15 妹(裏番)のしまに異変が? 冒険の予感がするじゃない
「……やれやれ」
緑の騎士の一行がユーレディ方面へ過ぎ去るのを見送ってから、コシュクアとウレフはゆっくり馬を道に上げた。
「どうしやすか、親分。ここから回り道して、グミエ姐さんちへ行きやすか?」
「うん、そうだな。カシュトーンの荘園を抜けていこう」
人目の少なさそうな迂回路を頭の中に思い浮かべながら、コシュクアはウレフに向かってうなづいた。
その実、胸のうちに湧いて出た疑問から、意識をそむけようとしている。……自分をテルポシエ騎士に引き渡さないで、と囁いたフォドラの懇願。
――考えてみりゃあ……。それこそ農民づらをして、迷子のイリー嬢ちゃんを拾いましたと、あの騎士どもに押っ付けることもできたんだ。俺は何だって、ひたすらフォドラを背中に隠しちまったのだろう……??
この時のコシュクアは、その答えを知るのが恐ろしかったのである。
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ずいぶん陽が高くなった。もうじき正午だろうか。
コシュクアとウレフは常足で、栗の林のあいまを細く縫う小径をゆく。
ぐっと北に行く回り道、この先にある小さな峡谷を抜ければ、グミエの村に着くのである。……しかし今日は早朝から馬に乗りづめ、さすがにコシュクアも疲れてきた。
栗林がぽかんと開けたところがあった。造りのしっかりした石積み小屋と、大きな厩。荘園管理の雇われ農家と思われた。
「……ウレフ。少し休んでくか」
「そっすね! ひるの世話、頼んできやす」
「ああ」
ウレフとコシュクアは、ひょいひょい相次いで馬を下りる。自分の馬の手綱を親分に預け、若者は農家に向かって走って行った。
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この時代、この地域でも、大きな農家が通りがかりの旅客に軽食をとらせることは珍しくなかった。ふんだんに自家製保存食を貯蔵しているから、漬物や乳蘇などでもてなしてくれるのである。
迎える側の農家にとっても、現金とともに遠方の情報を得られる、貴重な機会であった。
この栗荘園小屋でも、中年おばさんがこんがり焼けた栗粉ぱんを切り分け、二十日だいこんの浅漬けとゆで卵に添えてくれる。
「……で? ここはどこのお大尽の、栗林なんですかい」
「あはは、そら言えませんがな。旦那」
長細い食卓の一画を分けてもらって、コシュクアは管理主のおじさんと話している。
反対側では、日に灼けたたくましい体つきの男性が四人、ひたすら無言で食べていた。ここで働いている人たちなのだろう。
皿を下げるのを手伝って厨房についてきたフォドラを、おばさんがちょいちょいと手招きする。戸棚のかげで、そうっと囁かれた。
「……お嬢ちゃん、イリーの子だろう。どうしてこんなところにいるんだえ?」
食事の際、フォドラは苔色ふろしきを取って髪をあらわにしていた。おばさんは娘の髪色を見て、イリー人のフォドラがさらわれたのでは……と危ぶんだのである。
「まあ、違うんです! わたし、あの人のお嫁になるんですよ」
ほわッ、一瞬おどろいたが……フォドラの堂々たる態度に、おばさんは安堵して目じりをさげた。
「なあんだ、そうなのかえ……」
しかし彼女は口ごもりつつ、囁き続けた。
「……あのね。他の人には決して言っちゃいけないよ? ここの荘園は、マグ・イーレのディルト様という、偉い方の持ちものなんだよ」
マグ・イーレ。イリー都市国家群の西部にある一国の名を、特に用心してちいさく囁きながらおばさんは言った。
「この先どうにもならないことが起こって、旦那から逃げなきゃいけないという時は、こっそりここへおいで。たまに騎士さまのお使いが来るし、その人たちと一緒にイリーの国へ帰してもらえるまで、かくまってあげるからね」
「ありがとうございます、奥さま。けれどわたしは、ここで幸せになるんですの。あの人と」
「そうだね。ぜひ、そうおしよ」
優しくうなづくおばさんであったが、内心では少し悲しく思ってもいた。女と男がはじまる時は、誰だって終わる時のことを考えない。想像すらできない。特に、遠方に生まれたものどうしが一緒になるときの輝きは大きい。けれどその結びつきが壊れる時は、ふたりだけの剥離ではおさまらない。お互いのくにとの距離が、そのまま男女の距離に割って入って来ることだってある。
この娘がいつか考えを改めて、自分の言葉を必要とする時が来る可能性は大いにある、と農家のおばさんはひそかに思っていた。もちろん、そうならないことを願ってもいるけれど……。
・ ・ ・ ・ ・
ふたたび馬上の人となり、三人は道を東向きにとる。
ずる、
急に背後に脱力する感触をおぼえて、ひやっとコシュクアは慌てた。
「おいこらフォドラ、馬上で昼寝すんじゃねぇッ」
「うむ……、すみませぬ……。これはフォドラのなかの自然がいたすことで、どうにもならぬと言うか……」
「ああ、もう……」
仕方なく、親分は腰の長鎖を取った。フォドラの胴体にぐるりと回し、自分の腹にくくる。ふたり乗りだから鞍もつけていない、裸馬の上でよろめいては危険きわまりない。
「落馬で死ぬ奴だって、珍しかねぇんだぞ。ほんっっと危ねぇなぁ……」
「ぐう」
……そのまま常足、谷間ぞいの林道へ入った。
馬一頭がようよう通れる極細の道、勾配もあるのに背中のフォドラは揺るがなかった。くっついた部分が静かに温かい。
深く寝入ってしまったのだろうか、とコシュクアは思う。
――そのまんま寝ていて欲しい、眠ったまんまでおさらば出来ればいい。……って、何でだよ??
