第37話 海虎
「今日は海原感謝祭でお安くなってるぞ〜!!」
「一匹158でいかがですか〜!?」
「ミツカイの開きならうちで買ってってくれ〜!」
「かなり賑わってるなぁ」
「感謝祭のようです…そ、そんな値段でいいのですか!?」
「フェートの麓町とかエルティエよりも安いな…さすが港町」
「この辺りは海流が交差してるから魚の餌が豊富で、今年の漁獲量は例年よりも高かったんだとよ」
大森林を抜けてネベントに到着したヴェル達は港特有の明るい雰囲気と潮風に吹かれる。今の時期はデラウコス海域の豊かな海産資源に感謝する意を込めた祭りが開かれており、街中は賑わいを見せている。
クラーゼは少し見慣れたように、ヴェルは今まで見た港町と比較し、イヴは魚介類の値段を比較して衝撃を受けていた。
「それでクラーゼさん、シープランダーになるって言ってましたがアテはあるんですか?」
「当たり前だ。これでも依頼履行中だからな、調査は済ませてある。この街はまさにデラウコス海域の窓口、つまり資材や貨物が大量に入ってくる。それにも関わらずここはシープランダーに襲撃されることはない、何故かわかるか?」
「……癒着ですか?」
「まぁ悪事というまではいかないが凡そ正解だ。ネベントは一定量の貨物をシープランダーに流す代わりにこの街に手を触れないよう密約を結んでいる」
「手を出せば生活が揺らぐってことですか、海の暴君相手に兵糧攻めとはこの街の指導者もやり手だな…ちなみにこれをゾーラとかシールズは知ってるのか?」
「…恐らく把握し、そして黙認しています。虹は平和の架け橋をモットーに据えているので、争いが起きていないのであればそこに介入することは難しいのです」
「たとえ人々が脅かされているとしても?」.
「ええ、公僕とはそういうものです。強くなければ護れない、ですが強すぎると疑われる」
「治安維持というお題目を掲げる以上、誰よりも力を縛られなければならないんだ。それは人類の歴史における公権力の暴走がいくらでも証明している」
「…論じても仕方ない話ってことか」
「卑怯ですが、覚悟の上ですから」
「まぁそれくらいにしておけ。つまりこの街にシープランダーとの仲介を担当している奴らがいる、そこに掛け合うのさ」
癒着の指先に接触して潜入するというクラーゼは港の方向である北ではなく、東の倉庫街へ足を向ける。二人は彼の後を追いながら、特にイヴは正体を悟られないように周囲を観察しながら歩く。
(とりあえず見た限りではレナの局員はいない…そもそも私たちがデラウコス海域に向かうことがバレている可能性は?いや、ある。オニール達なら選択肢に入れている)
ゾーラからひっきりなしに協働任務の依頼が来るほどに探査・諜報のプロフェッショナルであるオニール隊は、一課の作戦成功率に最も貢献していると言っても間違いない。その実力は身内である局員すら騙し通すほどに潜入と諜報に特化している、もちろん戦闘力も一流だ。その彼らが『ありえない』なんて理由で選択肢を削るはずがない。可能性が少しでもあるのであれば必ず潜んでくるだろう。
二人の傭兵も周りを警戒しながら行動しているはず。なら自分は自分の警戒すべき虹に目を光らせなくてはとイヴは思考を巡らせながら歩む。
「シープランダーってどんな格好なんですか?」
「街じゃ割と普通だぞ、海に出りゃ着替えるかもしれんがな。奴らとて要らない揉め事を起こさないようにしてるからな」
「ならそこのおじさんに聞いてみるか、すいませーん!」
「「ちょっと待て!!」」
─────────────────────
倉庫街の中心にある巨大な倉庫の前に着いた。
いくつかの情報を頼りに来たのだが、本当にこんな中心部に潜んでいるのだろうか?
