現代では、砂漠や、大海原や、山奥のど真ん中でも、その近くにはやはり巨大都市のような人工的な光源があって、人間に感じとることは出来ないけれど、弱々しく微妙な星の光などかき消してしまうので、地球上で星を見ることの出来る場所は無くなったというものだ。彼女には言えなかった。諦めてほしくなかったのだ、星を見ることを。いや、それ以外のことも、諦めてほしくないのだ。僕のように、知っていることによって。

「星、見えないね。」

 彼女はポツリと呟いた。寂しそうな響きだった。やはりネットは嘘ばっかりだ。

「そろそろ帰ろう、まだ終電は間に合うよ。」

 彼女は少し間を置いて応えた。

「うん。」 

 二人は立ち上がり、来た道を引き返し始めた。来た道といっても、それを示すものは何も無い。全てが同じ景色だからだ。

 

 夜の闇の中、二人は歩く。今度は僕が前を歩き、その五歩程後ろに彼女がついていく。時々、後ろを振り返って、彼女の顔を窺いたい衝動に駆られた。彼女は泣いているんだろうか。

「ルノー!待って!」

 突然彼女は僕を呼び止めた。後ろを振り返ってみると、彼女は立ち止まり夜空を指差している。

「星!」

 彼女の指差す方向に目を向けると、そこには白い光の点があった。それも、一つとは言わず、七つも。その七つの点は、一直線に等間隔で並んでいた。あれはおそらく、地球を周回するスペース・コロニー群だろう。

「いや、あれは……」

 そう言いかけて、言葉が切れてしまった。喉元まで出かかったこの、ひどく冷たい真実は、きっと彼女から大切なものを奪ってしまうのだろう。

「あれは……あの一番明るいのはシリウスっていう星だよ。冬の大三角形の一つなんだ。」

 嘘をついた。

「そっか。」

 彼女は小さく返事をすると、ずっと立ったまま嘘の星を眺めていた。彼女の表情を窺いたかったが、夜の闇のせいでよく見えなかった。

 彼女は泣いているんだろうか。

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