11 おさらば、令嬢(もう俺にかかわんなよ)
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翌朝。霧の漂う森中を、五人は歩いていた。
黒馬の手綱を引くコシュクアと、葦毛の雌馬を引くグミエ。その後ろにフォドラがついてゆく。
そのぽっちゃり幅広体躯の背後に、それぞれの馬を連れたウレフとノワが続く。
「……今日は、目隠しをしなくっても良いんですの?」
「良い。この霧じゃ、右も左もわかんねぇだろ……よその人間には」
乾いた調子で返ってきたコシュクアの言葉にうなづくも、最後の部分に冷たいものを浴びせられた気がして、フォドラの心はしぼんだ。手を繋いでもらえないだけでも、十分残念だったのに……しょぼん。
ぬるり、……足元の苔にすべりかけて、フォドラはぎくりとする。
がしッ。
左右から同時に腕を支えてくれたのは、ウレフとノワである。でこぼこ二人組は、今日も変わらず息が合っていた。
「ありがとう……」
「心配すんなよ、ドラちゃん」
「大丈夫だよ」
言ってくる声が、どことなく寂しげである。
不思議だった。フォドラ自身よりも若者二人の方が、何かに不安を感じているらしい。
前方のコシュクアとグミエは、無言ですたすた先行してしまっている。
ばら色外套の背中に、何か拒絶めいた厳しさを感じて、フォドラは少し悲しくなった。
「……今日行くユーレディという町は、遠いの?」
北部穀倉地帯の地理を、フォドラはほとんど知らない。
「うんにゃ、でもねぇよ。昼前には着くだろ」
「そうだ、大して遠かねぇぜ」
「時々、気軽に会いに行けるとこだな」
「そうそう」
「おいこら、餓鬼ども」
グミエがくるりと振り返って、ウレフとノワを睨みつけた。
「よけいなことを、ぺちゃぺちゃさえずってんじゃないよ」
「へい……姐さん」
「すんません、姐さん」
でこぼこ二人組は、しゅうんと黙ってしまった。
やがて、白い霧のあいまに浮かぶ樹々の密度が、だんだんと薄くなってくる。いきなり細いいなか道に出た。昨日、目隠しをされて馬車に乗った山間の街道とは、全く異なる道である。
コシュクアとグミエは、それぞれの馬にひらりとまたがった。
「フォドラ、来な。あたしの後ろに乗っかるんだよ」
「……」
一瞬コシュクアの背中を見てから、フォドラは差しのべられたグミエの手を取る。ウレフとノワが押し上げてくれて、フォドラはグミエの後ろにおさまった。
「そのまま、ふろしきはきっちり巻いときな。長い髪がばさばさしたら、危ないよ」
「はい……」
「……行くぞ」
振り返ることなくコシュクアが言い、黒馬は歩き出した。
グミエの引き締まった腰にしがみつきつつ、フォドラはやっぱり、ばら色の背中を見ていた。
――どうして、誰も何も言わないの? これから行くところで、何が起こるの??
・ ・ ・ ・ ・
しだいに霧はひけ、おだやかな青天を通して陽光が注いだ。
全くの深い森から、人の手の入った里森へと両脇の景色が変わってゆく。ひらけた農地の中にぽつんぽつんと散在する、小さな集落を通り過ぎるようになる。
やがて前方の窪地に、寄り添い集まった石造りの建物群が見えてきた。町だ。
「あれがユーレディだよ、フォドラ」
革の上衣の背が揺れて、フォドラはグミエの言葉をきく。
「あたしはあそこの、もうちょい東側いったとこに住んでるんだがね」
「えっ? お兄さまと一味の皆さんと、お住まいじゃなかったのですか」
「いいや、森には留守番に来てるだけ。向こうの村に、旦那と子どもがいるんだよ。フォドラは子どもが好きかえ?」
「ええ!」
「じゃあ丁度いい。あとで、ちょいと遊びにお寄りよ。あんたみたいなのが来れば、うちの坊主どもが喜ぶんだ」
優しい調子で言われて、フォドラは何も疑わなかった。ユーレディで用事を済まして、兄のコシュクアともども家に行くのだろう、としか思わない。
石造りの町門前で、一行は下馬した。公共の厩舎に四頭を入れ、ウレフが世話に残る。
「……こっちだ」
コシュクアが一瞬だけ、フォドラを見た。
「さ、行こうかね」
グミエがフォドラの背に手をあて、反対側二歩後ろにずんぐりノワがつく。
幾ばくも歩かない、町役場とおぼしき石造りの角ばった建物があり、その前の広場に朝市がたっていた。手に手に籠をさげた地元買い物客でにぎわっている。
コシュクアはそれとは反対側にある、大きな商家の並ぶ一画を目指す。とある屋の前で止まり、開け放たれた扉の敷居に立った。
「おいで。フォドラ」
フォドラはどきーっとした、コシュクアが自分に向けて右手を差しのべている!?
磁石のごとく、彼女の左手は高速にてそこに吸い寄せられ、ぱしっと中におさまった。
「はいっっ!」
「……例の小切手な。あれに、お前の署名をしてくれるか」
「まかせて下さいッ」
まん丸顔をまっかにして、フォドラは男を見上げつつ言った。
「よし」
扉をくぐる。長細い勘定台の上に板仕切りが立てられていて、そこに窓が三つ開いている。
入り口扉に一番近いところをのぞいて、コシュクアは声をかけた。
「小切手の換金を」
「はい、どうぞ」
向こう側からすいと女性の手が伸びて、硬筆の刺さった墨壺が差し出された。
コシュクアは隠しを探って、小切手の布巻を取り出す。それを台の上に広げた。
「……フォドラ」
「はいはいっ。全額いっき、でよろしかったの?」
「ああ」
――そう。それで全部いっきに終わるんだ、お前は俺のそばからいなくなる。
昨夜からずっと、胸のうちでわだかまり続ける違和感を無視しようと努めてきた。それは不快なのだと、コシュクアは自身の感覚を決めつけて、ほんものにしようとしている。
だからこれは喜ばしいことである、フォドラだって別の人生歩けていいじゃねぇか。俺みたいなのに、もう関わんなよ……。
コシュクアの役に立てる喜びに頬をあかくし、やる気満々で墨壺に手を伸ばしかけて、
……フォドラはぴたりと止まった。