第7話 経験
男は身じろぎせずにこちらを見ている。
両の手をコートのポケットに入れて立っているということは、つまり投擲武器がまた飛んでくることを想定しなければならない。
先に刀剣を抜刀した上でにじり寄る。
「昨日の事件の犯人も貴方か?」
「…答える義務はない」
「否定以外の選択肢はないはずだ」
「義務はない、と言った」
話をする気はなさそうだ。
こちらは先制攻撃を受けている。ならばこの先の荒事は正当防衛とされるだろう。
屋上の硬い天井を踏み抜き、まずは接近する。
飛び出したヴェルに反応するように男のポケットが動く。何かが来る。
男は勢いよく手をこちらに振る。
何かを判別するよりも先に手を打つ!
「風烈!」
風を動かす角度で武装を大きく振り、物理的な風による壁を全面に押し出すフェートの戦技、風烈。射出されていた針たちは急な突風によってその勢いを殺され、あらぬ方向へ飛んでいった。
針を飛ばされた男はしかし動揺することはなく、速度を緩めずに急接近するヴェルに相対し、懐から手を完全に取り出す。
その両手には籠手が装着されていた。
手の甲の部分がスライドし、鈍く光る二本の刃が姿を現す。
(まだ暗器はいくつか持っていそうだ。詰めるには早すぎる)
相手の出方を伺うようにヴェルの振るった袈裟斬りを左の刺突刀で抑えながら、右の刃がこちらに突き出される。
ギリギリまで引き寄せてから飛び去るように下がったヴェルは一つの確信を得られた。
「…貴方は囮、狙いはあの捜査官か!」
「……ほう、気に入りそうだ」
「あの傷跡から見て恐らく凶器はその刺突刀のはず。でも貴方の両の刃に血痕はない。それどころか麻酔毒が塗られ馴染んでいる…ならもう一人、別働隊がいる!」
そう叫びながらヴェルは男に背中を向け、屋上から飛び降りる。
「登録傭兵であの身のこなしをするやつは多くはない、だが奴は今背を向けた…暗器使いにするにはど素人の行いだが…刺す気がないことまで割れていたとするならば、ますます気に入りそうだよ。謎の剣士」
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路地を駆けてベネッタ捜査官の元へ戻る。
俺の考えが浅かった!
まだ刺された捜査官が出血して間もないのにあれだけの距離を離されていた、それだけ手際のいい暗殺者が追っ手の俺を待ち構えるはずがない。
冷静になれば辿り着けていた簡単な答えに引っかかった、井の中にいる蛙のことが否が応でもわかる。俺は戦闘力、戦闘の観察眼は養われているが、圧倒的に生きるということの経験が足りていないんだ。おじさんから聞いただけでわかった気になっていたことを反省しないと…
「いやぁぁ!?」
マズい!
間に合わないか!?
間に合わせろ!!
角をトップスピードで曲がり、ベネッタ捜査官に斬りかかっているポンチョの男を視界に捉える。
この剣が伸びてくれさえすれば!!
「それじゃおせぇな」
視界にいたポンチョの男がベネッタ捜査官の横を通り過ぎ、そのまま壁に叩きつけられる。
男が何者かに蹴り飛ばされたのは見えた。
だが別の男が接近したことには全く気が付かなかった。
(気配の消し方、大振りの槍を持ちながらも知覚が遅れるほどの速度…どうする……)
「おーい、聞いてんのか?オレは敵じゃねぇから殺しにかかる目すんなって」
「えっ…あ、す、すみません」
急に気が抜ける。
そうだ、ポンチョの男からベネッタ捜査官を守ったのだからひとまずは敵と見る必要はない。
この相手にどう勝つか、そんなことばかりすぐに考えてしまうのはフェートの良くも悪い癖だ。
「助かりました、ありが……」
「ん?お前……」
とりあえず窮地を救ってくれた相手に感謝を伝えようとした時、捉えきれなかった男の顔を正面から見つめて初めて気がついた。
「……ライノ?」
「ヴェルじゃねぇか…?」
数年前に独り立ちをした幼馴染、ライノ・オーランジがそこにいた。
【フォルトの港口】
エルティエ
フォルト山から街と言うなら一番近くにある港街
物流の面で栄えており、基本的な生活必需品は全てこの街で手に入る
フェート村の商い屋がここに仕入れに来ることも多い