「入るぞ、前衛からだ」
「単独傭兵としては嫌ですけどね」
「今は仲間ですよヴェル、私も援護しますから」
「ほれ、虹のご加護があるんだからさっさと行け」
「クラーゼさんに言われたくないだけです、いきますよ」
後衛の二人が瞳力を高めたのを感じてから、俺は包囲された場に飛び込む状況を想定する。まずはフロントの標的になりつつ、後衛を揺さぶろう。
蜂の巣にされる覚悟を決めてから入口の巨大な扉に爆薬などが仕掛けられていないことを確認し、少し勢いをつけて扉を開ける。
「おーい誰か!これどこかわかるか!?」
「それこっち持ってこい!」
「ありゃ二箱足りねぇぞ…今月誰だ追加発注!?」
「今月はお頭が!」
「おいなんでやらせた!?頭筋肉なのに金勘定触らせんなァ!!」
そこはまさに戦場、貨物の山。
大柄で頭にハチマキを巻いた男たちが貨物をあちらこちらに運び、中身を開けて紙を見ながら数を確かめている。
「あれ…ここがシープランダーの…?」
「なんだか普通の商会のように見えますが…間違えてはいませんか?」
「ここであってる。そこのあんちゃん!」
「これが23個…あ?なんだぁ?」
イヴも困惑の表情を浮かべているが、クラーゼさんは迷いなく近くで作業していた巨漢に声をかけた。男は見覚えのない若者たちや、包んでいるとはいえマスケット銃剣を背負ったクラーゼさんを見て怪訝な顔で尋ねてくる。
「ここはモクト海運商会の倉庫でっせ、お間違えでねぇか?」
「いや、間違いはない。【海虎】と話がしたいのだが、通してもらえないだろうか?」
「……名前は?」
「そうだな、【フローレス・ガンナー】と【閃刃】、それから特別ゲストとしてくれ」
「……ふん、邪魔にならねぇとこで待ってろ」
クラーゼさんがある異名を口にした瞬間に巨漢の雰囲気がサッと変わり、一気に覇気が漏れ出てきた。それを感じたのか周囲の男たちからも同じような反応が見られるが、こちらもその程度で圧される顔ぶれではない。声や貨物の動きは変わらない中で雰囲気だけがひりつきながら待ち続ける。
「取り合ってはくれるんですね」
「今の派閥の中で最も受け入れてくれそうなのがこの【海虎】だ。もちろん不義理には報復するだろうが、対等に取り合ってくれる可能性は高い」
「こちらに何を提供出来るか、と聞かれたら戦力以外に何があるでしょう…?私は公に力を使えませんし」
「俺の雇い主の名前を言えば凡そは解決するだろう。それでも足りないならそうだな…ヴェルの姓でも教えてやればどうだ?」
「そんなことに先生を使わないでください」
「まずは俺の方を気にしろよ…」
─────────────────────
そんな冗談を交えながら5分ほど待っていると、先ほどの男が戻ってきた。
「待たせた。お頭のところに案内すっから着いてこい」
どうやら話は聞いてくれるらしい。
クラーゼさんを先頭に歩き始め、倉庫の裏手の鈍重なドアから外に出る。
そこは大きな貨物コンテナで仕切られた区画だった。通路のように細く開けられたコンテナが作った余白を歩いていく。商会として不思議では無い形で上手く通路を隠している、なるほど自然なカモフラージュだ。
ともすれば襲われかねない状況であることもあって誰も言葉を発しないまま歩き続け、ついに海賊旗の掲げられたドアにたどり着く。
「お頭ァ!」
「入れ」
「そんじゃ俺はここで失礼するぜ」
用件は先ほど伝わっているようで、来訪を告げただけで入室を許可された。
ここは話し合いの場であるため、倉庫に突入した時とは違ってクラーゼさんを先頭にドアを開ける。
「おう、商会の連中以外と話すのは久しぶりだ。好きに座ってくれや」
