04 ものしらず令嬢、初めて町の外を見る
「おい、じきに出発だよ」
もさもさ肩を揺すられて、ふぁっとフォドラは目を開けた。
ぎょろーんと丸い眼玉がふたつ、見下ろしてきている。
「ひぁっ、ノワさん……はい、起きまーす」
慌てて身を起こす。三人がけの馬車の座台は、フォドラがのびるのに丁度いいあんばいなのだ。
「ドラちゃんは、このままこの馬車に乗っていくんだよ。俺とウレフが交代で御すからな。先におしっこだけ、済ましちまいな」
「はいはい、ただいま」
下っぱ子分の二人組に、すでにあだ名をつけられたフォドラである。
林の奥からそそくさと戻ると、各々の車に馬たちが括りつけられて、先発数台が歩き出したところだった。
背の高い黒毛の雄馬に乗ったコシュクアが、ちらりと見下ろしてきた。
「……行くか」
御者台のウレフに軽く声をかけて、かたかた常足を始める。
ぎゅーっと唇を引き結び、馬車に乗り込むと、反対側から入ってきたノワが首をかしげた。
「……どうしたよ?」
「……どうしたもこうしたも、コシュクアさんって……ほんとに、かっこよすぎる!!!」
ぎょろ目の若者は、フォドラの隣でその目をますます丸くする。
「……どの辺が?」
「そんなの、わたしのまずしい表現力で言い表せるわけないじゃないのー」
「はぁ……? ときにドラちゃん、あんたいくつなんだ」
あんまり幼くて男を見る目があいてないのでは、内心で訝しみつつノワはたずねてみた。
「いやあね、イリー女性に直接としなんて聞いちゃいけないのよー。二十一だけど?」
がこッ、声を出さずにノワは口を四角く開けた。
十代半ばと踏んでいたのに、ノワ自身よりずうっと年上ではないか!?
他の連中が言っているように、ものの道理のわからないイリーのこどもが、戯言を口走っている……というわけではなさそうだ。
からからから……。馬車はゆるやかに進み始めた。
森間の小径をぬけ、やがて小集落のあいだを細く結ぶ、いなか道に出る。
「馬車が八台に、荷馬車一台。騎乗の殿方は袖なしの毛皮上っぱりを着たりして、その護衛の傭兵……という体ね」
ふいと言われて、ノワはフォドラを見た。
「ぱっと見は、行商隊にしか見えないわ。わたし、山賊ってもっと怖くて、きたない人達だと聞いていたのだけど……」
フォドラも見返してきた。
「あなたたちは、全然ちがうのね? 皆こざっぱりしていて、とてもおしゃれだわ」
「そうかい?」
若者は、ちょっと気を良くした。
「けど、ドラちゃんが聞いた話はまちがってねぇよ。俺らは……俺らの親分は特別だから、わざと北部の商人みてぇななりで、追いはぎしてんのさ」
山野森中に潜むには目立ちすぎる、鮮やかな柄もの外套を着た連中を山賊と思う奴はいない。堂々と街道をゆき、堂々とかもを捕らえ、堂々と品物のみを分捕らせていただく。人間さまは逃げるに任せる、コシュクア一味は人身売買には手を出さなかった。
北部穀倉地帯に奴隷を連れ込めば、労働力を欲してやまないかの地で大いに利益が得られる。が、めんど臭いのである。
昨今の海賊略奪大跋扈のせいで、イリー都市国家群のはるか東方、東部大半島から追われてきたいなか者の流入は止まらない。それをまとめからげて売り飛ばすこともできるし、実際やっている同業者も多いが、コシュクアは危険を伴う高利益を好まなかった。
彼が市場としている南部沿岸地域、イリー都市国家群においては、人身売買は重罪である。それに、惨めにあわれに泣きむせぶ流入民どもを引っ立ててゆくなんて、絶対にごめんなのだ。
その点、品物だけを分捕っていれば、どこぞの騎士団警邏にかち当たったとしても、うちら商人でござい、としらを切り通すのも簡単である。
すばやく検分した分捕り品にあわせ、にせの流通書面や請求書までこしらえられる、珍しい頭脳派山賊集団なのだ。
「すごい、すごい、すごすぎるわ……! コシュクアさんて、かっこいい上に頭が切れるのね!」
そばかすの散る頬を赤くして、フォドラは興奮ぎみに言った。
「おうよ。なんせ、でっかい商家の三男坊だったからな、読み書き計算なんでもござれなのさ」
尊敬する親分のことである。ついつい誇らしげにしゃべってしまって、ノワはうっと詰まった。
「けど、ドラちゃん。この辺は他の奴らや、イリーの者に話すなよ?」
金を引き出したあと娘をどこかに置きに行く、という親分の計画を思い出した。フォドラが彼ら一味の情報を、市井に流してしまったら大変だ。
「ノワさんてば、何言ってるの」
落ち着き払った調子で、娘は言った。
「わたしだって、コシュクアさんの一味になったんじゃないの」
「へ……?」
「親分の妻が、他の人にべらべらうちわの話をするわけないわ。安心してちょうだい!」
フォドラの頭の中では、コシュクア親分はすでに夫であるらしい。
この自信はいったいどこから来るのだろうと、ノワはぎょろ目をまたしても大きく開いた。
「わーあ、なんてきれいなの。あれは湖?」
フォドラが指さす方向、左前方に視線をむけて、ノワは首を振った。
「ありゃ沼だ。ずうっと小さくて、水草で表面みどり色だろ」
何気なく答えたつもりが、……娘はぽよっとした頬をひたむきに硬くして、樹々のまばらな荒野の向こう、途切れとぎれに陽光を反射させている割れ鏡のような沼を見つめている。
「本当だわ……。テルポシエのまわりにある、湿地帯みたいなのね」
さっと若者をふり返る。
「初めて見たわ。湖は、どんなふうなの?」
「……見たこと、ねえの?」
「ないの。わたし、テルポシエから出るのが今日はじめてなのよ」
内心でノワは驚きまくっていた。……町の外の世界を、全く知らずに二十一年間生きてきたというのか? そしてわけがわからなくなった。フォドラはやっぱり、見かけ通りに中身もこどもなのかもしれない。
「……これから北へ行くんだ、なんぼだって見られる。次に俺が御者交代する時、となり座るか?」
「いいの?」
飴売り屋台に並ぶこどもみたいな、きらきらした瞳で言ってくる……。これはやっぱり、女の子なのだ。
「いいよ。その方が、よく見えんだろ」