09 一流シェフによる肉だんご鍋オウ・ブリガン(山賊風ね)
ぴしぴしーッ、ぽよよッ。
全身を硬直させたフォドラ、その視線に気づいて、コシュクアの肩越しに女は娘を見下ろした。
「あれっ。この女の子は……?」
その瞬間、親分はふぁっと妙案を得る!
――そうか、そうだぁぁッ!!
「詳しいことは後で話す。グミエ、俺の女房のふりしてくんねぇかッ」
女の耳元、素早く囁いた。
ぐり、ぎりりッ!!
「うぎょぇえッ」
女にかるーく左手首をねじり上げられて、親分は囁き声にてうめいた。これは一見簡単そうに見えて割とできない芸当だが、器用な男なのである。
「冗談じゃないよ。ふざけんな」
女はフォドラの前に歩み寄ると、ふっと笑った。
「お嬢ちゃん。お名前は?」
「……フォドラ・ニ・マトロナと、申します」
震えるお腹に力をこめて、フォドラは言った。誰なのだろう、まさか……。
「そうかい。あたしはグミエだよ。……おいこら兄貴、何こんなかわいい子を誘拐してやがんだよ?」
――あっ、いもうとさん!?
ほうっと一挙に緊張が解けて、フォドラは目をみはった。そう言えば、涼やかな切れ長目元がコシュクアによく似ている。
「人身売買だきゃあ手を出さねぇって、皆で話して決めたんじゃねぇか。ああ、お前ぇら?」
グミエはフォドラの脇に寄り添って、肩に手をまわす。その優しさとは裏腹に、あごをしゃくりながらぎーんと周囲を見回す双眸には、凄みがききまくっている! 一同はぞぞぞ、と背中の毛を総立ちにさせた。
「勘ちがいすんな。この子は金づるで、……客だッ」
面子を立て直した兄が、するどく言った。
「はぁー?」
「取るもん取ったら、のしつけてちゃんとお返しすんだよッ。だからてめぇも、せいぜい大事におもてなししとけッ」
「いやだー、お客だなんて」
こちらも平常心を取り戻してむしろ絶好調のフォドラが、グミエの横、低い位置から言う。
「わたし、コシュクアさんのお嫁になりたくって来たんですのよー!」
ぱこッ、グミエはきらきら輝く娘のまる顔を見下ろして、口を四角く開けた。
「あ~~……、もう……」
頭をふるふる振って、親分は黒馬を引っ張る。
「おら、とっとと片付けしちまうぞッ」
「へーい」
子分どもは、ぞろぞろそれに続いて行った。
「……本気で言ってんの?」
ぽかんとした顔で、グミエが問う。
フォドラは、ぽよッとうなづいた!
・ ・ ・ ・ ・
日の暮れる頃、一味はねぐら中央部にある厨房小屋、でかい石かまどの隣に据えた長卓にずらりと着席して、その日の夕めしにありついていた。
皆機嫌が良い、にぎやかに飲み食べる。
幅広前掛けをつけた若い男が、すごい勢いで鍋の中のものを取り分け、鉢皿によそって配っている。こいつはコシュクアが雇ったかたぎの料理人、めしの準備以外はいっさい山賊業と関係がない。寡黙な男だ……それにしてもかまどの火の照り返しが、彼の頬の上でやたらちらちらと目立つ。……いや、血色が良すぎるだけだろうか。
食事の準備はそいつの独壇場になる、手を出すなと皆に言われていたから、フォドラはコシュクアの右脇にそーっと座っていた。
ごとり、その前に鉢皿が置かれる。もわん、フォドラの顔に湯気がまとわりついた。
かまどの火に加え、釣り下げ燭台がぎらぎら輝くあかるい室内。
もさ苦しい男たちの笑顔も、肉団子のあいまにつやつや光る汁の中の葉野菜も、しっかり見える。
「さ、食いな。うちの料理人のめしは熱いからな、やけどしないよう気ぃつけろよ」
「は、はい」
コシュクアが大人目線で上から言ってやると、やっぱり素直にフォドラは食べ始めた。
「……ほんと、かわいいね。こんな小っちゃな良い子を厄介嫁出しって、親は狂ってるよ」
ぼそぼそぼそ、と左脇からグミエが囁いてきた。
コシュクア一味の留守番役(裏番長と呼ぶ者も多い)、親分の異母妹は、これまでの経過状況をしっかり聞いて呑み込んでいた。
「かえしたところで、迎えに来るかね? 行くとこなんて、ないんじゃないの」
「……」
「兄貴が持参金をいただいちまったら、それこそ無一文になるじゃないか。まる裸でほっぽり出すなんて、非道にもほどがあるよ」
「山賊の本分はまっとうしねぇと」
「ふざけんな。こんなになついてんだ、嫁にしてやったらどうなんだ」
「そっちこそふざけんな」
「へっ。兄貴にゃ任せておけないな……。あたしがもらっていって、息子らの子守役にでも使うかな。そのうち、よいとこへ嫁の世話をしてやろう」
グミエはずっと先にある集落で、大きな酒商を経営しているのである。……まあ、実際に切り盛りしているのはその旦那、コシュクアの元子分なのだが。
「うん、そうしてやってくれ。明日にでもユーレディに行って、小切手の金を引き出させる」
「……ほんじゃそのまま、あたしがもらって帰るよ」
くいっ、グミエは陶器の杯をあおった。中身は極上の北方産白ぶどう酒である。コシュクアも同様に杯をかたむけつつ、……ちらりと右横の娘を見た。
右肘すれすれの辺りにいるフォドラは、彼が言った通りに気をつけて、ふうふう息を吹きかけながら、汁ものを木匙ですくっている。
――うん、そうだ。そうして明日こっきり、お前ともお別れだ!
安堵感が余裕になる。女になんてひっつかれるもんじゃない、たまに町の商売女にひっつく位が丁度よいのだ。女に心を奪われて、山賊業を続けられなくなった例を、彼はずいぶん知っている。
特に書く手と吟じる心を持ったコシュクアには、女が自分にとっての致命傷になりうることが予測できていた。
こんなちっぽけなイリーのでぶ娘が、その脅威になるとはさらさら思っていない。
……しかし、ここまで自信を持ってくっついてくるフォドラのその姿勢が、どうにも不可解で……少し恐ろしくもあった。早めに切り捨ててしまった方がいい。
「うまいかよ、フォドラ」
上からの大人目線を保ちつつ、言ってやる。
途端、はっと見上げてきたみどりの双眸が、あんまり純にうれしげだった。
その一瞬を思わず言葉で切り取りかけて、……彼はおいおい、と思いとどまる。
「もっと欲しかったら、すぐ頼むんだぞ。たちまち空っぽになっちまうんだからな、うちの鍋は」
「はい!」