中は船室のように装飾されており、彼の私物であろうインテリアが数多く置かれている。その一番奥の机にいるのがかの【海虎】ガイソン。デラウコス海域に幅を利かせる海賊の大派閥の一つを率いている男だ。片眼には眼帯をつけ、盛り上がった筋肉で支えられた体の上には皺の込み始めた厳しい表情が浮かべられている。商会として動いているからかそれなりに綺麗な身なりのまま立ち上がった。
仕掛けなどがないかをわかる範囲で探し、促された通りに俺がソファーの奥、中央にクラーゼさん、イヴと続いた。
「失礼する」
「普段うちに入ってくるガキどもにワシが会うことはねぇが、名前持ちが会いに来たのなら話は別だ。オマエらは【海虎】に会いに来たんだろう?」
「話が早いな、クラーゼ・バルドだ。傭兵としてこの二人を連れている。フィッツガルド大陸に渡りたいんだが訳あって西の港が使えなくてな」
「それでうちの船に乗ろうってのか、大した度胸だぜ。派手にドンパチやって虹にでも目ぇつけられたか?」
「そんなところだ。頼みたい」
見た目からも年齢差があるように見えるが、クラーゼさんはいつも通りの様子で海虎と話す。
傭兵は依頼の度に立場が変わる。偽装していればその地位の立ち振る舞いが求められることもあるが、ガイソンは商会のトップではなく海賊の頭として話すと言った。クラーゼさんから見て彼はそういった事を気にしない人間に見えたのだろう。
「それで?ワシらに何かメリットはあるんだろうな?」
「ここからは他言無用で」
「この部屋は完全防音だ、心配いらん」
「…海賊の言うことを信じろと言われても」
「イヴ…?」
「あ?ガキが…ちゃんと顔見せてから言え」
ずっと我慢していたのだろうが、思わず零してしまったイヴの本音が完全防音の部屋に響いてしまった。しかし彼女はそれを隠すことの方が不誠実と考えたのだろう、髪や顔を隠していた帽子やメガネを外していき、綺麗な乳白色の髪が露になる。
「これでよろしいですか?」
「…これが特別ゲストって訳か。なるほどこいつは確かに特別なガキんちょだな、虹野郎の端くれがなんでこんなとこに顔出してんだ?」
「それを話すためにこの席にいます」
「はぁ…面倒事が片付いたと思ったらどんどん舞い込んできやがって…そこの坊主、お前は傭兵か?」
「え、ええ、そうです」
突然自分にも振られてとりあえず答える。
この感じから海賊といえど好き勝手に暴れ回っているという訳でもなさそうだ。それならきっと交渉の余地はあるはずだ、返答を間違えるな。
「お前だけは別だ。ここにいる価値があるかどうか、力で示してみろ」
俺に許された返答は戦いだけだった。
【サイドトーク】
複雑な輪
イヴ「ヴェル、少し聞いてもいいですか?」
ヴェル「剣を研ぎながらでもいいか?」
イヴ「ええ。あなたは先生と過ごしていた時期はどれくらいなのですか?」
ヴェル「…あんまり覚えてない。物心ついた頃にはどこで何をしてたのか知らないけど家にはあんまりいなかったし」
イヴ「そうだったんですね」
ヴェル「そういう意味では俺なんかよりイヴの方が長い付き合いで娘みたいなものかもな」
イヴ「そんな関係性にはまったく…私には肉親がいなくて家族という輪を知らないので」
ヴェル「…ごめん」
イヴ「謝らないでください、私は良い出会いをたくさんしていますから…ヴェルも含めて。だからお母様は大切に想ってあげてください、ご健在でしたよね?」
ヴェル「ああ、ウェイドを討つって誓ってきた。いつかイヴにも紹介できたらいいな。俺はどうでもいいけど、きっと母さんはウェイドのことを知りたいだろうから」
イヴ「……ええ、そうですね…きっと…」