「コシュクアさん」
低く呼ばれて、親分はぎくりとした。いつのまに起きたのだろう?
「向こう側の岩壁のところに……人がいますわ。右手のずっと下です」
顔をそちらに向ければ、本当だ。谷底の近く、暗色外套を着た男らしいのが二人、うごめいている。
「遭難したとか、滑り落ちたって感じじゃねえな」
ウレフが後ろから言ってよこした。
「……妙だな? グミエの配下でもねえようだし」
ここの峡谷は、妹のしまなのである。
拠点を持たない、浮浪のならず者かと勘ぐった。
「……めんど臭ぇが、ここで見逃したらあとで厄介だ。仕方ねぇウレフ、ちっと見て行くぞ」
「へい」
ちなみに≪あとで厄介≫と言うのは、グミエにどやされる厄介である。おそろしい。
三人は馬を下り、樹々の枝をすかして谷底を見つめた。下の二人はこちらに全く気付いていない様子、そのまま低いところを細く流れる川沿いに歩いている。やがてひょいと身をかがめ、岩壁の隙間に入りこんでしまった。ウレフが目を細める。
「ありゃ……、あの中はけっこう広いんかな?」
「洞窟になっているのかしら。山賊が宝物を隠すには、ぴったりですわね! コシュクアさん?」
「今どき、そんな野暮な真似をする山賊はいねえぞ」
今どき頭脳派山賊、コシュクア一味の財産は金融所預けで利子を楽しみに待つばかりである。
「ああ、そうですわね……。言われてみれば、なかなか堅い趣味のお召し物でしたし。うーん、文官さまがお忍び旅行中、というところかしら?」
「……そうなんかい?」
不思議そうに聞き返すウレフに、フォドラはうなづいて見せた。
「ええ。あの青墨色は、去年くらいからテルポシエでずいぶん流行している色なの。ふだん使いの外套にしている殿方を、たくさん見かけるわ」
「ほ~……」
テルポシエのイリー人……貴族だろうか。まさかなぁとは思いつつ、コシュクアは引っかかりまくっている。
「あっ、出てきた……」
男二人はそそくさと、ここまで来た道を反対に歩き始める。岩壁ぞいに下流へ向かう、やってきた時よりずいぶんと足取りが速かった。やがて三人の視界から消えてしまう。
「……どうにも臭ぇな、あの岩の割れ目」
「危険と謎の匂いが、ぷんぷんしますわ!」
「よし、ちと行って見て来るか。ウレフ、馬とフォドラをみとけよ」
「いやだわ、何おっしゃるのコシュクアさーん! わたし一緒に行きますわよ!」
びしっ、と引っ張られる。見下ろせばいつのまにか、腰に提げた長鎖の端をフォドラが握っていた!
「おいッッ」
「大丈夫だいじょうぶ。もしもきゃつらか、その仲間に見つかったら、さっきと同じく変装大作戦ですわ。題して≪谷底に転落したお婆ちゃまを拾いに来た、心優しき青年のふり≫! それで万事するする、するうですわよ~!」
「……無理がねぇかな? その設定……」
二頭の馬の手綱を引いて、心配そうな顔でウレフが呟いた。
「親分はどうみたって青年じゃねぇ。壮年がいいとこだよ」
「そこかよッッ」
のっぽの子分にコシュクアは突っ込むが、その時すでに娘はぐいぐい親分の腕をとって、谷底へおりる手段を探し始めている。
「はっ、あそこの曲がりで、川がずいぶんとくびれていますわ! 岩づたいに渡っていけますし、降りやすそうなこちら側から行ってみましょう!」
「くびれてって……、いや谷川だぞ? 流れ速いぞ、大丈夫なのかよお前」
「ふふふ。フォドラこう見えて、実は……」
「何っ、泳げんのかドラちゃん!?」
含み笑いを浮かべるフォドラを見て、はっとウレフは驚いた。東部系の自分達とちがい、イリー人……特にテルポシエ貴族の連中はほとんど泳げないらしい、という話を聞いたことがあったからだ。
「いーえ、見た目通りに泳げませんことよー。つるり・どぼんの際は、どうぞコシュクアさんお助けくださいまし!」
「自慢げに言うなッ。つうかこんな渓流で助けろって、どだい無理だろうがよ? そうだウレフ、俺らが調べてる間にお前は馬連れて村に行っとけ。グミエがちゃんと帰ってるか確かめてから、引っ返して来い」
ぽんぽん話しながら行ってしまう二人を、ウレフはぽかんと見送っている。
――すげぇ息合ってねぇ?