02 キャッシュレス持参金の罠
「まあ! コシュクアさんたち、すてきなおうちに住んでらっしゃるのね!」
「……」
馬車からしゅたっと降りたって、森間の空き地を眺めまわしたフォドラの甲高い感慨に、応えられるものは一人もいなかった。
男たちは次々に馬を下りると、それを世話しに連れてゆくもの、分捕り品の検分に入る者とに分かれる。そういう風にして、子分どもはそそくさと仕事に逃げてゆく。
コシュクア親分は、逃げられなかった。
「樹々のあいまに、それぞれの馬車を置いて、小さなおうちにしているのね! おもしろいわー。わたしの馬車を、あなたの車の隣においてもよろしくって?」
笑みを絶やさず見上げてくるその頬ぺた、まるまるした表面にそばかすがたくさん散っているのを見て、コシュクアはうへぇと思う。
「あのね、嬢ちゃん。さっきも言ったけど、いったん荷物をおろしたら、もっぺん馬車に乗っておくんな。最寄りの里へ、送ってくんだからよ」
「わたしもさっき言いましたけどー、そんなことはしていただかなくって結構ですの!」
ずどーん! 小っさい娘は、広ーい胸を張って言い切った。
「フォドラこのまま、コシュクアさんのお嫁になりますから」
「いやね、困んのよ俺」
内心では勘弁してくれー、と絶叫している。けれどあまりに正々堂々したふわもこ頭の娘を前に、山賊親分はどうにも調子を狂わされていた。
「何があったってんだよ? この娘っこは、どっから来たんだ」
ひょこひょこ……。
馬車にまじって、いくつか帆布天幕も張ってある。その一つから出てきた留守番役らしきじじいが、フォドラに近づきながら言った。少々脚が悪いのか、老人は片身を引きずるような歩き方である。
「テルポシエから、参りましたの!」
眼帯をつけて、見るからに恐ろしい風貌のじじいを、全く恐れずフォドラは言った。
「その髪、その目ん玉……。相当いいとこの姫ちゃんでねえのか。しかもでぶときた、こんなの北部に持ってっても、奴隷に売れんがな……。とっとと捨てて来いや」
じじいはわざと潮野方言のなまりを強め、早口でコシュクアに言った。
「本当に、そうしたかったんだけどよ……。聞きゃしねぇんだ、こいつ」
コシュクアも同様に、低く早口で応える。これはさすがに、フォドラにはわからなかった。
彼ら一味の本拠地は、ずぅっと北へ行った所にあって、今いるのは単なるかりそめの宿りである。
けさは、大陸南部の沿岸に立ち並ぶイリー都市国家群の東側、テルポシエとオーランの国境間近で張っていた。
ずいぶん早い時間に大した人数も連れず、街道を通りかかったものもち馬車を捕まえた時には、運が良いと思ったのだ。
開けてびっくり、貴族の娘の嫁入り行列だったとは。しかも花嫁がこんなのとは!
この道だいぶ長くなってきた、コシュクア親分にも予想のできなかった展開である。
――ついでのおまけに惚れられちまうって、なんか話がくるっているよ……。
自分と同じく東部系の、すらっとした暗色髪の美女だったなら、鼻の下を伸ばしまくってありがたーく頂戴したのは間違いない。
しかし目の前、ぽよんと小首をかしげているのは、彼の好みの対極にいるような娘、……娘?? いいや、女性にすら見られない、イリー人の女の子だ!
いまやコシュクアは無理やり置かれた年長者の立場から、このこどもに対して憐れみしか抱けない。
フォドラと典雅な名前の女の子は、質素な生成の麻衣に地味な紺色の袖なし毛編み短衣を重ねて、ふわもこ白金髪と横幅だけがりっぱである。まだ十六にもなっていないのではないか。こんなのにろくな騎士の護衛もつけず、デリアドだなんて西の果てに嫁がせるとは、ずいぶんといいかげんな親元に育ったらしい。
――面倒くせえなあ。まあ所詮はこどもだ、じきに里心がつくに決まってる。そこを見計らって、通りがかりの村にでも置いていくか……。
「親分、だいたいの検分ができやした」
若い子分の一人が、呼びに来る。
「見てくれだけの、やすもの長持が八つ。中身はひものやら何やら、全部食糧ばっかです」
「……」
「反物や飾りもん、小だんすの類はねぇのかよ?」
じじいがたずねる。
「イリー貴族の嫁入りってのは、そういうのをしこたま持ってくって話でねぇのか?」
「……嬢ちゃんのふだん着と道具類らしいのが、包みひとつ分ありやしたけど……」
雲ゆきがあやしい。
「あら! 馬車の座席うしろは、ごらんになってないの?」
ぎょろッ!
親分、じじい、子分の三人はフォドラを同時に見下ろした。
そうだよな、貴重品を置くならそういう所! 宝飾品などだろうか!? 期待!!
「おひると晩のお弁当が、積んでありますわ!」
がくーッ。コシュクアとじじいは、つんのめりそうになる。
「傷んでしまったら、もったいないわ。今日のおひるに、皆さんでいただきましょう」
「あ、そうね」
若い子分ひとりが、現実的に前向きである。
「まかない天幕へ運んでおこう。どこに積んでんのか、見せておくれ」
「ええ、お手伝いしますわ」
たっぷりした黒い袋股引の裾をひるがえして、娘は馬車に乗り込み、大きな布包みを子分に手渡してゆく。
再び、じじいがコシュクアに囁いた。
「貧乏貴族の、末娘ってとこか……」
――言われてみれば、旅装にしたってずいぶん質素ななりをしているし……そうだろうな。
子分に包みを二つ持たせ、自分も一つ抱えながら、やがて娘は車をおりた。
「これはあなたに。コシュクアさん」
ぽよぽよ近づいてくると、こぶし大の布巻をコシュクアに差し出した。
「?」
「フォドラ名義の小切手ですの。旦那さまに差し上げるよう、父が言ってましたわ」
かなりの太さである!
いや、フォドラでなくって小切手の布巻が!
「五万ほど入っています。お金がご要用な時はおっしゃって。いつでも署名を入れますから」
「……!!!」
「嬢ちゃん、こっちだよ」
「はーい」
子分のあとについて、娘はぽよぽよ行ってしまった。
「……ろくでもねぇのを、拾ったな」
じじいに言われるまでもなく、コシュクアはげんなりしている。
五万……。べらぼうな額ではないが、馬鹿にできる桁でもない。少数所帯のコシュクア一味にとっては実においしい金である、あれば半年は遊んで暮らせよう。しかし、小切手である……。娘本人の署名がなければ、どこの国の金融機関でも引き出せはしないのだ。
「よし。とにかく北方へ、イリー世界の外に出る。そこでどかんと引き出してから、うまいこと言って追い返そう……」
「んだな。イリーの国で引き出したら、足がつく。どこぞの騎士団にでもおっ捕まったら、たまんねえぞ」
「……それまでは、あの子を手元に置いとくか」
仕方がない、なりゆきである。
五万のはした金で、娘の面倒を押しつけられたような気がしないでもなかった。……しかし金は金、分捕り品で生計をたてている山賊業としては、経費はいくらあっても足りない。
コシュクアは首をひねって、その根元を指でこする。表面に無数の山型突起のあしらわれた金の首環が、黒い麻衣の内側でちらちらっと光った。