潮騒をきく
波音がざあざあと響いていた。少しと奥の波が光を反射してキラキラと輝いている。潮が遠くにある時間なのだ。砂浜には、時々の潮が何処まで来るか示すようにところどころに漂着物がラインを作っている。人の捨てたゴミや木の枝、海藻。波の力で押し流されるようなものが黒く並んでいる。満ち潮でも人の作った土手を乗り越えて波が迫ることはない。その手前に流れ着いたゴミがわだかまっていた。それに、わずかばかり、波のこない砂浜に塩に強い植物が僅かに繁茂している。幼い頃は図鑑を引いて名前を知っていたような、大人になった今は名前を知らないような、草草。きっとハマなんとかという名なのだ。砂浜で生えているような植物は大抵そんな名前をしている。
砂浜の側のアスファルトの道路にはところどころ砂が溜まっている。風で浜から飛んできているのか。浜で遊ぶ人間についてきているのか。サンダルの隙間から砂が入ってきて汗と一緒にべたべたする。道路のすり減ったところは雨が降ると水溜りになる。水溜りに足を踏み入れればサンダルの中まで濡れることになる。それが、もしかしたら今サンダルの中が少しねっとりしているような心地の原因かもしれなかった。田舎のあまり整備されていない道路だから、少し大雨が降ると道いっぱいの水溜りになって濡れずに越えられなかったのだ。
道の脇にこんもりと紫陽花が咲いている。紫陽花の花の色は土の酸性度で変化するのだという。青のような紫のような色は、土の酸性度が均等ではないからか。小さな花は少し茶色になっていた。そろそろしぼむのだろう。
坂だらけのこの街は石垣が多くある。家を建てるとなれば、当然高さをそろえた土地が必要だから石垣を作るのだ。むしろ石垣もなく地面から直接立っているような建物の方が少なかっただろう。まあ比較的新しい建物だとそうでもないかもしれない。古い家は大抵石垣の上に立っている。坂がどれくらい急かは道の脇に立つ家の石垣を見ればわかる。急な坂程石垣が高くなる。まあそもそも元川とかで他より低い道もあるが。
砂浜からほど近い寺の前には白い砂のある空き地があり、駐車場代わりにされたり、イベントの時テントが立ったりする。前後をアスファルトの道路に挟まれていてたまに車が通る。寺の前庭には背の高い松が何本も植えられている。ところどころ捻りながら高く伸びた松は、道路の上まで張り出している場所もあるが、雨宿りには向かない。全く無理というほどでもないが、小雨なら多少当たらずに済むかもしれない、程度だ。
この寺の縁起には目の前の海が関わっている。浜に流れ着いたものを祀っているのだ。いや、祀っているというと多少誤解を招くことになるのだが。正確にいえば、この寺の本尊は観音菩薩だ。観音様が住職にお告げをして流れ着いたものが人々を救ったと言われている。不作で飢饉になった時の話である。以来この寺にはかぼちゃがシンボルとして置かれ、巨大かぼちゃの品評会などがあった時代もあるらしい。今も残っているのはイベントとしては当時のカボチャ汁粉くらいか。自分はカボチャが好きではないので食べたことはないのだが。
寺の正面の浜は夏の半ばのイカダレースの大会の会場でもある。昔はもっと広いような気がしていたが、そんなに広くない。人がいなければ端から端まで十分見渡せる程度でしかない。何もない日でも地元の人間が遊び場にしていることのある程度の場所ではある。
海の近くではよく鳥を見る。海から離れると鳥がいないわけではないが、海で水に浮かんでいたり浜を歩いている鳥の方が何処にいるのか見つけやすい。足が長くて背の高い白い鳥がじっと立っていたり、歩いていたりする。あれはたしか、サギの仲間だっただろうか。波間に浮いているのはカモの類だろうと思う。あとは、よく空で円を描いて舞っているのはトンビだ。鳴き声でわかる。子供の頃、祖母にトンビとタカの見分けるには翼を見たらわかると教わったような気がする。先が割れてないのがトンビだったか。そういえば小学校の時にはこの辺りにはハヤブサが生息しているとかなんとかって話があったような。最近はそういう話は聞かないからいるのかいないのかはっきりしない。メジロやウグイスならいる。
昔はよく海で遊んだ覚えがあるが、今は砂浜にもなかなか足を踏み入れなくなった。後で足やら靴やら洗うのが面倒なのだ。それに一人で海に踏み込んでもそう楽しくはない。濡れた感触がきもちわるくなるだけだ。
家の庭の水道を使えば楽にすすげるかと思ったら、いつの間にやらつる植物に巻き付かれていた。しばらく誰も使っていないのだろう。今庭にある草どもは水やりせずとも勝手に育つようなやつばかりなのだ。