第3話 母
外からいつものドンパチ音が聞こえてくる。
きっと今朝もヴェルがトールくんに不意打ちされているのだろう。彼には本当に頭が上がらない。
あの人がここからいなくなって、ヴェルが塞ぎ込んでしまうかもしれないと真っ先に面倒を見始めてくれたのはトールくんだ。
それだけじゃない。あの子が傭兵としてやっていけるようにロダン様の修行に触らない程度に戦闘技術以外のことも教えていた。依頼を受ける時に見るべき点、雇用者や依頼主との関係構築の重要性、事務所やマネージャーの存在など、歴戦の傭兵の経験談という世に出れば歓待を受けるであろう講座を何気ない会話の中で聞かせていることも知っている。
そこまでしてくれる理由が恥ずかしながら自分を昔に好いていてくれたからというのも気がついているが、何よりもヴェルのことを息子のように大切にしてくれているからだと彼の奥さんが話してくれた。
娘しかいないトールくんにとっては1番近くにいる息子のような存在なんだと。
村のみんなの愛を受けて育ったヴェルが今日、ロダン様のところで独り立ちをしに行っている。
身内贔屓無しで見ても確実にヴェルは合格する。
ロダン様もここまで遅らせてきたけど、もう頃合いだと判断したみたい。
(フェートは意思を見つめる…私にまた見つめるべき時が来たということかな、エヴァ?)
さぁ扉が開く。
私はどうするのだろうか。
自分でもわからないから、意思をぶつけてみよう。
後は見えた世界に託せばいい。
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考え込みながら歩いていたら、いつの間にか家の前まで帰ってきていた。
家に入るのがこんなに苦しいと思ったことはない。やましいことをした訳でもなく、むしろ独り立ちを認められたというめでたい日である。
ただ父を殺すために傭兵として生きていく、それを伝えるのに罪悪感が邪魔をしているだけだ。
意を決して帰宅すると、母が瞳力洗濯機を回しているところだった。玄関の音が聞こえたのかこちらに向かってくる。
「あれ?おかえりなさい、もう終わったの?」
「た、ただいま。合格をもらえたよ」
「やったじゃない!!これで仕事を受けられるわね!」
「ああ、うん。それなんだけど」
「じゃあ今日はお祝いでリベリア牛のステーキにしましょっ!お祝い事に〜ってガルドさんが下さったの、丁度良かったわ」
「あのさ」
「ヴェルはレアが好きよね〜父さんの火加減が強すぎてウェルダンになった時の顔は今でも笑っちゃうわ〜」
「母さん!」
足が止まる。
俺の話を聞いてくれない母さんに大きな声をぶつけてしまったことに後悔しながらも、必要だったと割り切った。俺はこれから母さんに罵倒され、刃を向けられても仕方の無いことを話すのだから。
「傭兵になるんでしょ?エレインの」
返す言葉に詰まってしまう。
今までずっとフェート村で傭兵稼業を学ぶと言っていたはず。民間事務所やエレインのフリーランス契約の話は俺からも母さんからも一度もなかったはずだ。
バレていたのか?いつから?どこから話が漏れた?
いや、誰にも話していないのだから漏れることはありえない。だとするとおつかいを尾けられていた?
わからない。
その気持ちが冷や汗という形で背を伝う。
「…わかるのよ。あなたを産んで、あなたを育てて、誰よりもあなたを見つめてきたのはお母さんよ?」
「…俺、民間の傭兵事務所に行って働くよ。ちゃんと母さんに伝えないとって思って」
「うん。フェートの傭兵じゃなくていいの?」
「あ、ああ。0から自分を高めたいんだ。初めは小さな依頼からこなして、出来ればフェートのネームバリューは使わずに業界に慣れていきたい」
「うん、わかった。ヴェルがそうしたいならそれが1番。思いっきり頑張るんだよ」
良かった。
本来の目的は気づかれてなさそうだ。
「あとは、父さんかな?」
母もまたフェートの人間。
その見抜く瞳はまだ未熟な俺の心を見つめていた。
こうなったフェート人からは逃れられない。
「会いに行くの?それとも殺すの?」
もう隠す必要はなくなった。
ここから俺が進むには、包み隠さず俺の意思をぶつけるしかない。
「母さん、俺はウェイド・スカーレットを殺す。それが今まで修行してきて、これから傭兵になる理由だ」
「…やっぱり十年前のこと、覚えていたのね。次の年にロダン様に剣を教わりに行っていたのもそうでしょう?」
「ああ、母さんの思っている通りだよ。俺はあの日フェートを、俺を、母さんを見限って虹に下ったウェイドが許せない。フェート人はあの時フェートに勝利をもたらすために戦うべきだったのに、その仁義を通さなかった父親が虹の軍事機構レナの戦術局長の1人だってことが憎くてたまらない!」
あの夜の謎の部隊。
歴戦のフェート村が珍しく襲撃され、まさかの迎撃戦に苦戦していた。純粋な戦闘技術は上回っていたが、妙な遠距離物理兵器や本気の精鋭部隊であろう連携に動きを封じられていた。まだ七歳だった俺は避難していたため、後で当時の状況を聞いただけだ。
だがその程度の修羅場だったならフェートの血が適応し、すぐに戦局を返せただろう。
最前線で戦っていたウェイド・スカーレットが突如戦闘をやめ、その剣を下げるまでは。
「あの人はそのまま戦わずに消えた。うちにも死傷者が出たのに!俺や母さん、ロダン様にも何も言わずに!そしたら今度は虹の戦術局長だって!?これでどうやって父親だって言えるんだよ!」
「ヴェル…」
「…母さんはウェイドのことをどう思ってるの?」
「父さんはね、ひとつの選択をしたんだと思うの。私たちの昔の仲間との約束に答えるために、あなたをお母さんに任せて別の場所で戦ってるはず。だから家族が別れたとは思ってないわ」
「母さんは父さんから聞いてたんだな」
「いいえ、何も言われてない。でも父さんのことならわかるから」
「そっか、置いてけぼりなのは俺だけか」
寂しさを感じながら母さんの横を通り、自分の部屋に向かい、もう既に準備を終えておいた荷物を持って再び母さんの前に立つ。
ロダン様には来週と伝えたが、もういつでもここを出られるようにはしていたのだ。
「俺は行くよ、父さんのところに。どうせ母さんと同じで何も教えてくれないだろうから、この剣で切り伏せてから聞く。そのために強くなる」
「…寂しくなるわ、どこであろうとあなたが心に従って生きていてくれるのが母親としての願いよ。頑張りなさい」
「…今まで育ててくれてありがとう、母さん。また帰ってくるから、元気で」
そう告げた俺の体を母さんは力強く抱きしめた。
生まれた頃からずっと嗅いできた香り、暖かさに包まれて涙がこぼれそうになる。
「本当は行ってほしくない、一緒にいてほしい…でもこれはソル・スカーレットとしての願いだから…」
「フェートは、私は、あなたの意思を見つめる」
抱擁が解かれる。
そこにはいつものニコっと笑った母さんがいた。
「行ってらっしゃい、ヴェル!父さんなんかぶっ飛ばしてさっさと帰ってきなさい!」
【荒城の歌姫】
ソル・スカーレット 38歳
ヴェルの母親
年不相応に若々しい容姿でよく姉と勘違いされる
かつてウェイドとともに戦った一人で、荒城での療歌が伝説となり異名がついてしまった
最近は親友のレッテの店でたまに歌い、おひねり祭りとなっている